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ここって? 002

「なんじゃこりゃ!!」


 羽を持った少女との意味不明なやり取りから逃げ出し、からがら辿り着いた自宅の前で四季巡しきめぐるが思わず叫んだ声が、閑静な住宅街にこだました。

 それはテレビの名場面集で時々見かける、今は亡き大俳優が演じた、とある刑事の殉職シーンの物まねをした訳ではない。もちろん演劇の練習でもない。文化祭はまだまだ先の話だし、それ以前、巡は人前に出て何か演じる事などしようとも思っていない。目立たず隠れず穏やかな人生を送る事が、今の巡の信条である。つまりこの叫びは、目の前の状況を率直に言い表したら、この言葉がもっとも適切だったという事である。




 ここ岬丘さきおか市は人口四十万程の地方中核都市である。地勢的に大別すると西部三分の一が平野、東部三分の二が山地で、人口の八割以上が平野部に集中する。そんな平野部は、中央を南北に貫く弓崎ゆみざき川によって大きく東西に分けられている。旧家や田園が多く、保守的であるが故、少々廃れ気味の旧繁華街の西部に対して、近年、新興住宅地や新岬丘駅を中心に発展してきた新繁華街の東部という構成である。

 巡が中学へ入学する直前、四季家は当時造成して間もない東部の新興住宅地に家を建てて引っ越して来た。

 そこで一家三人、極普通に暮らしていた。

 ところが半年程前、父の急な転勤に合わせて母も、


「巡も一人の方が何かと都合が良いんでしょう。でも節度を持ってね。それと一人だからと言って、女の子を家に引っ張り込んで泣かすような事をしたら駄目よ。もっとも一人にしておくと何かと心配なのはあの人の方だけど……ウフ」


 意味深な言葉と、巡には無用の注意を喚起し、難しい年頃の息子を残して父について行ってしまった。全く仲の良い困った夫婦である。

 かくして一家で暮らすには丁度良い一軒家に残さた巡は、その広さに少々寂しさを覚えながらも羽目を外さない程度に、一人暮らしの高校生活を謳歌おうかしていた。


 少なくとも今朝までは。


 今、巡の目の前には見慣れているはずの一軒家がない。

 建っているのは、全く見覚えのない別の建物だ。


 ――道を間違えた? ……んなわけないし――


 周囲をグルリと見渡す。

 結果、周りの風景は、間違いなくここが自宅である事を示している。しかし、何故か巡の記憶に無い建物が堂々と門を構えている。


 ――いいか、落ち着けよ俺。まだ夢は続いているんだ。さっきの羽の女子といい、まだまだ俺は夢の中にいるんだ――


 ここまで意識がハッキリしているのなら、今更何をしても無駄だと思うのだが、巡は大真面目である。

 巡は、夢の世界から抜け出してみせるとばかりに、目を閉じて気合い一発、両手で挟むように自身の両頬を強く叩いた。

 乾いた木材が折れるような音が二つ重なり閑静な住宅街に響く。と同時に、


「痛てっ!」


 巡の声が再びこだました。次々と起きた奇妙な現象から逃げ出したかったのだろう、必要以上に気合いが入らしく、巡自身が思ったより強く叩いていたようだ。しかも錆び鉄の味を口の中に感じたのだろう、


 ――あちゃ、口の中を切っちまった。でもこれなら――


 ゆっくりと目を開けた。が……自ら傷を負ってまでした行為が報われる事なく、目の前の風景は変わらない。


 巡の住んでいる町内は、何かと条件の良い新興住宅地であった。そのため宅地分譲後、間もなくしてほとんどに買い手が付いた。

 しかし、何かがいていたのかそれとも、天の都合か、巡の住む自宅周囲数軒分の土地は分譲して以来、買い手がなく未だに更地さらちのままであった。言い換えれば、閑静な住宅街の一角が、ポッカリと穴が空いたような更地となっていた。そしてその中央に何かの目印のようにポツリとあった一軒家が巡の住んでいる自宅である。

 しかし今、その不自然なほどポッカリと空いた一角、もちろん自宅だった場所も含めて、漫画やアニメ等で見かけるいかにも学生寮風の三階建ての建物がそびえたっている。つまり、


 ――自宅がない?――


 それだけにとどまらず、事態は悪化の一途をたどる。


 自宅の名残すら残っていない建物の玄関と思わしきところから、状況を悪化させた張本人と断言できる妙に艶っぽいお姉さんが出てきて、立ち尽くす巡に目標を定めたかのように視線を向け微笑んだ。


「あらあら、何だか騒がしいと思ったら――」


 歳は巡より上だろう、妙齢みょうれいの女性である。そのお姉さんは、巡の良く知る仮想世界では標準的なおっとりお姉さん系の言葉を発しながら近づいてきて、そして彼の直前まで来ると、


「――あなたはここの神宿男マイダーリン君なのかしら? でも変ね、支援局から連絡がなかったわね」


 やはり、下手な吹き替えのように口の動きと違う音で、どこかで聞いたような言葉を投げかけてきた。

 呆気に取られていた巡は、その女性の色香に思わず、はい、と答えそうになるが、慌てて首を振って、


「マイダーリンって、またかよ。またそれなのか?」


 返す。そんな巡は先程の一件で妙な耐性が出来たのだろうか、それとも開き直りなのだろうか、はたまた甘えたくなるような近所のお姉さん的雰囲気を女性から感じたのだろうか、不思議と冷静である。

 更に巡は、この女性が姿を現した時より自分と同じ人間ではない事がわかっている。


 ――だって、羽があるし……それもコウモリみたいな――


 その羽や微笑んだ口元からチラリと見えた牙のような犬歯を見てこの女性を、


 ――えっとヴァンパイヤ? なのか――


 思ったのだが、


 ――いや違うな。俺の知るキャラクター的なヴァンパイヤは、コウモリに化ける事はあっても普段は羽が無かった気がするし――


 この状況で、ここまで冷静に物事に見つめる事が出来れば見事である。目の前のおっとりお姉さん系の女性は妙に色っぽく、大きくウェーブのかかったボリューム感ある長い銀髪は、月の光を浴びたように冷たく輝き大人の魅力に溢れている。のだが、


 ――やっぱり――


 と言うように、銀髪の隙間から左右一対、禍々しくグニャリとねじれた角が、その先端を巡のそれぞれの目に狙いを定めるように見えている。もし巡が先端恐怖症なら逃げ出していた事だろう。そしてその優しげな瞳はミステリアスな金色である。更には健全な男子なら間違いなく目が行ってしまう破壊力のある胸の双丘と、何かに引き締められたようなウエスト。それらを強調するかのようなピタリとした服。食べごろのトーストのような程よく焼けた小麦色の肌。言えば海外男性誌のグラビアモデル、それ以上である。もしその気になった彼女がしなをつくって迫り、何かを要求してきたら、巡はもちろん普通の男なら抗えず簡単に陥落するであろう。もはや色香という甘い香り、この場合は性的なフェロモンだろうか、そういう類のものをまき散らしているようであった。つまりは絵に描いたような、


 ――魔族と言われる方なのか? しかもこの色気……サキュバスとか? あの男に怪しい夢を見させて、気持ち良くさせて、いろいろと吸い取っちゃうって言う……って、俺ヤバいだろう――


 またかよ、と言った巡の返事に小首を傾げた女性が、


「あらあら また? って、私より先にどなたかにお会いしたのかしら?」


 言いながら更に寄ってくると、甘く優しい香りが巡の鼻腔を刺激し思考をぼやけさせる。

 そんな女性の行動に、考えがおかしな方向でまとまった巡が警戒のためだろう、一歩後ずさろうと行動を起こそうとした瞬間、目の前の女性に左腕を掴まれた。


「ひっ! お、俺のは美味しくありません。お、お願いですから吸い取らないで下さい」


 同時に巡は取り乱し涙目で懇願こんがんしていた。先程の落ち着きは、たまたまだったらしい。もっともいくら気持ちが良いと言っても命懸けの行為となると、誰もがこんなん反応をするかもしれない。

 すると魔族風の女性は微笑みを崩さず、


「あらら、何か勘違いをなさっているようですね。安心して下さい、私はそんな事をいたしませんから落ち着いて下さいね」


 優しく諭す。ところが当の巡は聞いちゃいない。


 ――そ、そうか、だからさっきのワルキューレみたいな天界の人がいたんだ。そ、そうだよな。魔界と天界の争いだからな、人ごときが出しゃばっちゃ駄目なんだよな。だ、だけどせめてここに魔族がいる事を教えなくては。それこそがひ弱な人類の役目なんだ――


 巡はそんな天は善、魔は悪という単純明快な考えのもと、次なる行動に出た。


「さ、先程のワルキューレさん! 天使さん! 女神さん! ここに魔族が――」


 と、巡自身、ワルキューレ達の本来のお役目や、純真な心で神に仕える天使の残酷性などは知る由もなく、彼の良く知る仮想世界でのイメージをもとに叫んだ。

 その大声に腕を掴む魔族風の女性も体を一度ビクつかせ固くするが、腕は未だにしかりと掴んでいる。だが、女性は僅かの間に正気を取り戻すと、


「あらあら、事情を飲み込めていないのに……困った神宿男マイダーリン君ですね。あらまあ、どうしましょう」


 言葉で言うほど焦っている訳でもないのがおっとりお姉さん系の王道、といわんばかりに落ち着き払った口調でそんな事を言った。未だに手を放してくれない女性に対して、巡は更に、


「た、助けて~、な、何でもいう事を、で、でも吸い取ら――」


 言ったところで、言葉を切られた。


「あたしを呼んだのか? 神宿男あたしのおっとらしき者」


 言葉を切られ尻窄まりとなった巡が聞こえた声に振り向くと、先程の天界風の少女が程よいサイズの胸を誇示するかの如く腕を組み、凛と背筋を伸ばして立っていた。


「あら、七月ちゃん、お帰りなさい。ちょっと遅かったわね」


 魔族風の女性が答えると同時に、巡の腕を掴む力が緩んだ。そのスキを逃さずチャンスとばかり、その手を振り払うと脱兎の如く逃げ出し天界風の少女の後ろに隠れた巡は、


 ――我ながら情けないが、これは仕方ない事なんだ。俺達非力な人間は、守ってもらうしかないんだ。

 ……てか、お帰り? って言ったか?――


 と、不甲斐ない自分の行為を自分自身で納得させながら一つの疑問が生じる。

 天界風の女性は、背後で情けなく縮こまって様子を見ている巡を無言のまま一瞥いちべつすると、視線を魔界風の女性に戻して一つ嘆息を挟み、


「……ただいま六月さん。この先の公園の桜を見に行ってて遅くなってしまいました。

 ところでこの神宿男あたしのおっとらしき者が怯えているように見えるのですが」


 ――へ? 今、ただいまって言った?――


「ええ、私の姿を見るなり何か変な想像をしたみたいで、事情も聞かず取り乱しちゃって、どうしたら良いものかと――」


 やはり言葉はあたふたしているが、その実落ち着き払った口調で言葉を続ける魔界風おっとりお姉さん。


「――ところで七月ちゃん、そちらの方とは既に?」

「はい、先程その公園で会って、話の途中で……逃げ出された」


 ――あっ! そうだった。で、でも普通逃げるでしょ、見ず知らずの、それも人間じゃない人から、いきなり訳もわからず求婚されれば――


「あらあら、七月ちゃんもなの……ふふ。でも無理もないかも、私もここに来た時はそうだったもの。きっと彼もここに来てまだ馴染めてないのよ」

「あたしも同じくです。特に初めて六月さんに会った時は、正直焦りました。

 あたしのいた世界では恐怖の対象とも言える存在が目の前にいたわけだから……この彼の気持ちもわからんでもないです」


 二人の会話に非常に不可解な言葉が混じっていた事に気付いた巡は、


 ――え?? ここに来た時? ここに来て馴染めてない? あたしのいた世界? はい?――


 思い、七月と呼ばれていた天界風の少女の背後から顔をこっそり出して小さく手を挙げると、


「す、すみません。発言宜しいですか?」


 尋ねる。すると七月が、巡の方へと視線を向けて、


「何だ、構わないぞ神宿男あたしのおっとらしき者」

「ま、まだ夫って言うんですね。しかもらしき者って」


 ボソリと呟く巡の言葉が聞こえたのか七月は思い出したかのように、六月と呼んでいた魔界風の女性に向かって、


「そうだ、翻訳システムが不具合を起こしているようです。あたし達のいう神宿男かんなどと言う言葉が、彼には別の言葉に訳されて届いているようです」


 言われた六月は、


「あらあら、それはそれは、じゃぁ、私を怖がらずに答えて下さいね」


 優しい視線を巡に向けると、六月が言う。


神宿男マイダーリン


 巡が答える。


「マイダーリン」

「…………」

「…………」


 僅かの沈黙の後、


「あらまあ大変。すぐに支援局に連絡をいたしますね――」


 六月はやはり言葉で言っているほど慌てるわけでもなく落ち着いた口調で続ける。


「――そうそう、いろいろと長くなりそですし立ち話もなんですので、中に入って下さい。どちらにしてもあなたはここに住む事になりますから、ご自分のお家と思って遠慮なさらず、どうぞ」

「そうだな。行くぞ神宿男あたしのおっとらしき者」


 七月は今度こそ逃げられまいと巡の腕を掴むと、


「え? ちょ、ま、待って待って、てか夫確定か?」


 巡の言葉には何も答えず、七月は学生寮と思わしき敷地内に巡を引きずり込んだ。そんな巡の視界に玄関脇の柱に掛けられていた縦書きの名称が前途の多難さを物語っていた。


 ――え! 『四季女子寮』って、いろんな意味で駄目だろう――


 傍目には、女子寮の風呂を覗いていた巡が、風紀委員然とした凛々しい七月に捕まったように映っている事だろう。


 玄関の門をくぐって寮内に入った巡は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。正確にはそんな錯覚に陥っていた。ここは女子寮とうたわれており、巡にとっては無縁の場所であった。そんな女性ばかりが住んでいる空気、初めて嗅いだ慣れていない生活臭と言うものにあてられたのかもしれない。もっとも、


 ――女性と言っても、出会ったのは異世界ファンタジーの住人のような女性だし、これが普通の人達だったらな――


 と、思ったところで、一つの疑問に突き当たった。


 ――って、あの公園からここまで他の人に会ってないし――


 昼間は人が少ない住宅地とはいえ、真っ昼間なら公園から自宅までの道では、必ず一人や二人の人とはすれ違っていたはずである。例え一目散に逃げていたとしても、人を見かければ助けを求めただろう。しかし巡はそれをしていない。


 ――てか、そもそも自宅がおかしな事になっている訳だからな――


 これからその辺りの事情も説明してくれるだろうと、巡は男の劣情を呼び起こしそうな香り漂う空気の中、頭を二、三度振って気持ちだけスッキリさせた。

 と、そこへ、


「あらあら、どうしました神宿男マイダーリン君。それに七月ちゃんとお手てつないで……ふふ」


 六月は小悪魔的な笑みを浮かべていた。もっとも巡の視点では、魔族の六月が微笑むと、それだけで充分小悪魔的な笑みとなる。そんな笑みを見て、おっとりお姉さん系といってもそこはやっぱり悪戯好きな魔族かと、変に納得してしまう巡だった。対して七月は白い頬を僅かに薄桃に染め、慌てて巡から手を離すと、


「こ、これはだな六月さん、あたしは、神宿男あたしのおっとらしき者がまた逃げ出すと話がややこしくなるからな、その防止策としてこうしていたんだ、そうだ防止策だ」


 聞かれてもいないのに言い訳をしていた。そこに六月の強烈な一言が入る。


「まあまあ、七月ちゃんってクールそうに見えて案外純情なのね、でもそんなに照れなくていいのよ。だって私達神宿女スイートハニー神宿男マイダーリンに惚れちゃうくらいが丁度良いのよ」

「ほ、惚れるとか、な、何を……ば、馬鹿を言うな六月さん。ほ、ほんの一時間前に初めて会ったのだ。それだけの時間では、ほ、惚れるだのという感情はわかんぞ」

 六月に使っていた微妙な敬語も忘れて、精一杯の言い訳をする七月に、

「でもね、神宿男マイダーリン神宿女スイートハニーって一瞬あれば充分よ。だって私、前の時はそうだったし、この方にもどちらかと言えば……あらあら、私ったら……この話はまたね」


 六月は照れるように七月から視線を逸らすと、巡に向けて、


「そうそう、ここから先は土足禁止よ。このスリッパを履いて下さいね神宿男マイダーリン君」


 対して、はい、と答えた巡は、自分を中心に置いたようなガールズトークを聞き流し、というのか、話自体が自分を中心に怪しい方向へと向かっていたため、あえて聞こえない素振りをしていた。

 そして六月が用意したスリッパに履き替え、案内されるまま、健全な男子なら一度は入ってみたい女子寮内への一歩を踏み出した。

読み進めていただき、ありがとうございます。

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