第05話 人竜の異世界的日常
『お前は、起きるといつも周囲を見回すな』
『気持ちは分からんでもないが、いい加減に諦めよ』
『悠久の時を生きる我であっても、元の世界に帰還できた『稀人』は知らぬ』
『それに、今更戻れると思っているのか?』
『今のお前は最早人ではないというのに』
『……悪かった。そんな顔をするな』
『お前があくまで人であろうとするならば、それもよかろう』
『完全に力の制御ができるようになれば、人と交わって生きることもできるであろうからな』
『だが、それでもこれだけは覚えておけ』
『化身できなくとも、お前は紛うことなき『竜』なのだ』
『けして、人の尺度で測ろうと思うでない』
『人の何気ない身動ぎが、蟻には命取りであるように』
『お前の何気ない行動が、人にとっては致命的なもになりかねないということを』
『人里で暮らしたいというなら、それを忘れてはならない』
『よいな、我が子よ』
彼女の夢を見た。このところ、たて続けである。
いい年して、この世界における母とも言える彼女恋しさというわけではないだろうから、彼女の忠告が当てはまる状況が、現実にあったせいだろう。まさに昨日の昇格試験がそれだった。
あの時は、何を大袈裟なと思ったものだが、全然大袈裟などではなかった。
己は最早人ではない。『竜』なのだということを、昨日嫌と言うほど思い知らされてしまった。
「やりすぎたかな?……でも、あれでも精一杯手加減したんだよな」
そう、実際問題俺は欠片も本気を出していなかった。
マスタークラスのクラスメイト達には悪いが、手抜きどころの話ではない。
「結局『鱗』は使わなかったし、『爪』も直接当ててないからな。あれ以上となると、流石に難しいか」
竜属性のマナを圧縮し、鎧として具現化して纏う【竜鱗】の魔法は、使う必要すら見出せなかったし、結界や防御壁を無きが如く切り裂いたのは、【竜爪】の魔法ではなく、その余波でしかない。俺は、一度たりとも彼らに直接攻撃をあててないのだから。
もっとも、それだけで十分過ぎたのだが……。
あの分だと、直接当てていたら、間違いなく昨日の惨状は血と臓腑に彩られた凄惨なものになっていたであろうから、そういう意味では俺の判断は間違っていなかった。
『竜』とはこの世界における頂点であり、最強の存在であるとは、彼女の弁だが、それは何も間違っていなかったようだ。
思い起こしてみると、最初のパンドラとブルーストの巨大な炎弾から始まった実技試験だが、実のところ俺は驚きはしても、一度も身の危険を感じなかった。【魔法の矢】の雨もそうだし、全属性を網羅しかけた中級魔法の嵐でさえも同様だ。
今思えば、俺は無意識の内に確信していたのだろう。
あの場にいる者で、己を傷つけられる者はいないと言うことを。
傲慢極まりないと思うが、事実なのだから仕方ない。
人を容易に殺傷せしめる【魔法の矢】も、人どころか魔物さえ仕留められる中級魔法も、『竜』たるこの身には届かない。まあ、後者は使い手が未熟だったというのも大きいのだが……。
「人の尺度で測るなか……、確かに、全然自覚が足りなかったらしいな。やれやれ」
気まずげに頭を掻く。我ながら、なんとも情けなくみっともない話である。
「孫子曰く、「彼を知らず己を知らざれば毎戦必ず危うし」だっけな?我ながら、よく勝てたもんだ。
いや、それは違うか。俺は彼らを知っていたわけだから、条件が逆になるが一勝一敗すってところか?
まあ、勝負以前の問題だったわけだが……」
正直、完全にやらかしたといわざるをえない。
最早、俺はクラスメイト達のトラウマ、若しくは恐怖の存在と成り果てていることだろう。
いくら、あの不良中年の依頼もあったとはいえ、開き直って悪役に徹したのは失敗だった。
「いやまあ、思って以上に辛辣になったのも事実だが……やっぱり、俺もどこか鬱憤が溜まっていたのかね?」
自身にどうしようもない理由で、周囲から向けられる嫌悪や嫉妬、やはり知らず知らずの内にストレスを溜め込んでいたのかもしれない。
「……ああ、もう!こうしていてもどうにもならん!潔く現実を受け止めて起きる!」
さて、今や公で『人竜』なんて二つ名で呼ばれることになったシンではあるが、その異世界での生活は驚くほどに普通である。
自宅で起きて学院へ行き、授業を受けて帰宅し就寝する。基本的にはそのサイクルの繰り返しだ。まあ、授業内容は全く異なるが、それ以外はぶっちゃけ、現代日本における高校生の生活と殆ど変わることはない。
とはいえ、それはシンがこの世界的に普通であることを意味しない。
独立勢力であるアルメイラ魔法学院は、その独立勢力という立場と性質上全寮制なのだが、それにも関わらず、シンは専用の一軒家を実験棟近くに与えられている。これは完全な特別扱いで、他に同様のことが認められているのは、すでに学院の一員になっている教師陣、その中でも既婚者等、必要な事情がある者だけであることを考えれば、それはありえない程の優遇であった。
まあ、当然ながらこれには理由がある。シンが『稀人』であることを露見させない為でもあるが、実のところもっと切実とした理由がある。それは、竜属性であるが故だ。
彼が竜属性であるが故に、学院側は他の学生から絶対に隔離しなければならなかったからだ。
「ちっ、これも駄目だったか……。はあ、ある程度制御できるようになっても、この様か。折角、最長記録を更新中だったのになあ」
ぼやくシンの手には、粉々になったコップだったものが乗っていた。落としたわけでも、わざと叩き壊したわけでもない。シンが手に取った瞬間、自壊するように突如粉々に砕け散ったのだ。
「やっぱり、竜属性に絶えられる物となるとミスリルじゃないと無理なのかね?
あっ、今更気づいたが、彼女のところにあった食器が全部ミスリル製だったのは、こういうことだったんだな」
竜属性は、他の属性全てに優越し、超越する。最終的に他の属性を侵食し、染め上げるという性質を持っている。そして、『真竜』はマナを生み出す臓器を持たない代わりに、呼吸するだけでマナを生み出し、それを外界へと放出する。結果として、『真竜』の領域は『真竜』の純度の高い竜属性のマナで満たされ、絶対の死地となるわけである。
因みに、これは生物であるかを問わない。物品、すなわち無機物であっても変わることはない。属性侵食が進み、汚染されきった結果が目の前のコップの残骸である。竜属性は強力無比の最強の属性であるため、それに耐えられるものとなると自然と限られてきてしまうのだ。
『真竜』同様、いるだけで高純度の竜属性のマナを吐き散らすシンは、放置しておいたら、学院内に『真竜』の領域を作り出しかねない。そんなことになったら、学院としてもたまったものではない。
故に、厳重な隔離が求められたのであった。
その為、住んでいる住居も特別製で、高価なミスリル合金がふんだんに使われている上、マナを住居外にもらさない為の仕組みが刻み込まれている。それでも足りんと言わんばかりに、シン本人にはマナ封じの鎖を身につけさせ、さらに住居を結界で囲み、魔法的に隔離している。
ここまでやっても、日常的に使う物や、住居内の物に対するものは防げないのだから、竜属性の恐ろしさは推して知るべしであろう。
他の学生や教師陣から羨まれる一人暮らしだが、蓋を開けてみれば真実などこんなものである。
「もう用を成していないけど、鎖をマナ開放のスイッチにするのは悪くない発想だった。意識を切り替えるのにもちょうどいいしな」
自身の全身に巻きついた鎖を、シンは感慨深げに見やる。
そう、このマナ封じの鎖、実はもう用を成していない。
なぜなら、これもまた日常的にシンが身につけていたものであり、すでに彼の竜属性のマナによって完全に汚染されてしまっているからだ。
そも、この鎖は学院に来た当事、未だマナの制御が甘かったシンの為に、ディクレイルが特別に作らせたものである。純ミスリル製で、どの属性にも染まらぬよう排他的な無属性を付与された特別製の鎖である。そのマナ封じの効果は、本来の用途である罪人の為の物より遥かに強い。普通の魔法使いが身につければ、まともに動くどころか、指一本動かせなくなるであろう代物である。
そんな物を身につけながら、当初から平然と動き回っていたあたり、シンの人外ぶりはよく分かるであろう。
勿論、少なくとも当初はマナを封じると言う本来の役目は果たしていた。シンの放出するマナ濃度を常人並みに薄め、周囲に竜属性による侵食を防いでいたのである。
だが、竜属性のもつ侵食性はディクレイルはおろか、シンの想像さえも超えていた。僅か三ヶ月で、侵食され汚染されてしまったのだ。当然、その機能は失われてしまった。
不幸中の幸いだったのは、純ミスリル製であった為、鎖自体が壊れることはなかったということと、シンがマナの制御を完全ではないもののできるようになっていたことだろう。
今のシンは、かつて鎖で強制的になっていた状態を、自身のマナ制御能力で再現しているに過ぎない。
つまり、鎖は今や見せかけだけのもので、本来の機能を喪失した竜属性の鎖でしかないのだ。
「ミスリル製で俺のマナが浸み込んでいるから、武具としても使えそうだよな。
金属練成術とか覚えたら、面白いかもしれないな」
そんなわけで、今や武具代わりである。凄まじきは竜属性。
これでは、学院側の一見過剰とも見える隔離策も無理はない。
「とっ、そう言えば、おっさんに朝一で来いと言われてたな。
……学院に行くのは憂鬱だが、仕方ない。行くか!」
そうして家からでて見上げた空は、憎たらしい程に蒼く澄み切っていたのだった。
「おばちゃん、そのパン二つと牛乳」
「あいよ、あたしが言うことじゃないだろうけど、毎日あんたも飽きないねえ」
学院長室まで行く途中に、馴染みの店で朝食を購入する。
元の世界では、料理を趣味にしていたが、流石にこっちで自炊する余裕はなかった。
なにせ、世界が違うだけに異なる食材もあったし、あるはずの調味料がなかったりするので、色々覚えるべきことが山済みの状況では、涙を呑んで後回しにせざるをえなかった。
それに仮にそれをクリアしても、家に物を長く置いておけないという竜属性の弊害がある。食材など、元々傷み易く脆いもの筆頭である。翌日までもつかも微妙なところである。必然的に外食、若しくは買い食いにならざるを得ない。
「これでも一応夜は作っているんだけどな。それにここのパンはうまいし、種類も豊富だから飽きないさ」
まあ、それでも自身で調理できないというのは、料理を趣味としていたシンには些か苦痛であった。故、せめてもの抵抗で異世界の食材に慣れる為という御題目で、夜はできる限り自炊するようにしていた。
もっとも、納得のできる出来には、未だ至らないが……。
「あははは、嬉しい事言ってくれるじゃないか。そうだ!今日はあんたが言ってたパンの試作品ができたんだった。一つおまけでつけてやるから、明日感想を教えておくれよ」
「おお、ありがたい!俺が提案したやつって言うと、メロンパンかな?」
「そうそう、そのメロンパンさ。初めて聞いた時は、あのど高い果物をパンに使うなんて、正気を疑ったものだがね」
そう言いながら、パン屋の女将さんは、注文したパンに添えて見覚えのある円形のパンを差し出した。
この世界では惣菜パンみたいなものは豊富にあったが、菓子パンの類は殆どなかった。パンが主食なので、必然的にそうなってしまったのだろう。まあ、菓子パンは日本発祥らしいから無理も無いかもれない。
そんなわけで食卓に彩りを求めて、シンは思い切って提案してみたのだ。それがメロンパンだったのは、単にシンの個人的な嗜好による。
「おお、この独特のフォルム、紛れも無くメロンパンだ!こいつは今朝のメインに決定だな!」
「メロンそのものを使うんじゃなくて、造形を似せた甘いパンとは驚いたよ。
今日、売り出した試作品の評判が良かったら、正式に商品に追加するから、楽しみにしておくれよ」
喜色面々でそう叫ぶように言うシンに、女将さんは苦笑しながらそう言った。
「おお、楽しみにしてる!」
これはいい楽しみができたと、家を出た時の憂鬱さはどこへやら、シンはご機嫌でパン屋を後にするのだった。
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