新米(仮)です 014
「神宿男四季巡様、先ずは落ち着いて私共どもの話を聞いて下さい」
この『彼岸・六文』の総司令官である春分が申し訳なさそうな苦い表情を作って、痛む膝を抱えた巡に言った。続けて、
「これからお話する事は、私どもでは検証ができないため確証は持てません。あくまでも実例をもとにした推測、つまりは仮説という事になります」
と前置きを作ると、怪訝そうな表情を作る巡に説明を始めた。
「神宿男と神宿女が静的連結をするとき、神宿男の制御結晶体は、封印している神宿男の記憶の一部を神宿女の制御結晶体に打ち込むといわれています」
「ちょっ! ちょっと待って下さい。封印している記憶って、何のことですか?」
春分の話を黙って聞いていた巡が、膝の痛みを忘れるほど衝撃を受けたのか、勢いに任せて体を乗り出し慌てて口を挟んだ。
とはいえ巡は、春分の言葉通りなら自分自身が何者なのか分からなくなっているだろう、と先ず思った。しかし今の自分は、名前もはっきり覚えている。県立岬丘工業高校に通っていた男子高校生だということも、悪友達や両親の顔も、自宅の間取りも、街並も、とにかく元の世界の記憶ははっきりと残っている。もちろんそれが『異世回廊の交差点』に構築された『神宿』という便利システムによって上書きされた記憶、という可能性も否定はできないかもしれない。
勢いで身を乗り出した巡の脳裏を、そんな矛盾が横切った。巡は、ん? と首を傾げると自ら勢いを制しソファーに腰を下ろした。
今にも噛み付きそうな勢いだった巡が、急に大人しくなって腰を下ろしたのを訝しむような表情で見ていた春分は、小さく安堵の溜め息を吐いて話を続ける。
「神宿男四季巡様ご自身も気付かれた思いますが、全ての記憶が封印されているわけではないと思われます。一部の、と申しますか、ある種の記憶が封印されていると思われます」
「ある種の記憶? ですか?」
春分の言葉に巡が眉を寄せた怪訝の表情を作りオウム返しをすると、ここは私が、と巡達『生徒会執行部』の司令室主任である白衣姿の男性が割って入ってきた。
「先ず伺いますが神宿男四季巡さんは、同性愛者ですか?」
「はぁっ? 違いますよ」
巡は、そんなわけないじゃん、とばかりにつっけんどんに返す。それでも白衣姿の男性は、朗らかな笑みを巡に向けたまま、質問を続ける。
「では、元の世界で彼女とか友達と呼べる女性はいましたか?」
「へっ? えっと……いたら苦労はしないですけど……」
巡は、痛いところを突かれた、とばかりに先程とは打って変わって、白衣姿の男性から視線を逸らしながら答えた。こうなると、白衣姿の男性の朗らかな笑みは、哀れみの笑みを向けられているようで辛い。
「もう一つ、初恋や憧れの女性はいましたか?」
「そりゃ……!?」
巡は勢いよく、そんなことは当たり前だ、と返事をしようとして口を止めた。
「……って、あれ? いたと思うけど……ないな……」
巡は、白衣姿の男性の質問に答えながら首を傾げる。思い出そうとしても、その部分にポッカリと穴が空いてる、ならば諦めがついて良かったのかもしれない。しかし、ベールを掛けられて肝心なところが見えそうで見えない、そんな一世代前のお宝本を見ているようにモヤモヤとしている。巡は、うぅぅぅん、と小さく唸りながら、もどかしさのあまり今にものど元や髪を掻きむしりたくなる衝動を抑えていた。
「そういうことなんだよ。神宿男の皆さんは、恋愛に関するような記憶がないんだ。もっとも元の世界では、本当に恋愛とかをしたことがないのかもしれないけど、本人に覚えがないうえ、ここでは検証出来ないから事実かどうかは……まあ、異なる世界ごとに文化や風習の違いもあるだろうから一人や二人ならわかるんだけれどもね、全員が全員、恋愛未経験なんて、それはさすがにありえないと思うよ」
白衣姿の男性の言葉に巡は、確かにな、と思う。すると白衣姿の男性は、軽薄そうな朗らかな笑みを作り、それにね、と続ける。
「神宿男さんは、基本モテ男君なんだと思うんだ」
「はあ? 何でそうなるんですか?」
巡はふと思う。元の世界では王族で金も地位もあってイケメンの類に分類されるであろう『生徒会第一執行部』の神宿男年中駆ならば、ありえる話かもしれない。悔しいけれど仕方ない。
しかし元の世界ではごく普通の一般人であり女子からモテた覚えのない巡にしてみれば、当たり前の疑問だ。そんな巡の疑問に白衣姿の男性は、嫌味を含んだような笑みを作って答える。
「ほら、神宿男さんは例外なく女性に囲まれた生活を送ることになるんだよ。モテナイ君じゃ舞い上がっちゃって神宿男としてのお役目に支障が出ると思うんだ」
「で、でも俺達って、もしそうだとしても、そういう記憶が封印されているわけですよね」
「まあそれでもさ、モテ男君とモテナイ君じゃ、例え記憶がなくとも女性との接し方が根本的に違うと思うんだ。それに異なる世界の皆さんには、この『異世回廊の交差点』の将来を担う世代を残していってもらわないといけないわけだし、子孫繁栄的な意味でも神宿男はモテ男君の方が都合がいいから、『神宿』だってそんな男性を選び出して呼び込んでいると思うんだ」
そんなことを言われても巡はピンとこない。とはいえモテ男と言われれば悪い気はしない。
巡は白衣姿の男性に負けないような朗らかな笑みを浮かべながら、そんなもんかな、等と呟いていると、トレードマークのような朗らかな笑みを消した白衣姿の男性が、それで、と言葉をつなぐ。そんな白衣姿の男性の態度に巡は、ここからが本題か、と折り目を正し耳を傾ける。
「神宿男が神宿女と静的連結をした証の『名変わり』という現象を、神宿男四季巡さんも体験しているはずだよね。その『名変わり』した彼女達の呼び名でもある、水無月雫音、卯月菜乃花、それに文月蓮華、という名前を持った女性が、神宿男四季巡さんの元の世界に存在すると思われるんだけれども、何か思い出さないかい?」
真顔の白衣姿の男性に訊かれた巡は、今一度、低く、そして小さく唸りながら記憶をほじくり返す。
「……水無月雫音? ……卯月菜乃花? ……文月蓮華? ねえ…………」
巡はポツリポツリと彼女達の名前を口に出してみるが、やはり薄いベールに阻まれているかのようにもどかしい。もう少しで何かを思い出せそうなんだけれど、と巡は顔をしかめて必死に記憶を手繰る。
その甲斐があったのだろうか、ふと、今にも泣き出しそうな表情をした少女が浮かび上がった。
どこか見覚えがある少女だった。
「…………雫姉?」
巡は、記憶の奥底から湧き出だしてきた呼び名らしき言葉をポツリと口から出した。
――って、誰だろう? 近所に住んでいた女の子? それとももしかしたら幼なじみなのか? 『姉』っていうからには、年上なんだろう――
涌き出した呼び名らしき言葉を手掛かりに記憶を更に手繰るが、やはり思い出すことができない。
その呼び名が水無月雫音を指しているのだろう、と思うけれど、今の巡の記憶にどうしても結び付かない。
変に手掛かりを得たためだろう歯がゆい。
――これが記憶を封印されているって事なのか?――
巡は、しかめた面を岩山のように更に固くしかめる。
「やはり……どうやら封印が弱まっているみたいですね」
ふと耳に届いた春分の言葉に巡は、希望の光を見つけたように表情を緩めて、
「じゃ、じゃあ、このままなら記憶が元に戻るってことですよね」
春分に聞き返した。ところが春分は、眉を寄せ、眉間にしわを入れた難しい表情を作る。
「確証が得られていない以上、私どもでは、多分、としか言えません」
今にも軋む音が聞こえてきそうなほどぎこちなく口を開いて言った春分は、目を閉じ、腕を組んでしばし沈思黙考する。それは、言葉を選ぶ、というより、伝えるべきことなのだが本当に伝えてしまっても良いのか躊躇っているように見えた。
春分のただならぬ雰囲気に巡は緊張のあまり生唾を飲み込む。
すると、春分の隣に座る白衣姿の男性が、春分に耳打ちをする。
静まり返った応接室だ。巡の耳に、私が代わりに、と白衣姿の男性の言葉がかすかに届く。
その言葉に春分が二、三度首を振り、何かを決意したかのように目を開いた。
「このままですと、神宿女水無月雫音様にお渡している神宿男四季巡様の記憶は戻るかもしれません。ですが……」
「ですが?」
「ですが……そうすると静的連結の解除となります。つまりは神宿男四季巡様の記憶という修復を促進する触媒を失うようなものですから、制御結晶体の自己修復が終わるまでの数年間、神宿女水無月雫音様が目覚めることは無いと思われます。」
「な、何それ!?」
どこか脅迫じみた言葉に巡は、怒気を孕んだ声を上げながら身を乗り出した。そんな巡を落ち着かせるように春分は、両掌を向けた。そして巡がソファーに腰を下ろしたのを確認した春分は話を続ける。
「私が先程申し上げた通り神宿男四季巡様にとって非常に辛い選択、つまり神宿女水無月雫音様をとるか、ご自身の記憶をとるか、という選択を強いることになります」
巡には春分の言葉が、どこか遠い世界から発せられたような、現実味のない言葉に聞こえていた。だからといってぼんやりと聞き流していたわけではない。春分の言葉を受けて巡は、こんな事態になってしまった原因と真摯に向き合って、どちらの選択が良いのかを考えてた。そんな巡の腹はこの時点でほとんど決まっていた。それはもちろん、未だに目覚めぬ雫音の制御結晶体を自分の記憶を使って修復してもらっても構わないと。こんな結末を招いたのは自分に責任がある、例えそれが自己満足的な安っぽいヒロイズムだといわれたとしても、それが自分にできる償いだと。
けれども巡は、最後の一歩、その言葉を口から声にして出す、その最後の一歩が踏み出せない。今の巡には、その代償となる記憶という思い出がどれだけ重要なのかわからないからだ。それでも背中を押してくれる何かがあれば、すぐにでも返事ができる。
巡があまりに難しい表情をしていたためだろう、
「いや、返事は今すぐというわけではございません。しっかりお考えの上で神宿男四季巡様ご自身が納得できるお答えを頂ければと思います。一応ご参考までに申し上げておきますが、同じような事例で静的連結を解除した神宿男様は何人もいますし、そのことで私どもが神宿男様を非難することはございませんのでご安心を」
春分が口を挟んだ。そんな春分の言葉に巡は、それは違うだろう、と怒りに似た感情が涌き起こる。
今の巡には、雫音との静的連結を解除するという選択肢はないからだ。そんなことで記憶を取り戻しても、雫音を見捨てた、と後ろめたさが残るだろう。更には今後蓮華や菜乃花とも上手くやっていけなくなるだろう。
それにあの時の雫音は、素早い判断で剣となり盾となって自分達『生徒会第二執行部』を『迫り来る魔』から守ってくれた。今度は自分が雫音を守る番なのだ。だから返事をするのなら、今、この場でだ。そうじゃなければ、不甲斐ない自分を信じて動的連結を行った雫音に申し訳がたたない。
そのうえ、今の巡には元の世界での水無月雫音はどんな人なのか、どんな関係だったのか、全く記憶にない。そもそも、水無月雫音という女性は本当に存在していたのか、それすら怪しく思える。そういう女性がいた、というのはあくまでも仮説に基づいた話だ。自分が元の世界に戻らなければ証明できない。元の世界に水無月雫音という女性がいたのなら、その時なんとかすればいい。どのみち自分は、失踪者や行方不明者扱いとなっているだろう。記憶が無いとか、何とでも言い訳できる。まあその時は、実際に記憶が無くなっているのだろう。
だからこそ過去の思い出と決別する未練はない。
「なんだ、簡単なことじゃないか」
巡はポツリと口にして立ち上がり、
「俺、ここの雫音さんを選びます。すぐに修復の手配して下さい」
はっきりと言った。そんな巡の決意を表に出した表情は、蒼穹を思わせるように晴れ晴れとしていた。
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