第07話 ディクレイルの憂鬱
「最初に言っておこう。お前が思っている以上に、この学院の置かれた状況は厳しい。
突然、降って湧いたお前を活用しなければならない程度にはな」
ディクレイルの顔に常の余裕をは見られない。重苦しい雰囲気が室内に漂う。
「原因はリグリア帝国か?」
リグリア帝国、大陸南部に五十年程前に興った国であり、極めて独裁性の強い帝政を掲げている。
近年、急速にその支配権を拡げており、南部をほぼ平定し、中原諸国までその手を伸ばしつつある。
その程度は、街の噂話等で、シンも把握していた。
「……そうか。、私から聞かずとも、お前の耳に入る程度には噂になっているのだな。
誰か、積極的に噂を流している者がいるな」
憂鬱そうな表情で、ディクレイルは溜息をついた。
「そこまで確たる噂と言うわけじゃない。俺が知っている範囲じゃ、他の理由を思いつかなかっただけさ」
「ふむ、少し早合点が過ぎたようだな。では、なぜ問題なのかということは理解していないのだな?」
「ああ、正直なところ、俺は思いつかなかった。
確かにリグリア帝国の伸張は脅威なんだろうが、中原は広いし、帝国に対抗できそうな国も少なくない。
それに帝国の近年の急拡大を見るに、向こう10年は内政に手一杯で攻めてこないと思うんだが」
領土を広げた以上、その広がった領土の統治もしなければならないのは言うまでもない。
いかにリグリア帝国が人材豊富であったとしても、これ以上の拡張政策は些か無理があるようにシンは思っていた。
なにせ、客観的には大義名分のない侵略戦争である。何らかの理由があってのことかもしれないが、表に出ていない以上意味はない。ただでさえ急激な拡大というのは歪を生み易いというに、大義名分のない侵略戦争となればそれは極め付けだ。侵略して奪った土地を自国の領土に編入するのは、並大抵の苦労ではない。
攻め滅ぼして、「はい、終わり」なんてことはありえないのだから。
「ほう、意外だな。こういう話も分かるのだな」
「別に専門で学んだわけじゃないが、俺の国は、成人した自国民に参政権を与えられる程度には、教育を受けさせているからな。一応理解できないでもないのさ」
「なるほどな。身近に命の脅威がない平和な国であるが故にということか……。
まあ、大筋はお前の言うとおりだ。急拡大の弊害で、帝国はしばらく動けん。少なくとも、対外戦争をやれるだけの余裕はないだろうよ」
「それなら、何が問題なんだ?勿論、将来の危険性は考えておくべきだろうけど、現段階ではそれ程の脅威とは思えないぞ」
「正確に言えば、帝国は原因でしかない。実際に問題なのは中原諸国なのだ」
「はあ?中原諸国が?余計に意味が分からなくなってきたんだが……」
「そう急くな。人の話は最後まで聞くものだ。
そもそもの原因と言うか、きっかけは帝国が中原諸国以上の魔法技術・魔導技術の提供を求めてきたことにある」
アルメイラ魔法学院は出資こそ受けても、どこの国家にも与せず属さないという非常に高い独立性を持っている。これは魔法技術・魔導技術の独占を防ぐ為であると同時に、万人に門戸を開くためでもある。魔法使いは近年増加傾向にあるとはいえ、稀少な能力者であることに変わりはないのだ。貧困等により通えぬ者を取りこぼさぬために、奨学金や特待生制度が充実していたりするのはその為だ。
ともかく、アルメイラ魔法学院は各国に対して公平中立の立場で魔法技術・魔導技術の提供を行ってきた。
しかし、近年その中立が脅かされるようになってきている。リグリア帝国が諸国以上の魔法技術・魔導技術の提供を求めてきたからだ。その中には、禁術とされたものや封印技術等も含まれ、元よりアルメイラ魔法学院の公平中立の理念を犯すものだ。とても呑めるものではなかった。当然、ディクレイルは突っぱねたのだが、これが思わぬ反響を呼んだ。
「はっ?いや、なにがどうしてそうなるわけ?
どう考えても、帝国がそんなことを要求できる筋がないだろう?」
近年、急拡大したとはいえ、帝国が中原に手が届くようになったのはここ二、三年のはずである。
それがどうして、中原諸国に属さない独立勢力であるアルメイラ魔法学院に技術提供を要求するのか、シンには理解できない。中原諸国と同等レベルの技術提供ならまだしも、それ以上となれば尚更だ。
「その通りだ。無論、我々は突っぱねた。だが、これがいけなかったのだ」
「いやいや、当然の対応だろう。何が駄目だって言うんだ?」
「帝国からの要求を、一顧だにせず突っぱねたことにより、あのリグリア帝国でも欲しがる技術、もしくは対抗できるだけの技術をアルメイラ魔法学院は秘匿しているのだと周辺諸国に思われてしまったのだ」
「はっ?……いやいや、飛躍しすぎだろう!」
帝国の要求は無茶苦茶だ。どう考えても、学院側に要求に応えねばならない理由はないのだから。それを断るのは当然の判断であった。それがなぜ、帝国への対抗策云々に飛躍するのか、シンには理解できなかった。
「お前の言い分は至極もっともなんだが、飛躍だろうがなんだろうが中原諸国にそう思われてしまった以上、どうしようもない。恐らく帝国のひもつきが裏で煽ったのだろう。あまりにも情報の広がりが早過ぎたからな」
「つまり、嵌められたのか?」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうだ。
しかも、質が悪いのは、実際学院は周辺諸国に公開していない秘匿技術をいくつも幾つも保有しているということだ」
「えっ?それって、もしかしなくてもヤバくないか?」
「ああ、ヤバい。ぶっちゃけた話をすれば、本気で洒落にならん。
その殆どは、秘匿技術の大半は禁術とされたものや封印技術等の危険過ぎる代物だ。一部でも漏れたら最後、戦死者の桁が一つか二つ増えかねん」
「うわー、本気で洒落になってないな。確かにそれは公開できないな」
「だろう?
だが、中原諸国は帝国の脅威を恐れて、それを理解してくれん。秘匿技術があるなら、それを寄こせと言ってはばからん」
「生き残りに必死なのは分かるが、何というかやるべきことを間違えてないか?」
神の視点で見れば実在するとはいえ、対外的にはあるかも分からない秘匿技術に固執するよりは、対帝国で同盟を結んだり、軍備整えたりした方が余程建設的で有効なのは間違いだろう。
「そうだな……。実際、国家首脳陣の中には、お前と同じように考えている者もいるだろう。
しかし、楽に成果を得られるならば、それに越したことはないのもまた事実だ。
そして、独裁制をとっていたとしても、国とは一人の意思ではどうしようもできんのが現実だ。
国家としての利益を追求するならば、他国がうちから技術をせしめようとしているのを止める理由はないのだからな」
「つまり、今の学院は寄って集って、技術をせびられているということか?」
「概ね、その認識で間違っておらん。最初は一国や二国だったのだが、今や口を揃えて技術を寄こせ。秘匿技術を開示せよの大合唱だ」
シンは、心底嫌そうな顔をした。
なんとなくだが、自分と言う存在の役割が見えてきたからだ。
「まさか俺って、見せ札にして抑止力?」
シンは諸国に示されたアルメイラ魔法学院の底力の一端というわけだ。実際にそうであるか否かはは関係ない。学院が諸国が関知できないところで、強力無比な戦力を保有していたということが問題であり、諸国への牽制であり脅しなのだ。
その単純で真似できない圧倒的な強さは、これ以上ない程分かり易い脅威だ。シンのような存在がまだいる、若しくはあるのかもしれないというだけで、諸国に学院に対して高圧的な行動をとり辛くなる。学院を怒らせて、その矛先を向けられたらたまったものではないのだから。
「ほう、本当に察しがいいな。その通りだ。しかし、抑止力とは、うまい言い方だな。
お前の世界ではそういうものがあったのか?」
「ああ、核兵器と言う口に出すのも憚られる最悪の大量殺戮兵器があったよ。実際に撃ったら最後、生物どころか、土地も駄目にするって代物だ」
「なんだそれは?人どころか、土地さえも駄目にしてしまうのでは撃つ意味がないではないか?」
「互いに敵どころか、自分達さえも滅ぼしかねない兵器を持っていたら、おいそれとは撃てないだろう?」
「使えない兵器など意味がないのではないか?」
「それをあんたが言うのか?禁術をはじめとした秘匿技術を保有しているこの学院の長であるあんたが」
「……すまん、失言だったな。確かに俺にそれを言う資格はないな」
「まあ、事情は分かった。要するにおっさんは、俺に分かり易い見せ札というか、囮になれっていうんだな」
「そうだ。お前が力を示せば示すほど、諸国はお前を無視することができなくなる。お前を取り込もうとするだろう。調査員を派遣し調査に人員を割き、監視もつけるだろう。そして、その分だけ、学院は動き易くなり、潰し難くなる。
だから、これからお前は好きに動くがいい。責任は俺が取ってやる。前々から言っていた様に諸国を見回るのもいいだろうし、今しばらく学院で学んでもいい。お前と言う存在は『人竜』という名の強すぎる駒として、すでにこの中原という盤面に置かれたのだからな」
「ここまで内情をぶっちゃけたのは、おっさんなりの誠意ってところか?」
「それもないとは言わんが、どちらかと言うと発破がけだな。
折角手に入れた居場所を失うのは、お前も嫌だろう?」
「……おっさん、本当にいい性格してるわ」
全く悪びれないディクレイルに、シンは呆れた。
「というか、そうでなかったら、お前の為にここまで金をつぎ込むものか。お前関係の出費で、一時的にとはいえ、俺は私財のの半分近くを放出する羽目になったのだぞ!
それどころか、お前のことをごり押ししたせいで、研究費を削られるわ、評判悪くなるわで、本当に踏んだり蹴ったりだったというに」
が、ディクレイルはディクレイルで、度重なる出費で精神的に色々来ていたらしい。
言ってる内に腹が立ってきたらしく、ここぞとばかりに溜まっていた鬱憤をぶちまける。
「あははは、一応今のところ黒字なんだろう?それに昨日の昇格試験で納得してもらえたんじゃないのか?」
流石にこれにはシンも苦笑いというか、笑って誤魔化すほかない。
迷惑をかけたことも、そうとう無理を押し通してもらったのも、よく理解していたからだ。
「ほう……。では、とくと聞かせてやろう。お前の『真竜』素材を捌くのがいかに大変であるか、これまでどれだけ俺が針の筵にいたのかをな!」
そう言うディクレイルの目は完全に据わっていた。
シンはヤバイと感じ、逃げ出そうと素早く踵を返したが、あろうことか振り向いたそこにはドアがなかった。
「はっ?えっ?」
「ここは俺の執務室であり、アルメイラ一族が受け継いできたものの一つだ。先程、お前に中の会話を聞かせたように、他にも色々な仕掛けがある。不埒な侵入者を逃がさない為に部屋自体の空間を閉じるとかな」
背後から、ディクレイルの淡々とした説明が聞こえる。
シンは振り向けない。振り向ける勇気がなかった。だんだんと近づいてくる足音が死刑宣告のようにさえ思えた。
「せ、折角の休みなんだし、リーザと出かけてきたらどうだ?」
リーザはディクレイルの一人娘で、ディクレイルは亡き妻の生き写しである彼女を溺愛している。少しでも和らげれればと、シンは一縷の望みをかけたのだが……。
「リーザ、ああそうだったな。どっかの誰かさんのおかげで、この半年やることが山積みで、あんまりかまってやれなかったんだった。嫌われていたらどうしよう……お父さん嫌いなんて言われたら、俺は立ち直れんぞ」
「そうだ。だから、俺になんて構ってないで、リーザと!」
しかしながら、現実は非情であった。シンの言葉はディクレイルの怒りの火に油、いや、ガソリンをぶっかけたようなものであった。
「お前ら生徒が休みでも、俺達教師は休みじゃねえんだよ!」
肩をガシリと捕まれ、強引に振り向かされる。そこには鬼がいた。血の涙を流す父親と言う名の鬼が。
「いい機会だ。今日は、この半年、俺がどれだけ苦労してきたか、どれだけ手を尽くしてきたか、懇切丁寧にお教えてやろう。まさか、嫌とは言うまいな?」
「あははは、え、遠慮「あん?」……喜んで聞かせていただきます!」
シンは逃げようとしてできなかった。本職ヤクザも真っ青なディクレイルの眼力に屈したのだ。
「よしよし、流石は俺の弟子だ。いいか、よく聞け――――」
その日、夕方呼び出しを受けるまで、学院長室からは誰も出てこなかった。
夕方、意気揚々とすっきりした顔で部屋を出て行くディクレイルとは対照的に、真っ白に燃え尽きたシンが室内に残されていたという。
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