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ここって? 007

四季しき君、そろそろ起きてくださね――」


 めぐるの部屋の扉をノックする音と共に六月の声が室内に響く。午前七時の事である。


「はあ…………やっぱり…………駄目か」


 溜め息にも似た呟きを一つ漏らした巡は、六月に起こされるまでもなく目は既に覚ましていた。


 急激な環境の変化で眠れなかった、という訳ではない。むしろ普段……元の世界にいた時より長い時間寝る事が出来た。


 ――テレビも無ければゲームも漫画も無いし、それよりも――


 昨晩、何かと衝撃的な話を終えた巡が、食堂から自室に戻ったのが午後九時頃であった。大浴場は当面の間、女性専用ということで、部屋に備え付けの風呂に入った後、ベットでゴロゴロしながら六月が用意してくれた目覚まし時計を先ずセットした。起こしてくれる人がいない一人暮らしの習慣であった。次に、スマートフォンのような通信装置をゴチャゴチャといじっていた。電波が届かなくなって大型の携帯時計と化した携帯電話の代わりに渡された物だった。さすがに『神宿かみやど』も携帯の電波や充電の規格までは保証してくれないらしい。

 そうこうしているうちに、緊張の糸をプツリと切った睡魔に夢の世界へと連れ去られていた。


 そんな巡が意識を覚醒させたのは、かれこれ三十分程前の事であった。ついでに、朝、部屋まで起こしに来てくれる可愛い幼なじみ代わりの目覚ましが、けたたましくアラームを鳴らす前でもあった。

 ところが巡は素直に起床する事なく、布団に潜ったまま更には目も閉じていた。一応巡の名誉の為に言っておくが、決して惰眠をむさぼっていたわけではない。今更ながらであるが、昨日のファンタジーな出来事を壮大な夢オチにするため、今まさに目を開くタイミングを計っていた。


 ――いや、わかってるよ。現実の出来事だってわかってるけどさ、最後のチャンスなんだよ。そう、目を開けたら、全てが元通りになっているはずなんだよ。例え今、俺が寝ている布団が違っていてもさ、目を開けた瞬間、元に戻るんだよね。

 そうだよ、これこそ夢オチの本道だよね――


 未だに思考回路が寝ぼけているのだろうか、意味不明な妄想は、


 ――さあ、起きよう。いや待て待て、こう言う事はタイミングが重要なんだよ。気軽に目を開いては駄目なんだよね。もう十秒数えて――


 などと更に広がる。そんな事をしているうちに、三十分が過ぎていた。


 そこへ飛び込んで来た六月の声が、巡の妄想を打ち砕き現実世界へと引き戻した。更に、はっきりとした返事を返さないでいた巡に焦れたのか、


「――あらあら、私からのお目覚めのキスを待っているのかしら? マスターキーを持っていますし……」


 巡に直接言ったわけではないのだろうが、扉の向こうから目が覚めるような一言に、チャリン、と金属音。六月からの甘い甘い朝のお目覚めを、ほんのちょっぴり僅かに一瞬でも期待した巡は、


「へ? ぜ、是非……あっ、六月さん?」


 思わず口から出てしまった。が、慌てて布団から顔を出して、


「い、いや、違う……違わないけど、違います。残念ながら起きちゃってます!」


 つい口から発した言葉を訂正した。


「あらあらごめんなさい。寝起きの男の子って見られたくない部分があるわよね」


 怪しい事を扉越しに言い出した六月に、そんな事ないです、と返した巡は、


 ――てか、夢オチ、完璧に有り得なくなっちゃった。とは言っても、今更夢オチを期待するのは駄目だよね――


 と胸中で思いながら、ゆっくりと体を起こし窓の外へ顔を向ける。目に映る景色は、昨日見たものと同じ近隣の家の屋根であった。


 ――あの建物達は、実体のある幻なんだよな……何だか意味がわからないな――


 胸中の思いを言葉にしたくなかったのか、それとも単に口を動かしただけなのか、巡は呟きにもならない呟きを一つ入れると、


「快晴か。絵に描いたような……ああ、そうか……」


 何年ぶりかの早寝をして、それなりにすっきりとした朝を迎えた表情は僅かに影を作った。

 寮は南向きの建物である。巡の部屋は一番東側、所謂いわゆる東南角部屋と住むには条件の良い部屋である。しかし部屋の東側には残念ながら窓が無いため、直接朝日が差し込む事は無い。それでも南の窓から見える景色は、春の日差しの柔らかな暖かさを感じる、そんな快晴であった。

 昨夜の話を聞かなければ素直にそう思えただろう。うつに入りそうになる巡に、


「早く準備して食堂に来て下さいね。皆が待っているわよ」


 扉の外から六月が、中々出てこない巡を急かす。その声に巡は思考を中断して、


「へ? あっ俺いつも朝食は――」

「ちゃんと食べないと駄目です。例え四季君のお母さんが許しても、みんなを監督する立場にある寮監の私が許しません」


 巡の悪習は許さないとばかりに、六月は巡の言葉を切って優しく諭し、それとね、と言葉を続ける。


「この寮では『特別な理由が無い限りみんなで揃って食事をする』事にしてるのよ。だからね、七月ちゃんも、四月ちゃんもお預け状態で待っていると思うのよね。

 ほらほらよく言うでしょう、『食べ物の恨みは恐ろしい』ってね。四季君は昨日も待たせてたみたいだからね、ポイントが貯まっているかもね」


 ありがたくないポイントがあるもんだ、と巡は思いつつ、


「うっ! す、すぐに行きます!」


 昨日はみっともない姿ばかりを見せていた負い目もあるのだろう、これ以上彼女達の心証を悪くする事を避けたい巡は、慌てて支度をすると食堂へ向かった。


 朝食をすませた巡は制服に着替えると、一人で寮を出て、学校へと向かっていた。

 といっても、同じ学校に通っているという七月や四月に嫌われたわけではない。朝食を終えた巡が六月と本日の予定等の話をしていると七月が、


「遅刻すると示しがつかないのでな、先に行くぞ。今日に限っては多少の遅れは認めるが、四季巡も出来るだけ早く来いよ」


 カッチリとした優等生的な言葉を残し、四月と共に先に寮を出て行った。

 ちなみに巡が寮を出て振り向くと、玄関には穏やかな微笑みと小さく手を振って見送りをしてくれる六月の姿があった。巡は少々照れながら小さく手を振って返しながら気付いた。


 ――あれ? いつの間に?――


 玄関脇の柱に掛けられていた縦書きの文字から『女子』が消えて、単に『四季寮』となっていた。


 巡が住んでいる――今となっては住んでいたと言った方が正しいかもしれない――岬丘さきおか市の新繁華街北部に位置する新興住宅地から、新岬丘駅を挟んだ新繁華街南部に県立岬丘工業高校はある。

 自宅から駅までが徒歩で約二十分、駅から先の学校までは更に三十分少々の時間が必要だ。徒歩の通学では概ね一時間と少々時間がかかるが、


 ――自転車は寄り道の邪魔になるからね――


 と、遊びの誘惑が多い繁華街を通る巡にとって、自転車は便利であるが、盗まれたり、違法駐輪で持っていかれたりと、心配事が尽きない。実際、自転車で通学を始めて、一週間しないうちに、他人様の物になってしまったようだ。

 ちなみに自転車が消えてからしばらくはバスを使っていた……が、バス停までの徒歩、待ち合い時間、乗り換え、朝の渋滞、各バス停で停車等などの理由で、徒歩より数分早い程度である。従って一人暮らしになってからは、健康に良いとされる徒歩へと変更した。まあ建前である。


 ――仕送りは定期代こみだしね――


 という事で、遊興費ゆうきょうひを増やすために親には内緒で却下した、が本音のようだ。その上、置き勉、購買パン、帰宅部なので、鞄は空っぽ同然であったので重い荷物もなく手ぶら感覚だったのも徒歩通学に一役買っていた。いっそ本当に手ぶらでも良いじゃないかとも思うが、一応学生としての性分か、空鞄は持ち歩いていた。


 ――最近は物騒だし、万が一、通り魔に遭遇しても鞄が盾代わりになるかもしれないからね――


 当時の巡はそう茶化していた。

 もちろん、本物の盾で身を守る事になるかもしれない、そんな物騒な事態に巻き込まれるとはこれっぽちも思わずに。


 それはさておき、この『異世回廊いぜかいろうの交差点』でもお気楽な徒歩通学である。朝食の後、六月から、元の世界と同じところに学校があるはず、と聞いていたため、通い慣れた道を歩く。

 巡の目に映る街並は、昨日と同じく元々住んでいた世界の景色である。しかし巨大な船の中と聞いたためだろうか、元の世界にはない閉塞感や圧迫感を昨日より強く感じていた。


 ――この街って俺の記憶から作られているのか? いや、でもどの建物も中身はあるとか言ってたし……それにしてもそっくり……というのか全く一緒だよな――


 半ば感心気味に辺りを見回しながら、しかし無言のまま歩く巡が、一番賑わう駅前繁華街に差し掛かったところで、だけどなぁ、とポツリ呟いた。その言葉をきっかけに、


「……人がいねぇ」


 溜め息と一緒に吐き出した。

 今は午前九時少々前の駅前繁華街である。通勤のラッシュは過ぎたとはいえ、まだまだ大勢の人がいてもおかしくない場所である。なのに街の喧噪はどこへやら、片田舎の無人駅のように静まり返っていて、人どころか走っている車も皆無という状況である。


「てか、真夜中かよ!」


 巡は思わず声に出した。叫んだという程の声量ではないが、見るからに無人の駅ビル内に響く。もし駅員がいたら飛び出てきたかもしれない。

 事実、寮を出てからここに来るまでに出会った……というより見かけた人の数は、片手で足りる程度であった。見ず知らずの人に声をかけて、誰とでも仲良しになれるという目出たい性格でない巡は、見かけた人を当然スルーしていた。


「しかしこの船って、無駄に広くないか? まあここは居住区という事だから、船員さん? 達もここに住んでいるとは思うんだけど……とりあえず、学校で誰かに訊いてみるか」


 ブツブツと呟きながら、学校へと足を進めた。


 約三十分の後。時間は始業のチャイムがとっくに鳴り終わっている午前九時二十分。人の存在、それどころか生物の存在すら感じない、しかし見慣れた住宅地の道を足早に抜けると、確かに巡の通う県立岬丘工業高校のあるべき場所に、六月から聞いた通り学校らしきものがあった。

 で、


「なんじゃこりゃ!!」


 校門前に立つ巡の叫び声が、静かな学内にこだました。


「…………」


 辺りを一瞥いちべつしながら一拍の間を開けると、


「まあ、今更驚く事でもないよな」


 改めて思い直し、自嘲気味に頭をいて呟いた。同時に、


 ――しまった、六月さんに学校の場所だけじゃなくて色々聞いておけばよかった――


 妙な反省を胸中で思いながら、しかし、と巡は口に出す。

 目の前の校門は、巡が元の世界で通っていた岬丘工業高校と同じ見慣れた門である。

 その先にある前庭ロータリーの中央には達筆な文字で『飛翔』と彫られた石のモニュメントが、自己主張するように鎮座している。裏書きを読まない巡には、それが学校創設時のものなのか、それともOB達が周年行事に合わせて寄贈したのかわからない。しかし巡がこの学校に入学して以来、毎日のように見ている石碑であった。どこかに変化があれば、それこそ違和感を感じるのではないかと思うほど、見慣れたものである。


「同じだよな……」


 ロータリーの奥、巡の正面には見覚えがある管理棟に、そして向かって右手側には体育館、


「そう、これも同じだけど……」


 だけどもな、と巡は視線を左に向ける。そこにあるのは校舎らしき建物なのだが、


「えっと……何故に平屋? てか、普通、オーソドックスな校舎って三階建てだろう。高校なら三学年ある訳だし……とは言っても、まあ、人がいないからなのかもしれないし――」


 今更ながらな事を口にする巡は大きな嘆息を一つ間に挟んで、


「――てかさ、学校らしい活気が無いっていうのか、もしかして俺達だけなのか、ここに通う学生って……って、そもそもここって……」


 ブツブツと呟く巡は、寮のメンバーや玄関に掛かっていた看板を思い出して、一歩、二歩と後退すると門柱に目をやる。と、そこにある青銅のプレートには『県立岬丘高等学校』とあった。

 それを見た巡は、両掌を上に向けて肩をすぼめ持ち上げると、頭を二、三度振って、


「まあ、『工業』の文字が『女子』になってないだけましか。これなら男子トイレもありそうだし、他にも男子生徒がいる……だろう。きっと……たぶん……何だか救われちゃった気がするよ……ははは」


 と、呆れのジェスチャーで『工業』の文字が消えているプレートを見つめて、乾いた笑いを混ぜて呟いた。




 七月は、おかしな叫び声が聞こえてきた方向を見た。


「ん? 四季巡か。しかしあいつは一体何をしているんだ」


 言いながら、イタい人に向ける嘲笑のような笑みを作った七月は、校門前で叫んだと思ったら、今度はおかしなポーズをとって、中々校内に入ってこない巡を教室から見ていた。

 隣に座る四月も、


「四季か? 不思議な……というより面白い奴だな、ヌハハハ……」


 七月に賛同しながら、悪巧みが上手くいった悪の親玉のように大仰な笑いをトーンの高い声音で付け加える。と、


「ふむ、あれがお前達の神宿男かんなどになる予定の四季巡君なのだな」


 七月と四月は外へ向けていた視線を声が聞こえてきた方へと向ける。その視線の先には、足を肩幅程開き、腕をガッチリと組み、ビシリと背筋を伸ばした威風堂々の立ち姿で、教室の一番前側の窓から巡のいる校門方向を見据える少女がいた。外観は小学三、四年生ほどの文字通りの少女である。くりくりとした瞳につり目が可愛らしい童顔。その体に合わせたようなトーンの高い声。なんというのか、言葉の重みや威厳を台無しにしていた。

 全くもって尊大な物言いや態度が似合わない少女の問いかけに、


「はい、今日の適合検査で確定すると思います」


 七月が、六月と話すときのような丁寧な言葉遣いで答えると、少女は外を見据えたまま、ふむ、と頷き、視線を教室内に戻す。


「管理局を経由せず直接ここに来た特異な経緯の持ち主と、六月から連絡を受けているのだ」


 少女は相変わらず似合わない尊大な物言いと態度で、何かに納得したような頷きを、二、三度繰り返しながら、


「ならば、まごつくのも無理もない事なのだ。ともすれば、彼奴の目には入り口が映っていないのかもしれないからな。しかし、いつまでもあそこで、わけのわからんポーズをとられていては、この学校の品位が問われてしまうのだ。

 七月さん、四季君を迎えに行ってくれ」

「はい、十二月先生」


 二つ返事で七月は席を立つと教室から出て行った。




「四季巡!」


 突然呼ばれた名前に、巡はすぐさま呆れのジェスチャーをやめて、声の聞こえた校舎方向を見た。


「――いつまでそうしているつもりだ。近隣の方々に学校の品位を疑われるし、迷惑だ。それにホームルームは始まっているぞ」


 続けて言われた声の主は、七月だった。

 校門前で一言叫んだあげく、その場で立ち止まったまま入ってこない巡に業を煮やしたのだろうか、眉をやや立てている彼女は、校舎中央付近の昇降口から出てくると同時に声を放っていた。


 ――へっ? 近隣って、ここって人が住んでるの?――


 巡は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 ――いやいや、七月さんには、何かが見えているのかもしれない……霊的な意味じゃなくてね――


 怪しい世界なんだから、と納得する巡をよそに、一歩、二歩、三歩とやや早歩きで近づく七月は、更に言葉を続ける。


「その様子なら校門の位置は、元の世界の学校と同じようだな。それなのに何故、入ってこない?」

「あっ、七月さん。いや、なんと言うのか、見慣れた学校があまりに変わっていたから……その、言えば驚いていたと言うのか、呆気に取られたと言うのか――」


 巡の言い訳を七月は、


「そろそろ慣れろ」


 バッサリと斬った。


「いや、慣れろとか……俺、この世界に来たの昨日だし、何より街中全部が違っていれば、諦めがつくとか開き直れるとか、まあ、いちいち驚かなくなると思うけど……けどさ、自宅とか学校とか、こうもピンポイントに違うとね、やっぱり見るたびに驚いちゃうわけだ」


 巡は頭を掻きながら今一度言い訳がましく言う。


「まあ、わからんでもないな。あたしもここに来た当初は、似たようなもんだった――」


 七月が同意の言葉をきいて巡はちょっとだけ嬉しくなった。


 ――俺だけじゃないんだな。多分他の皆も同じだったんだろう――


 ところが、


「――しかし、四季巡にこの世界がどう映っているのか、あたしにはわからないが、元の世界とは随分違うみたいだな」


 と、続く七月の言葉に巡が、そうでもないさ、と言いかけたところで、


「とにかく教室へ急ぐぞ。先生も四月も四季巡を待っている」


 七月に言葉を被せられて口を閉じ、急かす七月の言葉に従って昇降口へと向かった。


 昇降口にも寮と同じく、標準サイズの扉と一つの大きな扉があった。


 ――ここも大きな物の搬入用の扉なのかな、天井も高いし――


 思う巡だったが、


 ――まてよ、四月みたいなちっちゃいのがいるわけだから、大きい方がいてもおかしくないか――


 普通ならすぐにでも気付きそうな事を、ようやく思いついた巡に、土足から上履きへと履き替えた七月が、


「今日はこれを使ってくれ」


 言って差し出したのは、来賓用と金文字で書かれているが、安っぽい茶色のビニールスリッパだった。

 巡は、ありがとう、と礼を言って受け取ると、予測してはいたが目の当たりにすると異様な光景に閉口する。


 ――確かに天井の高さとか、入り口に気をとられていたけど、こうして見るとおかしいだろう。ここって高校だよね。そりゃまあ、最近は少子化で小学校なんかはクラスが減ったり、合併や閉校とかあるけどさ、高校ならそれなりにクラスがあって……って、校舎がこれだからな……しかし下駄箱が一台しかないって……しかもだ、枠が二十個しかないって、生徒は最大二十人か? ってかさ、一応使われている形跡があるけど、今入っているのは、どう見ても四月と七月さんの靴だよね。って事はさ、今いる生徒って俺を含めて三人なのか? まあ、六月さんは女子高生っていうには、無理があるから……あっ、これって聞かれるとマズいかな――


 巡が下駄箱が一台だけポツリと置かれた昇降口に対する考察を胸中でまとめていると、


「おい! 四季巡、何をやっているんだ? 早くしろ」


 スリッパを抱えたまま思案中の巡は、唐突にかけられた七月の声に、


「ひゃい! ろ、六月さんって……あっ、いや、何でもないんだ、何でも……す、すぐに行くよ」


 一度体をビクリとさせて、思わず出た言葉を、声を裏返しにごまかした。そんな巡に七月は半目の呆れ顔を向けて、


「この世界の予備知識がないから仕方ないとはいえ、本当に何かと考え込む奴だな。良く言えば思慮しりょ深いとか……」


 言葉半ばで、巡がスリッパに履き替えたのを確認した七月は、くるりと向きをかえて校舎の奥に向かって歩き出す。同時に背中の羽が、バサリ、と動き、


 ――あっ、良い匂いが……七月さん? 香水じゃないよな……羽からかな?――


 外では感じなかった、甘い匂いが巡の嗅覚を刺激する。


 ――なんだか懐かしいというのか……えっと……なんだけっな――


 匂いは記憶に直結しているというが、思い出せそうで思い出せない。全く覚えがなければ、良い匂いだ……ムフフ、ですんでいたのだが、ベールの向こうのシルエットを見せられているようで、タチが悪い。とはいえ、ここで考え込んでいては七月にまた叱られそうだ。

 もやもやとした胸中に歯がゆさを覚える巡は、匂いに引っ張られるように七月の背中について歩き出す。

 七月は、巡がついてきたことを確認し、それでな、と静かに止めていた言葉を繋ぐ。


「四季巡はあたし達の神宿男かんなどになる予定だからな、もっと素直に甘え……いや頼ってくれた方があたしとしては気が楽なんだ。

 神宿男と神宿女かみやめは生死を伴にするらしいからな……まあ、伴に過ごす時間も長いだろうし……」


 巡から七月の表情はうかがえないが、口ごもりながら話す七月は頬を薄桜色に染めていた。


「そりゃまあ、一緒の寮に住むわけだから――」


 巡は七月の背中を見ながら言葉を返す。しかし七月は、そういう意味ではない、とばかりに微妙に見当外れの巡の言葉を遮り、


「とにかくだ、四季巡の無知であたし達が恥をかくのはごめんだ、ということだ」


 その照れ隠しなのだろうか、七月は進行方向を見つめたまま不機嫌そうに言って、歩く速度を僅かに早めた。

読み進めていただき、ありがとうございます。

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