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ここって? 004

 進む先に広がるのは闇。 

 闇が一切を拒絶しているかのように、光も、物体もない。

 進めど進めど広がるのは、先の見えない闇。

 そんな深い暗黒の空間だ。


 だが、唯一の例外と空間に認められたのだろうか、仄白ほのじろく光る半透明の壁で形成された球体が、一つ浮いている。

 尺度が狂ってしまうような空間に浮かぶ球体は、かなり巨大なものである、といえる。


 それは、


 仄白く光る壁で隔絶された内部の空間に、球体の規模からすれば爪先にも満たない程の『影のような何か』と、それよりも更に更に小さな赤や青、緑等の光を放つ何かが数個、尾を引いて球体の中を飛び回るように動ている。

 明らかに人工の光である。


 そして何かに向かって突き進む『影のような何か』の行動を阻止するかのように、光の二つが『影のような何か』を中心に、集まっては離れ、また集まっては離れを繰り返している。そして時折その二つの光が大きく離れると、別の二つの光からそれぞれ一閃、尾を引く光が『影のような何か』に向かって走る。直後、先の二つの光が『影のような何か』に向かって行く。

 それは蛍が求愛のロンドを舞っているかのような――戦闘であった。仄白く光る球体は、ある種のバトルフィールドであった。


「あれって、ひいき目に見てもSクラスだよな。オーダーシートにはAクラスって表記されていたはずだぞ。

 ――ったくよ、探査局の奴ら何やってんだよ」


 水牛のような角を頭に生やした男が、誰にともなく悪態をつく。


「てか、知ってたら受けなかったけどね。

 それにしてもマズいな。突破されそうな勢いだぜ」


 その男は、球体と外の空間の境界面近くを動き回る四つの光や『影のような何か』から少々離れている球体の中心で、『十字架にはりつけられた生け贄』とでもいうような姿で浮いている。その場を動けないのか、四つの光と『影のような何か』が戦闘を行っている方向へと体全体を向けて、心配げにその行方を見つめるだけであった。


 彼を仄白く光る球体の中心に拘束しているそれは、鈍い銀の冷ややかな地肌を剥き出しにした金属製で、身長の倍程、四メートル近くの全高を持つ十字架。

 だが十字架に見えるそれは純粋な十字架というものではなく、兵装を取り付けられたメインフレームと言った方が良いかもしれない。そんな十字架を背にして磔られている男の腰より下は、金属の装甲のようなものに覆われている。それは空間戦専用なのだろう、脚にあたる部分は二本の足ではなく、人魚の尾ひれのようになっている。


 対して上半身は、申し訳程度の装甲によって防御はされているが、ほぼ剥き出しである。十字架状メインフレームの横棒、その両先端にはフレームに見合うサイズのアームが取り付けられている。しかし、その先端には武器は無く、代わりに鉄板のような素材で作られた分厚く全身を隠せる程の盾を、それぞれに持っている。更には周囲を四枚、アームに持つ盾の半分程の大きさの盾が飛び回っている。

 数多くの盾のおかげで、防御に特化したような兵装と思えるが、剥き出しになっている部分も多いため、少々心もとない。ただし、全体をほんのりと覆っている光も、何らかの力場として守備力に貢献しているのだろう。


「しかし、参ったな……」


 男がポツリ言うと、


『マスター、オーダーシートを受け取った以上、愚痴やボヤキは禁止です。私達の士気にかかわります』


 冷ややかな声色で堅い物言いと同時に、マスターと呼ばれた磔男の視界脇に、十インチ程の半透明のウインドウが浮き上がり、少々堅そうな女性の顔が映し出される。するとその隣にもう一枚のウインドウが浮かび上がり、


『途中、変異でのクラスアップはたまたまよね。

 でもオーダーを受けた以上仕方ないわよ。どっちにしたって初期探査の結果、Sクラスに一ポイントでも満たなければ、それはAクラスなのよ。そんな事は、お・わ・か・り・でしょう、マイマスター』


 少々艶っぽい声色と、その声に見合った女性が映し出された。


「ちょ、ちょっと言ってみただけ……いや、俺が間違ってました。ごめんなさい。それにポイント制って当然、知ってますよ。そんな事、当然じゃないですか」


 ウインドウ越しだが、お堅い女性ににらまれて誤り、慌てて視線をもう一枚のウインドウに映る艶っぽい女性に向けてニヘラと笑い、その後視線を宙に泳がし、うちの女性陣達のツッコミは厳しいな、と磔男は胸中で思う。


 そんな二人の女性は、『影のような何か』から磔男を護衛するような位置取りに並んで浮いている。ただし彼女達は十字架に張り付けられてはいない。全高三メートル半程の戦闘用人型装備と言えるものをその身にまとっている。こういった空間戦に必要かはさておき人型と言うだけあって、こちらには足がついている。

 ただしこちらも、全身をくまなく装甲が覆っている訳ではない。腰部から下はスカートや脚部が装甲となっているが、上半身は要所を申し訳程度の装甲が覆っているだけである。一応、左右の肩部にはそれぞれ大型の盾のようなものが浮いて、可動範囲の関係だろう、完全に剥き出しとなっている肩部や頭部を守っている。


 背後には装甲を兼ねたメインフレームから、全高に見合うアームが伸びている。女性達は、そのアームや脚部に自身の四肢を入れて、機体を操っている。

 守護対象の磔男の正面右側に位置するお堅い女性の左アームには大型の盾、右アームにはランスのようなものを携えている。一方左側に位置する艶っぽい女性は、右アームに大型の盾、左アームにはアサルトライフルのようなものを持っている。


 と、磔男の機体と違って、こちらは戦闘用の装備もそれなりに充実している。

 とは言え、やはり剥き出し部分が多く、直接戦闘を行うには少々心もとないようにも見える。

 もっとも彼らが相手している『影のような何か』の規模からすると、例え全身を金属で覆っていたとしても無駄な事かもしれない。


 今、磔男達から少々離れた仄白く光る壁間際で、四つの光が相手をしている『影のような何か』は、大きな左右のヒレを羽ばたかせるように水中を優雅に泳ぐ、海洋生物のトビエイに似た形をしている。ただし周りを飛ぶ女性達と比較すると、その全幅は五十メートルはある。そんな巨大なものが、羽ばたくように空間を泳いでいる。そのヒレに当たったら、例え全身を何かで覆っていても『痛い』ですまないのは明白である。

 更に、その胴体からは全長百メートル以上はある長い尻尾が生えており、ご丁寧にも鞭のような武器としている。たちの悪い事にそれは所謂いわゆる鮫肌。しかも巨大であるため、鬼目ヤスリのように荒々しい地肌である。当然当たれば、『痛い』ではすまないだろう。

 だから回避主体の動きを行うために、装甲を削って動きの自由度を増しているとも言えるし、それを可能に出来るほど、仄かに光を帯びる力場のようなものの守備力が高いのだろう。


 磔男のボヤキ……心配事が的中したのか、『影のような何か』と直接戦闘をしている四つの光の女性達から、


『こいつは予想外、マズいですね』

『そうですわね、このままでは過過給領域かかきゅうりょういきを突破されそうですわ』

『これはちょっと、困った事になっちゃうんじゃないかな?』

『あの……もうちょっとだけ……がんば……れ……ません』


 磔男の視界の端に次々とウインドウが開き、女性達の悲観的な通信が入る。


『やはり、マスターのボヤキが士気を下げたと判断する』

『無事帰還したら、ふふふ、お仕置きですわね』

「って、俺か? 俺が悪いのか? ごめんなさい。

 ……でもお仕置きは……ちょっと期待かも……」


 最後にニヘラ笑いを浮かべて呟く磔男に、


『『『呟きも禁止!!!』』』


 と、六つ並んだウィンドウから同時に怒られた。


「ご、ごめんなさい――あっ!」


 磔男が再度詫びを入れると同時に、戦闘が大きく動き出した。

 磔男や女性達にとって悪い方向にだ。


 彼らが相手をしている『影のような何か』に自我があるのかは不明である。しかし今まで周りを囲っていた女性達が通信に気をとられた僅かの隙を、好機と感じ取ったのだろう。

 それは一瞬の出来事だった。

 『影のような何か』が羽のようなヒレを大きく一度羽撃かせると、その巨体がトンボを切って反転した。それに伴って大気が巨体に吸い寄せられるように大きく動き、僅かな隙を突かれた四つの光、つまり女性達の機体の制御に不安定を生む。


『マズッ!』

『いけないですわ!』

『やばいかな?』

『……へきっ』


 不意を突かれた女性達の短い悲鳴が通信を通じて磔男に届いた。

 すると『影のような何か』は、背面状態となって急激に制止した。当然の如く、慣性を受けた長大な尻尾が凶悪な鞭のようにU字のループを描いて一直線に伸びて行く。向かう先は、機体制御に手一杯の女性達。

 一筋がそんな女性達の間を割った。直後、ターンオーバーと共に『影のような何か』が僅かにその巨体を引く。


『『『『…………っ!』』』』


 女性達を映していた四つのウィンドウがノイズに占領されて、苦悶くもんの呻き声だけが通信を通じて磔男の耳に飛び込んだ。それを最後に通信が途切れると、僅かの後、領域中央の磔男達にも大気の振動と音が来た。

 爆発音ともいえるような乾いた破裂音と共に、音速を優に越えた尻尾の先端の生み出した衝撃波が、女性達を襲ったのだ。

 単なる衝撃波ではない。

 尻尾が衝撃波を放つ瞬間、『影のような何か』が何かしらの力を加えたのだろう、力場の緩和許容量を越えた打撃となり、女性達に叩き込まれた。

 そんな形なき猛打の直撃を受けた女性達は、強制的に肺の空気を全て吐き出さされ、短い悲鳴とともに弾かれるように四散した。


「って、お、おい、だ、大丈夫だよな。

 おーい、返事! 聞かせろよ。聞こえてんだろう? どうした? 応答は?」


 磔男があたふたと確認を取っているが、四つのウインドウはノイズの入ったまま反応はない。


『マイマスター、大丈夫よ。ちゃんと生命反応はありますわよ。

 まあ、マイマスターがきっかけを作っちゃったけど、仕方ないわね。

 今は出すものを出しちゃって、気持ち良~く意識が飛んじゃってるだけよ』

『例えマスターとのおちゃらけた会話が事の原因としても、戦闘中に注意を怠った彼女達が悪いと結論付けます』

「えっと、出すものを出しちゃって気持ち良くって……皆さん女性ですよね……いやいや、てか、それって遠回しに攻められているような……ご、ごめんなさい」


 言った言葉に、ウインドウ越しに二人に睨まれ、やっぱり厳しいな、と磔男は改めて思う。


『私達も向こうに向かった方が良いかしら?』

『いいえ、もう遅いと思われ――』


 と、仄白く光る境界面が一瞬波打ち球体が震え、通信の言葉を切った。

 何事? と、中心部の三人が見やる先、『影のような何か』が境界面に攻撃を開始していた。

 先程のように巨大な本体を二度、三度と反転させる。その度に鞭のような尻尾が境界面を強打し、そして境界面にその巨体を叩き付ける。一連の流れをワンセットに繰り返す。


「マズいな。境界面はたいした強度を持っていないからな。

 なあ、あの先にあるゲートの向こうには――」

『もちろん反応があるわね。『神宿かみやど』の……しかも、これは……神宿男かんなどね』


 通信を聞いた磔男は、大きく嘆息する。


「参ったな……仕切り直しも無理っぽいな」

『はい、例え四人が復帰したとしても現状は極めて深刻な状況と、判断出来ます』

「だな――かと言って、今からベースに戻って部隊を再編する時間も無しと……。

 まったく困ったもんだな――」


 磔男から出るのは溜め息ばかりである。


「――とは言ってもだ、放っておくわけにもいかないな。

 とりあえずあいつの気を逸らしてくれ。必要以上の戦闘は無用だよ、他の皆が復帰するまでの時間が稼げれば良いから」


 その言葉に、磔男を護衛するような位置にいた二人の女性は、『わかったわ』『了解した』と返事を残し、『影のような何か』に向かって飛び去って行く。磔男の言葉はその後も続き、


「皆が復帰したら、二人はゲートに向かってくれ、そして――」


 磔男は一旦言葉を切って、一息、


「――神宿男をこっちに引き込む」


 言った。対して、


『勝手に良いのかしら?』

『マスターの命ならば実行しますが、判断に迷うところもあります』


 少々不安気な表情と言葉を向ける女性達に磔男は、


「ああ、全ての責任は俺が取るから、それに――」


 と大きく息を吸い込み、


「あいつがゲートを突破したら、それどころの話じゃなくなるからね」


 更に大きく嘆息すると、


「もっともこのままじゃ、突破されるのは目に見えているから、非常手段に訴えるしか……向こう世界の神宿男にはちょっと申し訳ないけどね。

 まあしかし何だ、あいつを向こうに出しちまったら、その世界が無くなるって言われているしね。向こうの神宿男も運が良ければ――」

『マスター、オープンチャンネルでそれ以上の言葉は不適切と判断出来ます』


 磔男の言葉を切ったお堅い女性の言葉に、


「おっと、ごめんなさい。

 とりあえず、あいつの目先を向こうからこっちに変えないとね。目標が失われれば、奴にも隙が出来るだろうしね。

 と、いう事で頼んだよ」


 ジッ、と短い音と共に映像が途切れると、画面が暗転した。


「はいはぁい、以上ね」


 魔界風おっとりお姉さん系の六月が言いながら食堂のテレビを切った。




 少し前、巡は六月から『ここは元の世界ではない』と衝撃的な話を聞いて茫然自失、惚けていた。

 天井を見上げたり、俯いたり、何かを呟いたり、黙り込んで一点を見つめたまま微動だりしなくなったり、七月や四月が話しかけも、生返事を返すだけだったり、焦点の定まらない視線を何かに向けたり、そんな事を一時間程繰り返していた。


 そんな巡とはまともな話が出来ないだろうと判断した六月は、七月と四月に巡を見張――任せると食堂を出て寮監室に戻り、関係各所に巡の一件を連絡や報告していた。

 一段落付いたのだろう、六月がパタパタとスリッパの音をたてて食堂に戻って来ると、丁度巡が自我を取り戻したところだった。


「さてさて、これを見る前に何かお腹に入れておきましょうね。

 四季君も食べれるわよね」


 言った六月は、USBメモリーのような物をポケットに入れると、巡の返事を待たずに食堂の奥からサンドイッチや飲み物を載せたワゴンを押して戻って来た。

 六月がサンドイッチトレーや飲み物を机に置くと、女性達は、いただきます、と唱和し、遠慮なく手を伸ばし出した。

 サンドイッチとしては豪華な部類に属するだろう、赤や黄、緑など色とりどりの食物が挟まったパンは、食欲をいやが上にもそそる。

 僅かに気を取り直した巡も空腹に負けて、遠慮がちに一つ目、恐る恐る二つ目と手を伸ばす。

 とは言え、さすがに談笑を交えた食事とはいかない。

 重苦しい空気の中、ほとんど無言のままの食事は、誰しも機械的に食べ物を口に運び、噛んで飲み込むを単純に繰り返すだけであった。


 トレーの上があらかた片付くと、六月は、さてさて、と持っていたUSBメモリーのような物をテレビに差し込んだ。すると、画面は戦闘シーンらしき記録映像を映し出した。




 そして今、映像を見終えた巡は暗転した画面を見つめ、しばらくの沈黙の後、


「えっと……六月さん……な、なんだか、もの凄くリアリティーある特撮番組でしたね――」


 真っ平らな声音で尋ねる。


「――ここまで出来が良いと、女の子でも見入っちゃうんですね。

 …………うん、続きが気なるな。来週も見よう。うん、そうしよう」


 続けて呟くように言うと、女性達が揃って優しい視線を巡に向けた。

 そんな現実逃避を始めた巡が痛ましく感じたのだろう六月は、


「あらあら、そう思いたくもなるわよね」


 僅かな慰めの後、でもね、と、一旦言葉を切ると穏やかな笑みを消した魔族の顔で、


「でもね、これは現実。

 四季君がこの世界に来るきっかけとなった……らしい事件の記録よ」


 言った。

 巡は、大きな嘆息を一つ入れると、


「……わかってるよ、わかっていたさ、違う世界だと何となくは気付いていたよ……でも、でもさ……」


 本当に現状を理解していたのかは定かではない。少々声を荒らげ、精一杯の虚勢きょせいを張っただけなのかもしれない。しかし、それ以上言葉が続かない。

 そのまま項垂うなだれ、背中を丸め、肩を落とし、それでいて小刻みに震える。

 そこには、

 『何で俺が』という驚愕と、

 『何で俺が』という怒りと、

 『何で俺が』という狼狽うろたえと、

 様々な感情が複雑に絡み合い、混ざり合い、そして堰を切ったように寂しさとして溢れ出した。


 重い沈黙と巡から僅かに聞こえる嗚咽だけの空間となった食堂に、数分の間を置いた後、


「す、すまん……先に部屋に戻らせてもらう」


 そんな空気にいたたまれなくなったのだろう、静かに立ち上がった天界戦乙女風の七月が遠慮がちに告げると、食堂を後にした。

 当然誰もこんな重い空気が漂う中にいたい訳がない。付き合いが長い友達ならまだしも、今日初めて出会って二言三言喋った程度の間柄だ。

 お互いを良く知りもしないのに無理矢理話に付き合って、地雷を踏む可能性もある。

 だから、きっかけが出来ると、


「あたいも……その……お先に」


 と、熱血精霊風の四月がバツが悪そうに頭を掻きながら、七月の後に続いた。


 六月は食堂に巡と残っていた。

 落ち込む巡を、そっとしておく事は大事かもしれない。それと同時に、言葉を優しく重ね、それとなく慰める事も必要であろう。巡のような少年には、年上の女性が適任であり、その効果も高いだろう。

 その役割がわかっているのか、見た目通り最年長であり寮監である六月は、ソファーに座ったまま食堂から出て行く彼女達に、晩ご飯はいつもの時間よ、と軽く声を掛けてその背を見送ると、巡ヘと向き直り、


「さてさてと、一度お部屋に戻って……って、まだ無理かしら」


 と、六月が独り言のように話しかける。と、巡は僅かに反応し、


「す、すみません。なんとなくはわかっていて、認める覚悟はあったのですが……みっともないところを……」


 口を開くが、その声は弱々しい。


「そうね……ちょっと経緯は違うかもしれないけど、私も皆もそうだったのよ」


 六月がそんな巡に慰めの言葉をかける。何か引っかかったのだろうか巡がようやく顔を上げて六月に視線を向けて、


「け、経緯が違う? って……」


 問う。すると六月は一瞬、いけない事を言ってしまった、とばかりの苦い表情を作るが、すぐに穏やかな笑みに戻し、そうね、と続く言葉を考えて、


「個人的な理由があるから詳しくは言えないけど……皆、ある意味、望んでこの世界に来たと言っても良いわね――」


 抽象的な答えを先ず返すと、


「――でも、四季君は、今の戦闘記録にもあった通り――」


 六月の言葉を最後まで聞かず、その言葉を切った巡が六月から視線を逸らし、


「俺は何も知らず、皆さんのように望んだ訳でもなく、引き込まれた訳ですか……酷い話です」


 苛立と寂しさを混ぜて、だが他人事のように呟いた。


「でもね、四季君がこっちに来たおかげで向こうの世界は――」


 六月の言葉を巡はここでも切った。逸らしていた視線を六月に戻すと、


「助かった? とでも……でも俺は、その助けた世界にいないんだよ。勝手にこの世界に引っ張り込まれただけで、助けたなんて実感はないんだよ。

 だからって、アニメやゲームのヒーロや勇者みたいになろうなんて思わないけど、世界を助けたって言うんなら、その世界に住んでいたいよ! 何だか釈然としないんだよ! どうして俺なんだよ!」


 怒気を含んだ言葉を放つ巡に対して六月は、返す言葉が見つからないのだろう、何も言わない。


「…………」

「…………」


 向き合う二人の間に気まずい沈黙の時間がただただ流れて行く。

 壁に掛かっている時計の連続秒針が動く小さな小さな作動音が、異様なほど食堂に響く。


 ――何か……俺が何か言わなきゃ――


 そんな気まずさに巡は六月から視線を外して一巡。戻した視線の先の六月は、巡を見つめたまま今にも流れ出しそうほど、その金瞳に悲しみの雫を溜めていた。


「へっ、そ、そうだよね。べ、別に六月さんが悪い訳じゃないんだよね。な、なんと言うのか……その……言い過ぎました……ご、ごめんなさい」


 仮想世界以外、女性の涙に縁の無かった巡は現物を見て、上気しかかった感情を一気に萎えさせ、あたふたと言葉をつないで頭を深く下げた。


「い、いいえ、私が……私の説明が下手で……怒らせてしまって……私の方こそ謝らないと……」


 と、六月も言葉を返すと頭を下げた。そんな六月に巡は更に慌てて、


「い、いや、ですから、六月さんは悪くないんだって……じゃ、じゃあ、おあいこ、ドローと言う事にしましょう。

 うん、それが良い。そうしましょう、決めました」


 先程までの怒気はどこへやら、半ば意味不明の決着をつけていた。


「ですが……」

「事情がわからず、ちょっと取り乱したけど、考えてみれば、ここにいるという事実は、誰に怒りを向けようが変わらない訳です。

 それに何をするのか知りませんが、こんな俺でも必要だからここにいるんですよね――」


 ははは、と如何にも作り笑いの巡は妙に前向きな事を言い出した。更に、今までの経験上、と何をいつ経験したのか、意味不明な言葉でつないで、


「――お役目を終えれば戻れる訳だから、それまではこっちでの生活を楽しむ事にします」


 仮想世界ではよくある設定だった。それを無理矢理な笑みを作って六月に告げた。

 そんな巡に六月は少々困惑したような表情で、


「ええ、まあ……そうとも……言えなくもないかしら……どうなのかしら……」


 気圧けおされるように、更には口ごもりながら返す。対して巡は、良い事を言ったぞ、的なドヤ顔状態で、六月の言葉をしっかりと聞いちゃいない。


「さてと、色々ありすぎてさすがに疲れたんですが、この後俺はどうしたら良いのですか?」


 巡が空元気いっぱいで、言って立ち上がる。


「そうね……ではでは今からお部屋に案内しますね。

 あっと、その前にぃ、私のお部屋に寄ってくれるかしら?」


 悪戯っぽく妖艶な笑みを作った六月が言う。


「へっ? 構いませんが、何を?」

「あらあら、気になるわよね。そうね……いろいろと見せてもらったり、測ったり……ですわね」

「はい? って、何ですと!」

「ほらほら、大人しく私に全てを任せなさい」


 いつの間にか巡の背後に回った六月に背中を押されて、半ば強引に食堂から押し出されると、


「えぇぇっ! ちょっ、てか、ななな何を」


 小悪魔的な笑みの六月の意味深な言葉と、巡の奇妙な叫びを静かな寮内に響かせて、寮監室へと向かった。

 巡を採寸して、着替えを手配するために。


 いつの間にか巡は元通りになっていた。少なくとも表面上は。

 もしかすると、六月が流した涙は、少年を立ち直らせるための策略の始まりだったのかもしれない。いずれにしても、お姉さんによる慰めは、効果てきめんだったようだ。

読み進めていただき、ありがとうございます。

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