第06話 ディクレイルの思惑
今回と次話は説明回です。
「初めてあいつのことを知った時、羨ましかったしずるいと思った」
「だって、そうだろう?あいつは学院長のゴリ押しで実技及び授業料免除の特待生待遇」
「それも時期的に本来認められるはずのない編入生なんだぞ」
「しかも、それだけのありえない厚遇を受けながら、唯一表に出る座学の成績は最下位」
「これで妬むなって言う方が無理あるし、ズルをしたと思うのは当然だろう」
「俺は、実家と縁を切ってまで、実力主義のこの学院に学びに来たのに」
「奴だけが例外ように思えて、何か裏切られたように思えたんだ」
「だから、表には出さなかったけど俺もブルーストと同じくらいあいつを嫌っていたよ」
「でも、それは大きな間違いだった。あいつは弱くなんてなかったんだ……」
「いや、この際だからはっきり言えば、格が違った。二十人がかりで、勝つどころか傷一つつけられなかったんだ」
「あいつと比べたら、俺達なんて木っ端にすぎない」
「考えてみれば当然だよな。王家の権威にすら屈することのないこの学院が、特別優遇するんだから」
「裏が有るの疑うべきだった。あいつが格の違う強さを持っているのは当然だったんだ」
「俺は学院を辞めるよ。あんな凄い奴を勝手に自分より下だと思い込んで、見下してきたんだ」
「この学院の徹底した実力主義に惹かれてきたのに、俺はそれを自ら裏切ってしまったんだから」
「両親に頭下げて、実家に戻るさ。元々、戻って来いとは何度も言われていたからな」
「本当の理由を教えて欲しい?……勘弁してくれよ」
「分かった、分かったよ。教えてやるから、絶対に誰にも漏らすなよ」
「俺はもう二度とあの化物に会いたくないからだよ」
「俺は怖いんだ!あの竜属性の魔法使い『人竜』が!」
「だから、一歩でもいいからあいつから遠ざかりたい。ただ、それだけさ」
(ある学生のルームメイトとの退学前の会話より)
『誰があそこまでやれと!』
シンが、学院長室の前まで行くと、怒鳴り声が聞こえてきた。
――来客中?珍しいこともあるものだ。うん?何かおかしいような……?
『おや、おかしいですな。入学を認めた際、申し上げたはずです。ここで学ぶ以上、我々のやり方に従って頂くと。それは、あの実技試験も含まれるはずですが?』
『私の愛しい妹にあんな化物の相手をさせておいて、何が実技試験だ!あれでは一方的な蹂躙ではないか!』
どうやら、昨日の実技試験を見に来ていてた来賓、それもシンのクラスメイトの誰かの兄のようだ。
相当怒り狂っているようで、その声色は荒々しいの一言に尽きる。
――化物ね……。
分かっていたこととはいえ、他者から見た己はそれ以外の何者でもないのだと、シンは改めて認識する。それは鋭い棘となって、彼の胸を容赦なく貫く。遅すぎる自覚と共に第三者による言は、これ以上無く的確にシンの弱いところを貫いた。
思わず、ノックの手が止まってしまう程度には……。
『だからなんです?あれくらいやらなければ、お宅のお嬢さんを筆頭に理解できないような連中が多かったですからね。私は当学院の長として、教育者として必要なことをしただけです』
『ふざけるな!我が一族の至宝をよくも!』
『そこまで大切なら、ご自分で憎まれ役をなさればよろしかったのでは?
娘(妹)可愛さに厳しく出来ない、自分達では甘やかしてしまうだけだから、まだ矯正可能な内にあの子の性根を叩き直して欲しいと私共に預けたのは、他ならぬ貴方のお父上ではありませんか。貴方も賛同したと聞いておりますが?』
ヒートアップする相手とは異なり、ディクレイルの声はどこまでも平静で、シンに冷たいものを感じさせた。
『……グッ。私は元は反対だったのだ!それに、もっとましなやり方はなかったのか?何もあの化物相手ではなくても良かったはずだ!』
『いえ、上には上がいるという世界の広さを、何よりも現実の理不尽さを教えると同時に、高くなり過ぎた鼻っ柱を叩き折るに『人竜』以上の人材はありませんでした。
なにせ、妹君達は彼を見下していましたからね。そんな相手に、正面から手も足もでずに負けたとなれば、流石に言い訳はききませんし、何よりも自分を誤魔化せません。』
『……今なら、こちらに都合よく教育し直せると?』
『さて、それはどうでしょう?とにかく、私共としては本格的に魔法を教える前に、妹君を含め意識改革が必要と判断したのです』
『ここまで急ぐ必要があったのか?』
『後回しにすればする程、それは困難になりますし、それに使う労力も被害も大きくなりますから。
これ以上ない機会であったと認識しております』
ディクレイルは淡々と語る。その声はけして大きくないのはずなのに、それははっきりとシンの耳に届いた。
――あれ?そういや、ここって完全防音だったはずだよな?なんで、中の話が聞こえるんだ?
そこでようやく、シンは違和感の正体に気づいた。
れっきとした独立勢力であるアルメイラ魔法学院、そのトップである学院長の部屋である。防諜も兼ねて、幾重の結界が張られ、内側の会話はけして聞こえないと、シンは聞かされていたからだ。
『だが、だがな!』
『ハア……いい加減にしろ!
学院の伝統を知りながら、妹が基礎課程のマスタークラスに在籍することを、お前達は止めなかった。矯正を願ったのか、憎まれ役を押し付けたのか知らないが、その時点で、お前達は俺達に文句つける資格を失ったんだよ。
というかだ、お前さんの妹のためだけにうちはあるわけじゃない。何を勘違いしているか知らんが、お前さんの妹だけにそこまで気を使っていられるか!俺や教師達だって、時間には限りがあるんだからな。
これ以上意味のない感情論の文句を聞く気はない。それしかいえないのならば、でていけ。
時間の無駄だし、これから来客の予定なのでな』
『き、貴様!――!』
相手の激昂する声を最後に、内部の声は何も聞こえなくなった。
――間違いない。あの狸親父の仕業だな。やはり、俺が来ていることに気づいて、わざと聞かせていたな。
――そして、これ以上は聞かせる必要も意味もないということか。
シンはまんまとディクレイルの手のひらの上で踊らされていたことに気づいたが、彼なりに収穫もあったので、怒るに怒れない。
このシンの反応すら予想してやっているというのなら、ディクレイルは正に狸親父の名に相応しい人物であろう。
「学院長、お呼びに預かりましたシン・レグナムです」
『入れ』
声に応じて、シンがドアを開ければ、ディクレイルに長身痩躯の蒼髪の青年が食って掛かかろうとしているのが目に入った。
「シン・レグナム参上しました。学院長、これは何事ですか?」
さも今来た風に、何も知らないかのようにシンは振る舞った。
が、ディクレイルはそんなものお見通しだと言わんばかりにニヤリと口角を上げた。
「何、お前が気にする必要はないし、大したことでもない。
申し訳ありませんが、見ての通りでして。用がお済みなら、退出願えませんかな?」
先に最後に聞こえた乱暴な口調ではなく、公的な為の丁寧な言葉だったが、その実内容は中々に辛辣であった。
「ッ――失礼する!」
これ以上は自身の立場を悪くすると考えたのか、それとも第三者に醜態を見られたくなかったのか、青年は大人しく引き下がることにしたようだ。
だが、それはシンの顔を見るまでだった。
「お前は!」
シンの顔を見るや否や、青年はたちまちの内に頬を紅潮させ怒りを露にしたのだ。
「おっと、我が弟子に何を言われるおつもりですかな?」
「決まっている!こいつは――!」
「見下していた相手に手も足も出ず、惨敗したのが悔しいのは分かりますが、八つ当たりは困りますな。
これ以上、恥の上塗りをされるおつもりなら、妹君と御実家に全てお話しますがよろしいですかな?」
「き、貴様!」
「いいから、とっとと失せろ。いつまでも、小僧の戯言を聞いていられるほど暇じゃないんだ。
それとも何か?俺と本気で事を構えるつもりか?」
ディクレイルは、怒りの矛先を巧みに自身へと向けさせるように誘導し、トドメと言わんばかりに挑発した。
「――!」
ギリッという歯軋りが聞こえてきそうな憤怒の表情で、青年は黙り込む外なかった。
ディクレイルはそのアルメイラ魔法学院の長という地位だけでも恐ろしいが、彼個人を敵に回すのも負けず劣らず恐ろしいからだ。
なにせ、ディクレイルは個人としても卓越した大魔法使いであり、一軍に匹敵する力量をもつ。また、この大陸屈指の知識人『三賢者』でもあり、多数の優秀な弟子を大陸各地に持ち、その影響力はけして一個人と侮ることができない。
いかに青年が名家の跡取りであるとはいえ、未だ当主ですらない彼に国家とも対等に渡り合うディクレイル相手に喧嘩を売るのは、些か以上に荷が重かった。
「理解したなら、さっさと帰れ。
ああ、そうそう。次、今回と同じようなことをしたら、容赦なくクレオ・パンドラを退学処分にさせてもらう。
妹に迷惑をかけたくないなら覚えておくがいい、マイオス・パンドラ」
だが、ディクレイルはそんなこと知ったことではなかった。容赦なく、二度目はないと通告する。
彼自身、何の進展もない感情論の文句を延々と聞かされて、鬱憤がたまっていたのだから無理もない。
「――御無礼致しました。失礼します」
俯いたまま搾り出すようにそう言って、蒼髪の青年マイオス・パンドラは学院長室を出て行った。
もっとも、彼は最後まで黙っていたわけではなかった。
「(汚らわしい化け物め!)」
シンと擦れ違い様に、彼にだけ聞こえる大きさで呟いたのだ。
この世界で受けた中でも最大の悪意を叩きつけられたシンは、思わず振り返るが、そこには肝心のマイオスの姿はなく閉まるドアしかなかった。
「どうした?」
シンの常にない反応を訝しんで、ディクレイルが問いてくる。
「いや、なんでもない」
が、シンはあえて答えず誤魔化した。
胸に刺さった棘がさらに鋭くなり、深く刺さったことを感じながら……。
「さて、お前を休日にも関わらず、こんなに早く呼び出したのは他でもない。お前の公的な処遇が決定したからな。早く伝えてやろうと思ったのだ」
三日かける本科生の昇級・昇格試験と異なり、基礎学生の昇格試験はラスト一日でやってしまう。元々、基礎過程で公開するのは、マスタークラスだけなので、大した手間では無いためだ。
とはいえ、流石に生徒達にかかる負担は無視できないので、翌日にあたる今日は休みなのである。
「あっ、そういえば休みだったのか……。道理で、誰にも会わなかったわけだ」
しかし、シンはものの見事に忘れていた。
昇格試験でやらかしたことと、自己認識の改革で頭が占められていたのだから、仕方ない部分もあるが、いるはずのないクラスメイト達の影を避けていたのは、何とも滑稽であった。
「ややれ、事前に説明してやっただろうに。仕方のない奴だ。
……それよりどうだ?ちょっとは自分が何者であるか理解したか?」
ディクレイルは呆れたようにやれやれと首を振ったが、次の問は対称的に真剣そのものだった。
「ああ、嫌という程思い知ったよ。俺は尋常でないレベルで、認識が甘かったようだ。
俺に試験官的な役割を振ったのは、俺が適役だったというのもあるが、それ以上に俺に自覚を促すためだったんだな?
ついでに言えば、先程の会話を俺に聞かせたのは、ダメ押しというか念押しんじゃないか?」
「ほう、気づいたか。御名答だ。
いや、よかったよかった。あれで分からなかったら、もっと強引な手段を取らねばならなかったからな」
ニヤリと意地の悪い笑いを零すディクレイルに、シンは薄ら寒いものを感じた。
このおっさんのもっと強引な手段というやつは、絶対今以上にろくでもないことになったであろうことをシンに確信させたからだ。
「この狸親父め。一石二鳥どころの話じゃないな。俺という石でどれだけの鳥を狙って墜したのやら」
「何を言うか。可能な限り、最大の効果を狙うのは当然だろう?」
いけしゃあしゃあとそんなことを言うディクレイルにシンは呆れると同時に、絶対にこの男だけは敵に回さないようにしようと心に決めた。
「で、結局俺はどういう扱いになったんだ?」
「ああ、それなんだが安心しろ。お前の希望はほぼ完全に通ったと言っていい。
お前の圧倒的な力を見たせいだろうな。一番揉めると思っていた帰属問題は、あっさり通ったぞ。
諸国はこう思ったのだろうな。他国に取られて明確な脅威になられるくらいならば、どの国家にも属さないうちに帰属させた方がましだと」
ディクレイルはなんでもないことのように言うが、無論そんなことはない。
当然ながら、シンの帰属はあっさりなど決まらなかった。身柄を欲したのは、一国や二国ではない。けして少なくない数の国が、その力を欲しった。
だが、その尽くをディクレイルは、硬軟織り交ぜた論理で説き伏せたのだ。
『三賢者』の名は伊達ではない。諸国の法令・慣習にも通じている彼は、反論の余地のない論理で、シンがアルメイラ魔法学院に帰属することが自然であることを主張した。
そして、何よりも『真竜』との繋がりという強烈過ぎる鬼札が、シンという鬼札と相互に作用し合い、両者を触れ難いものにする。『真竜』の恐ろしさは、どの国でも理解していることであるからだ。
『真竜』との繋がりがあるなど、本来ハッタリだと笑い飛ばすべきなのだが、『堕天の魔女』ネリス・アルメイラの名と、何よりもシンの存在がその確かな根拠となって、諸国にそれを許さない。
その状況下では、『真竜』より直接託されたというディクレイルから、どうして強引にシンを奪えようか。
諸国にとって、それは自殺行為にしか見えなかったし、思えなかったのだ。
「おっさんのことだから、結構えげつない真似をしたんだろう?」
「さて、なんのことやら?
というか、お前の為でもあるのだから、感謝して欲しいものだな」
「よく言う。おっさん自身や学院の利にもなるからだろうが……」
「当然だろう?でなければ、お前のためにそこまでしてやる義理はないのだからな。
とにかく、一番重要な帰属問題は解決できた。それも『稀人』であることを明かさずにだ」
「本当に良かったのか?あんな嘘八百を押し通して」
シンもディクレイルが押し通した自身の嘘塗れの生い立ちは把握している。
この世界にきてからすでに一年と半年。内一年は、確かに彼女に教育されたので、全てが間違っているわけではないが、最大のファクターである『稀人』であるという事実を明かしていないのが気になった。
「前にも言ったが、いいんだよ。お前はすでに史上初の竜属性の魔法使いという最強の付加価値をもっているんだ。これ以上値上がりする事実が明らかになれば、連中は血眼になって、お前を奪いに来るぞ。
お前が自衛できるだけの力を手に入れたあかつきには、公表することも考えてはいるが、今は駄目だ。まだ、お前は弱い。俺程度に負けるようじゃな」
ディクレイルが、実技免除してまでシンの正体を秘匿してきたのは、偏にシンが『稀人』であり、同時に史上初の竜属性の魔法使いであるからだが、それ以上に重要なのはシンの帰属が確定していなかったからだ。
異世界からの来訪者である『稀人』の帰属は、これまでもこの世界において何度も問題になってきたものである。
なにせ、『稀人』は異世界の叡智の塊である。その異質な発想や知識・技術は、千金どころか万金に値する価値があったのだ。
故に、国家をはじめとして様々な組織・集団がその身柄を確保しようと、かつて躍起になっていた。
しかしながら、肝心の『稀人』の来訪は予期できるものではなく、いつどこに出るのか全く不明であり、下手をすればシンのように死地に放り出され、人里に辿り着くことなく死んだ者すらいるようなな有様であったから、取り合おうというのがそもそも不毛であった。
そして、近年の魔導技術の発達により、『稀人』の価値も段々と下がってきていた。最近では役に立つ知識や技術があれば一つあればいい方で、それそのものはなくてももっと効率のいい代替技術がすでに存在していたりすることも多くなっていた。
確実に確保できるとは限らない上、多大な労力を割いて確保できても、その労力に見合うペイがあるとは限らないとなれば、どの国も冷静に現実を見るようになるものである。
結果、今より五十年程前に『稀人』は発見者と同国か、発見された土地が属する国家に帰属するという条約が結ばれた。
だが、シンはよりにもよって『真竜』の領域に現出したのだ。シンの発見者は『真竜』で、発見された土地である『真竜』の領域は、どこの国にも属さない絶対不可侵の土地だ。これでは帰属は不明としか言いようがない。
シンは、その体質や属性を考えれば、久方ぶりの当たりくじといっていい『稀人』である。そんな存在が帰属不明など、確実にかつての争いがぶり返されるであろうことをディクレイルは予見していた。
ディクレイルとしては、かの『真竜』から己の息子と思えと言われて託された存在を、そんな無益な争いに巻き込むことはできない……というか、巻き込んだら死ねると確信していた。『真竜』は他種族には基本無関心だが、身内意識は驚くほど高いのだ。万が一にもシンの身に何かあったら、国の一つや二つ灰燼と帰しても何ら不思議ではない。そんな未来は絶対に願い下げである。
そして、ディクレイル個人としてだけではなく、アルメイラ魔法学院としても、シン・レグナムという存在は絶対に手放すわけにはいかない理由があった。
「確かにそれは嫌だけどさ。
というか、無茶苦茶言うな。この大陸でも屈指の実力者に勝てとか、そう簡単にできるか!こちとら、元一般人だったんだぞ!」
ディクレイルはこともなげにそんなことを言ってくるが、シンからすれば無茶にも程がある。戦闘技術・魔法技術共に積み重ねてきたものが違う上に、戦闘経験も段違いなのである。どうやって勝てというのか。
「やれやれ、まだまだ自覚が足りんようだな。技量の差?経験の差?それがどうした?それでも勝つ、いや、そんなものが全く問題にならない強さを持つのが『真竜』というものだ。
お前も、さっさと私くらい余裕で倒せるくらいにならんか」
「ぐっ」
痛いところを突かれ、シンは黙り込む。実際問題、彼女の言を守るならば、誰にも敗北は許されないのだから。
「まあ、今はいい。今は力量を伸ばすより、制御を完璧にすべきだ。少なくとも侵食対象を選択できるようになってもらわねば困る。結界の維持費に、買い換えが必要な日用雑貨の山。正直、金がかかってしょうがないのでな」
「うっ、分かってはいるんだが、侵食は本能的なものというか、一番制御が難しいところなんだよ。
面倒かけて悪いとは思うが、もう少し待ってくれ」
「分かった。
だが、早めに頼むぞ。私は無限の金の鉱脈を持っているわけではないのだからな」
「ああ、努力する」
「必ずやり遂げてみせるくらい、言って欲しいものだな。
俺だからある程度自前で賄えてはいるが、本来なら、本気で洒落にならない金額になるからな」
「分かった、分かったよ。後、半年以内にはどうにかする。一応自分なりに試してはいるし、それなりに成果もでているから大丈夫だ」
実は今朝方粉々になったコップが侵食対象から外すという実験の成果だったりする。生憎と壊れてしまったが、だんだんと時間が延びてきているのは確かなのだ。後、半年あれば完全な制御も不可能ではないとシンは考えていた。
「後半年か、いいだろう。……本当に頼むぞ」
それでもディクレイルは、しつこいくらいに念押しする。これは冗談抜きで、本気で懐に痛いからである。
『真竜』素材の売買で利益すらあげているディクレイルだったが、実はその一方で半端ではない支出もしているのだ。
まず、マナ封じの鎖。あれはキロ大金貨100枚(現代価格換算で1億円)する純ミスリル製だ。さらに作成は旧友の名工に頼み、通常より遥かに強力なマナ封じと排他的な無属性の魔力付加は『三賢者』の一人に頼んでやってもらったものだ。旧友は手間賃や技術料を省き格安でやってくれたものの、それでも大金貨10枚(本来ならその5倍)。『三賢者』の方はただでやってくれたが、これは貸しにしておくと言われいてしまい、ある意味金を払う以上の負債を背負うことになってしまった(ちなみに、この魔力付加は市価換算で大金貨50枚はかかるレベルである)。
この時点で、すでに大金貨110枚の支出。本来ならあの鎖、市価換算で大金貨200枚以上の価値があったということである。それが僅か三ヶ月で壊されようとは、ディクレイルは夢にも思っていなかった(壊れたと知った時は本気で卒倒しかけた)。
次に負担だったのは、家である。シンの『真竜』同様の体質から、彼の竜属性に負けない素材で建ててねばならない。とはいえ、流石にこれまで純ミスリル製などやったら、破産しかねない。故にミスリル合金の建材が使われた。闘技場や実験棟に使われている耐久力が非常に高く、柔軟な性質を持つそれをふんだんに使った。これも安くはなく、その総額は大金貨80枚にものぼる。
ディクレイルの祈りが届いたのか、幸い家については現状問題はない。壊れたりする兆候もないが、一方で家財道具や生活雑貨は容赦なく壊れまくっているおり、これの代替費用が何気に嵩んでいたりするので喜んでいいかは微妙なところだろう。
最後は結界の維持費用である。
これが実は一番大変だったりする。あらゆる属性を超越する竜属性の侵食を防ぐ結界など、そう簡単に作れるはずがないのだから、当然であった。
ディクレイルと言うか、アルメイラの一族の代々の研究が『真竜』関連のものでなかったら、いかに『三賢者』に名を連ねるディクレイルであろうと不可能であったろう。幸いにディクレイルは先祖の残した研究資料と古今東西のあらゆる結界の資料を総ざらいすることで、一つの結論に達した。
それは『竜属性を防げる結界など存在しない』と言う結論だった。
全ての属性を超越する竜属性は、あらゆる属性の結界でも完全に防ぐことはできない。唯一、無属性だけは可能性はゼロではないが、それでも分が悪いことに変わりはない。
ディクレイルは、頭を抱えた。どうあがいても無理と言う結論が出てしまったのだから、無理もない。
だが、光明はすぐ近くにあった。それはネリスの息子である初代学院長の研究資料だった。
それに書かれていたのは、『竜殺し』と呼ばれる武器の原理についてであった。
『竜殺し』―――それは魔法使いの【防御壁】はおろか、『竜』が常時纏う力場すら無視して攻撃できる戦士垂涎の品である。古代の製法で作られており、現存するのは十に満たないはずだが、あろうことかこの男、母である『堕天の魔女』のコレクションから勝手に持ちだし、分解した上に細部まで調べ尽くしたらしい。
流石は、あのネリス・アルメイラの息子。息子は息子で、中々にいい性格をしていたらしい。
そうして、彼は『竜殺し』に使われている素材を特定することに成功した。
素材は、何を隠そう『竜』の骨だった。『真竜』ではなく、『亜竜』のものであったようだが。
『竜殺し』の武器が、魔法使いの【防御壁】や『竜』が常時纏う力場すら無視して攻撃できるのは当然だ。なにせ武器そのものが龍属性を帯びているのだから。前者の場合は単純に他の属性を超越しているだけであり、後者の場合は竜属性同士で中和あるいは相殺しあった結果に過ぎなかったのだ。
つまり、竜属性を制するのはのは竜属性であるということだ。
ディクレイルは目から鱗が落ちる思いであった。
なるほど、他の属性ではどうあってもできないというならば、同じ属性で相殺してやればいいだけの話だったのだ。
とはいえ、『竜殺し』の武器など、そもそも市場に出回ることさえ稀である。というか、国宝レベルの価値を持つので、売られたりすることは、まずありえない。まかり間違って、市場に出ることがあっても、即座に買われるだろうし、そうでなくとも法外な値段がつくことは間違いないのだから。
というわけで折角見つけた光明も消え去るところだったのだが、よく考えれば『竜殺し』の武器は、すでに学院にあることにディクレイルは気づいた。他でもない初代学院長が分解したというネリスのコレクションだ。幸い、それはすぐに見つかった。アルメイラ一族が受け継いできたネリスの遺産の中で、何の用途に使うかも分からないものとして分類され、保管されていたものであったからだ。
お目当ての物を見つけた時、ディクレイルは納得した。なるほど、これでは使用用途など分かるまいと。
それはとてもではないが、武器に見えなかった。元が剣、はたまた槍だったのかも定かではないが、単なる棒にしか見えなかった。どうやら、初代は本当にやりたい放題したらしかった。この様では竜属性を感じ取れるシンがいなかったら、判別できなかっただろう。
ともあれ、最後のハードルをクリアしたディクレイアは『竜殺し』の武器であったはずの棒を核として用いることで、竜属性のを遮断相殺する結界を作り出すことに成功した。『亜竜』の骨なので、『真竜』に該当するシンのそれを相殺するのは些か役不足だったが、シン自身の血肉を補強とし、維持にはシンが日常的に放出する余剰マナを用いることで解決した。
さて、これで完成と言いたいところだが、実はまだこれでも未完成である。
ディクレイルは、これを覆うように四大属性の結界で多重で囲み、さらに無属性の結界で覆うことで完成とした。維持費用がかかっているのはこっちの方だ。術者は自前の教師陣でどうにかできるとはいえ、無報酬というわけにはいかないのだ。これも地味だが、月金貨10枚(現代価格換算で10万円)かかる。属性ごとになので✕5で50枚の出費だ。
しかも、これはシンが侵食を選択できるようにならない限り、永続的に発生する支出であるのだから、たまったものではない。
ここだけの話だが、確かにシンとの取引は現状ディクレイルにとって黒字であるのだが、今の状態が続けば、『真竜』の宝物分を含めたとしても、赤字になるのはそう遠い未来の話ではない。
ディクレイルが些か以上にうるさく言うのも、仕方のない話であった。
「分かったって!話がそれだけなら、もう帰っていいか?」
とはいえ、あまりにしつこく言われれば、気分を害するのも仕方のないことである。
シンは目に見えて、不機嫌になっていた。信用されていないようで、面白くなかったのだ。
「いや、待て、落ち着かんか。本題はこれからだ」
ディクレイル自身、些か以上にしつこかったことを自覚していたのだろう。慌てて宥めるように言った。
「俺の帰属以上に重要な問題があると?」
「そうだ、それもお前の今後に関わってくる話だ。この学院のおかれた現状を説明する」
それまでとは打って変わった真剣な表情と重苦しい雰囲気で、ディクレイルはそう言ったのだった。
遠慮なく御感想・御批判・御意見をお願いします。