視端映影角落恐怖談義
世の中には不思議な事がありふれていまして。
例えば、こんなことはありませんか?
アナタの視界の隅に映る黒い影。それは大小様々で、気付いて視線を向けてももう居ない。
何か居るのか不安になるけど、目の錯覚や飛蚊症と思い込んで、少し怖くなっちゃたもんだから眼科に行ったりしてしまう。
でも、結局の所、異常はない。
杞憂だったか、とホッと息を吐く。
けれど、昔こんな話を聞いたことがあります。
視界の隅に映るものは、異界の者達なんだそうです。
視界の隅にふと、向こう側が見えてしまう。
それは一体何処の世界なんでしょう? 地獄? 魔界? まあ良い所では無いのでしょうね。
けれど、その先を見ることは無いのです。普通ならば。
少しでも、一瞬でも見えてしまうのは、しいて言うなら不手際みたいなもんです。イレギュラー。監督不行届。
一瞬だけ、非日常を味わえるんです。本人が気付く事は、滅多にありませんが。
でもたまに、普通じゃない人も居るんですね。
運が悪いだけなのか、はたまた生まれ持った性質なのか。それはわかりませんが。
まあそんなわけで。今から語る話は、運悪く先を見届けてしまった人達の話です。
◆右見て左見て
小さい頃に教わりませんでしたか?
道を出るときは、ちゃんと左右確認しなきゃ駄目よ、って。まあ年を取るに連れ、手慣れて来るもんで。左右確認もサッと済ます人が居ますよね。たまに出てから確認する人も居て、あんたそれ遅すぎない?
なんて思う事も多々あります。
まあこれは、夜道を確認した時、不幸にも見てしまった人の話なんですが。
ある男がまだ夜も老けて間もない頃。九時頃ですかね。祖父祖母の家へ向かおうとした時の話なんです。
男の祖父祖母の家は近い所にあって、行くまでに道が一本横切る程度の距離でして。
けれどそういう道に限って、車通りが激しいもんでしてね。小さい頃こっぴどく怒られてから、男は左右確認は怠りませんでした。
だから男はその日も左右確認したんですね。
右見て、左見て。
その時でした。
左を見た時の視界に、黒い人影が映ったんだそうです。
左側の道は、ほんの少し行くと途切れていまして。その先は、一面田んぼになってるんですよ。
その日は晴れてていい月夜だったんで、よく見えたんですね。
ただ散歩している人だ。まあそう思いますよね。
けれど一度見たからには、もう一度確認したくなるもので。
男はもう一度見たんだそうです。ーーけれど居ない。
そこで男は冒頭の様な話を思い出したんですね。「ただの気のせいか」そう思った男は、道を渡ろうとしました。
そこでまた習慣が出て来まして、反射的に確認したんですね。
右見て、左見て。
その時に、今度こそ見たんですね。
もう一度見直しても消えない人影を。
まあ普通に男と同じで、横切ろうとしている様でして。
だけど、そこで男はふと可怪しいと思ったんですね。
ーーなんか大きさ可怪しくないか、と。妙にデカイんですよ、高さが。
まるで足長おじさんですね。
そこで男も思ったんだそうです。これは駄目なやつだと。
見なかった事にして、さっさと家に入ってしまおう。
そう思って道を渡ろうとした時、またしてもやってしまった。
右見て、左見て。
ーー人影がこっちに向け、走りだしていたんだそうです。その長い足を活かして、ものすごい速さで。
よくよく見るとサラリーマンのような格好をしていて、シャツとズボンを着ているんですね。
だけど可怪しい。だってあんな胴が長い服、あるわけないんだもの。
もう確認なんかする暇もない。恐怖のあまり、叫んで走りだしたんだそうです。目の前には。祖父祖母の家があるもんですから。
入ってしまえばこっちのもの。
玄関開けて、家に入る瞬間、男は気になったんですね。
後ろを振り返って見たのは、月の光で地面に映った、異常に長い影。そして、屈みこんでこちらを除く男の顔でした。
その夜は、男はもう家から一歩も出ることが出来ず。結局、祖父祖母の家で寝泊まりしたらしいです。
男はその日以来、左を見る事が出来なくなったそうです。
◆竈馬
カマドウマって虫いますよね?
田舎――というか自然豊かな所の人なら、壁に張り付いているのを見た事があるかもしれません。
私も最近、階段の壁に張り付いているのを見てしまい、まるで童女の様な声を上げてしまったんですが。
まあこの話はいいとして。
カマドウマは、別名ベンジョコオロギ、オカマコオロギとも言うそうです。
それでこれは、カマドウマにそっくりな“モノ”を見てしまった。そんな人の話なんですが。
私の知り合いなんですが、男がアパートに住んでたんだそうです。
男はその春ちょうど大学生になりまして、“県外組”と言われるような。
故郷を離れて暮らす人だったんですね。
東京程都会でもないですが、そこそこ発展した所で暮らしてたそうでして。
男はその町並みを見るのが日々の日課になってたんだそうです。
男のアパートはよく見る普通のアパートではなく、四角い箱の様な所でして。
そして、男は変わったことに、部屋にあるベランダからではなく、道に沿った垂直な壁にある、窓から外を見るのが好きだったそうです。
垂直の壁に埋め込まれるようについている窓。そこから煙草で一服しながら、帰宅途中の人達を見る。
何時も通りに済むはずだった日課。これはその日課が、何時も通りにはいかなかったんだそうです。
男はいつものように、煙草片手に窓を開けたんですね。
帰宅時刻の中では早い時刻でして、地平線にはまだ紫色が残ってたそうです。
OLや男と同じ学生、高校生らしき少年。男の住んでいたアパートは、すこし丘になっている所に建っているもんでしたから、見るのには困りませんでした。
窓枠に肘をつき、少し視線を下げてみると、視界の隅に黒い影が映ったそうです。まあ別に大したものではない。たまに部屋でも黒い影が横切ると錯覚することもある。
脳の反応だ。まあそう片付けたんですね。
しかし、部屋の黒い影は虫かも知れない。部屋に入ってこられちゃたまらん。
ーー殺虫剤でも買い込むか。そう思って一息吐くと。
またまた黒い影が映っちゃったんですね。
二度目となると少し気になっちゃうものでして。男は視線を下に向けて、何気なく見たそうです。
そしたらーーカマドウマが居たらしいです。
ただ視界の隅に映るぐらいですから、並ではない大きさでして。何と人程にもあったそうです。しかも黒い薄ボンヤリとした輪郭の影でしか判別できないものですから、更に大きく見えたそうです。
まあ長くみていれば目も慣れて来るもので。徐々にボンヤリと見えてきたそうです。
ーー人でした。手足の比率が可怪しいですが、確かに人です。手足で張り付いていたんですね。垂直な壁を。カマドウマみたいに、関節を曲げて。
まあ人でありますから、服も来ていまして。赤いチェック柄のシャツにジーパンと言う格好で、帰宅する人の中に居ても可怪しく無い服装でした。
丁度上を向くように張り付いていまして、顔が見えたそうです。上をぼんやりと見つめ、意思は全く感じられない。
ーーああ、虫って確かにこんなだ。そう思ったそうです。
しかし、カマドウマ男は男に気付いたようでして、顔を傾け男を見たそうです。瞬間、厭な笑みを浮かべたんですね。それはもう、粘着くような。
キィ、と硬質な音が鳴りました。それは虫男の鳴き声だったのか、窓枠からなる音だったのか。知る由もありませんが。
まあそれが男を正気に戻らせたんですね。煙草を捨て、体を引っ込め窓を閉める。
あの時程早く動けるのは、二度とないだろう。
いや、なるような状況にあって欲しくない。男は後にそう語ったそうです。
虫男はそれでも這いずり回り続けて、継続的に窓を叩く音が聞こえたんですね。
男は怖くて、毛布を被り、窓から一番離れた所で震えてました。
断続的に、音が止む時があったんですね。
ーーいなくなったのか。
だけど、その男は確かめなきゃ不安な性質をしていまして。
気になった男は、見てしまったんです。
窓の向こうから、ニヤニヤわらってたそうです。
それから、外も見ずに蒲団にくるまり続けていたら。
いつの間にか朝になってまして。
男はそれ以来、夜中は窓も開けず、アパートの外に出る事も、男はしなかった。
いや出来なかったんですね。
これは後日談となるんですが。虫男が来ていた服が、妙に見覚えがあったんだそうです。
暫く経って思いだしたそうですが、近所で自殺した男が着てたんですね。男は飛び降りで、頭が見事に潰れていて、身元確認に梃子摺ったらしいですね。
これは余談なんですが。カマドウマは跳躍力がとても強く、壁に自ら激突死してしまうほどなんだそうです。
男は少し、力加減に失敗してしまったのかも知れませんね。
◆水風船
これは知らない人は居ないんじゃないでしょうか。
店で売ってたり、祭りの屋台で見たりしますよね。
まあ今話すのは前者の方でして、水道の口につけて膨らませる奴ですね。
昔はよく駄菓子屋で見たものです。
今では駄菓子屋も少なくなりました。
私もついこの前、近所の駄菓子屋が暫く休むなんて張り紙がはられているのを見まして、未だに再開していない所を見るに、もうやらないのかも知れません。
まあだからといって売ってないわけではなく、百円均一のお店ーー俗に言う百均で見かけたりしますよね。
まあこれは、知り合いの女の子から聞いた話なんですけど。
その娘が当時、十六歳の頃だそうです。
高校生ですね。花のJKと言うやつですね。
珍しい娘でして、その年で家族と祭りに行ってたそうです。
その年頃の子どもというのは、なににしても友達と過ごす頃なんですがね。
友達がいないのか、はたまた家族が好きなのか。
どっちか知りませんが、その娘は家族で祭りに行ってました。
その娘の家族は、父と母そして弟。四人家族だったそうです。
祭りも、その地元では一番大きなモノで、神社の敷地の中では、お化け屋敷やら迷路なんてやってたそうですよ。
まあこの話は、そんな夏祭りの時の話だそうです。
その娘は、家族と一緒に屋台を見て回っていたんですが、弟が逸れてしまったんだそうです。
まあ小さい子にはありがちなことです。
むしろ祭りで迷子も、祭りの花なのかも知れません。
けれど本人たちにとっては大変なことでして。
三人で手分けして捜すことになったらしく、その娘もケータイ片手に走り回りました。
結果から言うと、すぐ見つかったそうです。
神社の外れは灯が届かなく、異界のような暗闇の場所が一部ありまして。
そこに居たんだそうです。
娘は敷地内にある薄暗い所、そこに一番に来たんですね。
理由は特に無かったらしいです。
そこに、男の子が一人しゃがみ込んでました。
知らない男の子です。
まあこんな夜中でそれも十分異常なのですが、娘は気にせず辺りを見渡したんですね。
視界を巡らせ、念の為もう一周巡らせる。
すると不思議なことに、男の子がいた所に弟が居たそうです。
金魚柄の藍色の浴衣。弟だとパッと見て判る服装。
弟はしゃがみ込んで、顔を俯けていたんだそうです。
一瞬で現れたように娘には感じられて、まるで男の子が弟に取り変わったようだ。
けれども、そんな違和感より心配が先に来たんですね。
娘はすぐさま駆け寄って声を掛けたんだそうでして、弟もその声に立ち上がって振り向いたんだそうです。
その時なにか可怪しい、そう思ったそうです。
娘も上手く表現できないらしく、説明する時も、たどたどしい口調だったのですが。
張り付いた、薄っぺらい、置物の風船人形の様なーーとにかく異常な物に見えたそうです。
笑顔の多い子だったらしいのですが、その時は笑顔以外の顔を浮かべない。
いくら何でもそれは可怪しい。
なんだこれは。娘は、そんな事を思ったそうです。
“お姉ちゃん、お姉ちゃん”
そうとしか言わずに近づいてくるそれを見て、娘は思わず背を向け走りました。
後ろから、「あ、止め忘れた」
そんな声が聞こえたと思ったら、何か破裂する音が聞こえ、足首に水が跳ねてきたそうです。
足に伝わる水の冷たさが、酷く不気味なものに感じられた。
娘は体を震わせながら、そう言っていました。
恐怖に突き動かされるまま、無我夢中で走っていると、気が付いたら手の中で携帯が喚いている。
慌てて出ると、親から一言「見つかった」と聞かされたんだそうです。
それ以来、夜の神社ーー特に暗闇には、一人で絶対に近寄らない事にした。
娘はそう言ってました。
ですが気になって、昼間に再び足を運んだそうで、そこには小学低学年程の子達が遊んでたんだそうです。
ーー水風船で。
◆
異界ーー妖怪や怪異が住む世界というのは、意外と薄っぺらい壁の向こうにあるのかも知れません。
それもガラス製の壁で、彼等には飴細工当然の脆さ。
少しでも見える素振りを見せたら、彼等は平然と此方へ踏み込んでくるのです。
当然のような顔をし、漠然とした姿しか見せず、彼等は歩み寄ってくる。
どうすればいいのか、だって?
それはわかりません。そもそも出会う確率だって、馬鹿みたいな確率です。
まあ出会ったら、運が悪かった。そう思うしかありません。
運が良ければ、私の知人達のように話のネタが出来るかも知れませんよ?
終
話の元は、友人と友人の妹から聞いた話から。