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第09話 それぞれの朝 後編

 その朝、ファイナ・ブルーストの気分は最悪だった。

 人生最悪の気分といっても、差し支えの無いくらい最悪の気分であった。


 「……」


 目が覚めても、悪夢のような現実は変わることは無い。

 ベッド脇に置かれたボロボロの戦闘服が、あの実技試験は確固たる現実であったことを伝えてくる。

 その戦闘服は、レティシアの父親である国王陛下から、特別に下賜された物で、ファイナの宝物だった。


 だというのに、それがボロボロになっているというのに、ファイナは何の感慨も抱かなかった。

 まるで価値を失ってしまったかのように、彼女は無関心であった。


 というかだ、実質は異なるにしても、一応建前上、ファイナはレティシアの護衛ということになっている。

 それを考えれば、こんなところでぼーっとしている場合ではないのだが……。


 「……」


 頭では理解しているのだ。今すぐ起きて、レティシアの下に馳せ参じるべきだと。

 いくら本人から休んでいていいと言われていたとしても関係ない。己は生まれた時より共にあった乳姉妹なのだ。常にそばにあって、影に日向にレティシアを補佐することこそが、自分の本懐であり、何よりの忠誠の証だったはずだ。

 

 だというのに、ファイナの体は鉛のように重く、頑として動こうとしない。

 いや、正確に言うならば、彼女自身動こうなどとは、これっぽちも思っていないのだから、それは当然だ。

 理性ではそうすべきだと理解していても、彼女の心はそれに従っていないのだ。


 「……負けた」


 ぼつりと言葉を発する。それは認め難い現実を端的に示す言葉だった。


 「王家と同じ火属性のあたしが、『純色』の魔法使いであるあたしが一方的に……!」


 口に出すだけで、怒りで頭が沸騰し、腸が煮えくり返りそうになる。


 ファイナの祖国イグニス王国における火属性は、他の属性とは違う扱いを受ける。なにせ建国王が『純色』の火属性の魔法使いであったというのだから無理も無い。歴代の王も、火属性であることを考えれば、イグニス王国における火属性が特別視されるのも、しかたのないことだろう。

 そんなわけで、イグニス王国では火属性であることが好まれるのだ。それが良いか悪いかは別として……。


 ファイナもまた、火属性の魔法使いである。それも『純色』で建国王と同じ真紅となれば、可愛がられるのは当然の帰結といえた。

 ちなみに彼女の母親がレティシアの乳母に選ばれたのも、『純色』の子を産んだからこそであったりする。

 


 ファイナの父は、流行病で彼女が生まれてすぐに亡くなっているので、母子の生活はけして楽なものではなかった。そこに降ってわいたのが、レティシアの乳母という名誉な仕事だったのだ。

 生活に困窮していたところを救われた形になったファイナの母は、王家に深く感謝し、レティシアの乳母を立派に務め上げると同時に、娘であるファイナを王家に忠誠を捧げるように教育した。

 幸い『純色』の真紅の髪で火属性、かつ魔法使いというイグニス王国における最高のステータスの持ち主であったファイナは、王城でも可愛がられ、レティシア共に教育を受けることでメキメキと実力を伸ばし、その才覚を開花させていった。

 レティシアの父である現国王からも寵愛され、実の娘であるレティシア同様に可愛がってもらっていたのである。その証拠というべきものが先の戦闘服であり、あれはファイナの身を案じた国王が特別にしつらえさせた物なのだから、ファイナが王城でどれ程の厚遇を受けていたか、よく分かるであろう。

 

 故に、ファイナにとってイグニス王国は絶対であった。


 気づけば彼女は、祖国こそ最高の国といってはばからない少女になっていた。

 それだけならば愛国心の強い少女というだけで悪くはなかったのだが、他国の者に対して非常に排他的になってしまったのが問題であった(他にも火属性至上主義的な考え方をもっているが、イグニス王国ではそう珍しいものではないので、ここでは割愛する)。

 

 ファイナを実の娘同然に可愛がっていた国王は、この問題を放置すれば彼女の将来が暗くなることを危惧して、一計を案じた。すでに留学決まっていたレティシアの護衛兼側役として、ファイナも留学させることにしたのだ。幸いにして、ファイナはレティシアの乳姉妹であるので、側役としてつけるのはそうおかしいことでもなかった。『純色』、それも真紅の髪を持つ火属性の魔法使いを国外に出すことには反発もあったが、国王はあえて強引に押し通した。


 ファイナはそんなことは露知らず、嬉々としてレティシアに同道した。祖国を離れることにはいささか忌避感があったが、それ以上に国王直々の依頼ということではりきっていたのだ。

 結果として、ファイナはレティシアと共に留学し、マスタークラスに在籍を許されるほどの優秀な成績を残した。レティシアの側役としても、きっちり仕事を果たした。


 しかし、肝心の排他的なところは、少しも改善されていなかった。

 というか、他国の政情等を知ることで、むしろ悪化していた。折りしも、リグリア帝国がその勢力を中原にまで手を届かせようとしている時だった為に、中原諸国は混乱の渦中にあり、右往左往していた国も少なくなかったからだ。


 国籍・経歴共に不明だったシン・レグナムも、ファイナの排除の対象だった。そんなどこの馬の骨とも知れない輩をレティシアに近づけるわけにはいかなかったからだ。学院長の秘蔵っ子だとは聞いていたが、彼女からすればそれがどうしたという話である。

 一応実力で選別されているはずのマスタークラスという器に、コネで入ってきた不純物が入っているとすら思っていた。同僚のガイウスなどは警戒を怠るなと忠告してきたが、ファイナにはシンがそんな大それた人物であるとはかけらも思えなかった。



 だが、それは全て間違いだった。先の実技試験で全ては覆されてしまったのだ。



 学院長から、試験内容を聞かされた時、ファイナは馬鹿にされていると思った。侮られているとも思った。

 いくらなんでも舐め過ぎとしか思えない内容だったのだから、無理も無い。

 合格条件があまりにもシン側に不利だった。マスタークラスのクラスメイト総勢20人相手に、たった一人で無傷で勝つなどという到底不可能な条件だったのだ。


 だから、学院長の言葉を軽視してしまったのだ。勝てないと断言されたことを、現実の理不尽さを知れという言葉の真意を。

 ファイナはそれらの言葉を燃料に怒りを燃やしただけだった。どんな屈辱的な負け方をさせてやろうかと考えてすらいた。


 故に、ファイナは、これでもかという程に己の未熟さを、現実の理不尽さを思い知ることになった。



 初撃の炎弾を無防備で受けたことを皮切りに【魔法の矢】、そして、ファイナが現状使える最も強力な攻撃魔法【爆炎槍】。その全てが通用しなかった。

 しかも、本当に傷一つついていない始末だ。


 学院長の言葉に嘘はなかったのだ。シン・レグナムと自分達との間には、どうしようもない程に厳然たる力の差があるのだと。


 無傷のシンが姿を現したことで、ファイナの心はあっさりと折れた。クレオのように強がることすらできず、呆然と座り込むしかなかった。

 自分がシンの立場なら、確実に死んでいるであろうことをファイナは理解していたからだ。


 だというのに、シンは無傷で疲れた様子すらないのだ。そんな相手にどうして勝てると思えようか。


 イグニス王国の看板を背負っているとか、誇りや忠誠、そんなものは、シン・レグナムという絶対的な力の前には何の役にも立たなかった。精神論でどうにかなる相手ではなかったのだ。

 それを認めてしまった瞬間、ファイナの心は砕けた。彼女を支える根幹、自身が指針としてきたものが崩壊したのだ。

 そうなってしまっては、もう戦えるはずもなかった……。

 


 今のファイナは自身の不甲斐なさと敗北への怒りでどうにか自己を保っているが、最早彼女を支える誇りは失われている。敗北に憤っていても、実際にシンに挑む気など欠片もない。彼女は見せかけでもそうすることで、過去の自分にしがみつき、恐怖から目をそらして、どうにか心の均衡を保っているに過ぎないのだ。


 「陛下、あたしは……」


 ファイナ・ブルーストは、未だに立ち上がることができないでいた。








 「『人竜』シン・レグナムですか……。確かに凄まじい力でしたね。

 確かにあれでは、〈『竜』の力をもった人〉と言うよりは、〈人の形した『竜』〉というべきでしょうね」


 「……」


 レティシアの言葉に、ガイウスは黙ってうなずいた。

 この両名は、自身の侍従・同僚とは対照的に、あの蹂躙劇を経て尚問題ないようであった。


 「ファイナは残念でした。まさか、あの子があんな風になってしまうなんて」


 「……予想はしていた」


 「ガイウスは、この結果を見越していたというのですか?」


 「……ファイナは格上との戦いの経験がなかった」


 ファイナは基本的に自分より弱い者か、同格の相手としか戦ったことがない。本人の才が並外れているせいだが、それは同時に絶対的な力の差というものを経験したことがないということを意味する。勝てる戦いばかりやってきた者に、勝ち目皆無の絶望的な戦いというのは、酷である。

 

 「確かに、国許では同年代であの子に勝てる者はいませんでしたし、何よりあの子は大切にされていましたから、無理も無いでしょうね。

 ――私とは違って」


 レティシアは淡々と語っていたが、最後に強烈な毒を放っていた。


 「……殿下!」

 

 それが内から溢れ出そうとした時、ガイウスが常にない強さでレティシアを制止する。


 「はっ!分ってはいるんです。分かっては……。

 ごめんなさい。私も冷静ではないようです」


 我に返って、慌てて毒を引っ込めるレティシア。

 どうやら平静に見えても、実情は異なるようである。先の実技試験は、彼女にも確かな影響を与えていたようだ。


 「……」


 そこへ行くと、内実が変わらないガイウスの凄さがわかろうと言うものである。


 「ガイウス、貴方は何も思うところはないのですか?」


 「……強いことは分かっていた」


 ガイウスから言わせれば、主であるレティシアや同僚であるファイナが無警戒すぎたというだけである。

 あのディクレイル・アルメイラの秘蔵っ子が弱いはずなど無いのだから。

 実際、ガイウス同様の護衛の役目を担う者の殆どは、シンの強さを自分達より上に見積もっていた者が少なくないのだから。


 「確かに、貴方は実技試験の前から、レグナム殿を警戒していましたからね。

 然程、驚くほどのことではなかったと?」


 「……いや、流石にあそこまで強いとは思っていなかった」


 とはいえ、流石のガイウスにとっても、シンの強さの程度は予想の遥か上だったのは驚きだったようだ。


 「まあ、確かにそうですね。あの強さは少し異常に過ぎますからね。

 まさか、渾身の中級魔法まで通用しないとは思っていませんでした」


 様々な【魔法の矢】の雨、これだけならまだ生き残る可能性を見出すことができないわけではないが、流石にあの全属性を網羅しそうな中級魔法の嵐は無理だ。どう足掻いても死ぬ未来しか見えない。

 というか、そんな絶対の死地を呆気無く無傷でくぐり抜けたシンが異常なのであって、けしてマスタークラスの生徒達が弱いということではない。


 「……あれが『真竜』の力の一端」


 「そうなのでしょうね。ええ、思い知りました。『真竜』が最強である由縁をこれでもかという程に」


 ガイウスやレティシアも、『真竜』の伝説はよく知っている。

 最強の看板は伊達ではなかったということを痛感していた。


 「……これも学院長の狙い」


 「ええ、非常にいやらしい手ですが有効です。我々は伝説の一端を体験させられ、来賓達も理解したでしょう。

 学院長がほのめかしたという『真竜』との繋がりが、けして虚仮威しのハッタリなどではないことを」


 本当に巧妙というほかない。

 本来、ありえないはずの信憑性皆無の手が、シン・レグナムという存在によって肯定され、確かで強力な一手に化けたのであるから。


 「……交渉停滞」


 「ええ、これで我が国含め強硬な態度で技術提供を迫ることは不可能になりました。少なくとも、しばらくは。

 『真竜』との繋がりがあるとは言っても、後ろ盾と言える程のものではないと思いますが、その力が向けられる可能性があるというだけで、脅しには十分過ぎますから。

 ですが―――」


 レティシアは思わせぶりに言葉を切った。


 「……?」


 「この一手は諸刃の剣でもあります。これ程の手を見せ札に使うなど、学院に何かあると言っているようなものです。私が気づいたくらいですから、敏い者は気づき確信するでしょう。

 アルメイラ魔法学院には、帝国に対抗できる術があると」

 

 ある事情から王位継承権は低いレティシアだが、彼女は年に見合わず非常に聡明であった。


 「……確定?」


 「ええ、確実にあるでしょう。そうでなければ、ここまで大胆な手は打てませんよ。

 それにしても、学院長は非常に有能な方ですね。『人竜』という存在は無視するには、余りに強すぎます。たとえ見せ札と見破ったとしても、諸国は人員と労力、時間と予算をある程度つぎ込まざるをえないでしょう。

 結果、必然的に学院側に回す分が減少するでしょう。そこから、学院はどれ程の利益を得るのでしょうね?

 分かっていても、そうせざるをえない手を打つとは、流石は『三賢者』に名を連ねる方です」


 ほぼ完璧にディクレイルの思惑を見抜いた辺り、レティシアも只者ではない。

 この聡明さを普段から発揮してくれると、護衛であるガイウスも楽なのだが、レティシアは興味ないことについては、全くその聡明さを使おうとしないのだ。


 「……留学は継続?」


 「父上からの文を、来賓として来ていたグレッグ卿から受け取りました。私については、このまま継続。ファイナと貴方は、本人が望むなら帰国も許すと書いてありましたよ。どうしますか?帰ります?」


 小悪魔めいた笑みを浮かべて聞いてくるレティシアに、ガイウスは苦笑しながら首を振った。


 「……帰らない。俺は貴女の剣であり盾」


 「そう、ありがとうガイウス。貴方がそう言ってくれるだけで、百の兵を得るよりも心強いわ」


 「……数字現実的」


 そこは万とか、せめて千というべきだろうとガイウスは抗議するが、レティシアは意地悪げに笑って答えた。


 「だって、今の貴方なら百の兵士を相手取るのが精一杯でしょう?」


 「……強くなる」


 「ええ、期待しています」


 憮然とした表情で、ぼそりと決意を漏らす自らの騎士に、レティシアは満面の笑みで微笑むのだった。

 ――自らの胸に穿たれた孔を隠したまま。

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