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ここって? 011

 眼前に紺碧の海が広がる開けた砂浜に、少年と少女が向き合って立っている。

 凪の海によく似合う穏やかな日射しに包まれている二人には、優しく、ゆっくりとした時間が流れているのだろう。

 見つめ合い、そしてお互いの小指を絡めて、


「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます」


 約束を交わす。


「指切った」


 静かに二人の小指が離れた。

 一つの約束を交わし終えた二人は、何もかもが止まったように、見つめ合って立ったままだった。




 ――ああ、俺は夢を見ているんだ……だって――


 めぐるは客観的に見ている風景に思う。

 それは、少年の正体が中学時代の巡だった事と、


 ――蓮華れんか?――


 巡に、甘く、切なく、そして苦しい記憶を残した少女がいたからだった。


 ――何を約束しているんだ? そんな事をした覚えは……あれ? 俺は蓮華と何か約束していた気がするけど……何だったかな――


 巡は夢現つのまま思い出そうとしていた。しかし肝心な部分が、編集でカットされた映像のように記憶からすっぽり抜けて、思い出す事が出来ない。

 なにより本格的に覚醒を始めた意識が、今見た夢をかすませて……ついには……。




『…………10…………15…………神宿男かんなど四季しき巡、段階的覚醒状態へと移行しました』


 巡は夢見心地の中、唐突に体の内から響くように聞こえた声へ、


 ――だ、誰?――


 問いかける。

 が、巡の問いかけを無視するかのように出所が不明の声は次の言葉につなぐ。


『…………25…………只今から初期設定開始いたします』


 その声は、人工的に合成したような女性の声。音声案内以上に機械的であり、そこからは一切の感情が伝わってこない。


 ――俺の中に誰かいるのか?――


 出所が不明の声へ巡は更に問いかける。

 だが、やはり答えは返ってこない。

 巡の意識がしっかりと覚醒していたならば、俺にも中の人がいた、とか、俺の中の人が女性ってどうよ、等と仮想世界的ツッコミを入れる事が出来たかもしれない。

 出所が不明の声は、あくまでも自己中心的に、


『…………身体基本情報の入力完了…………初期設定を完了します。

 …………神宿女かみやめ七月を確認…………連結可能…………只今より静的連結せいてきれんけつを開始いたします』


 作業らしき事を、それこそ機械的に淡々と進めていく。


『…………神宿女七月との静的連結………承認待ちます』


 そして、巡の意識がいつでも目を覚ませる状態まで覚醒すると、


『…………90…………神宿男四季巡、完全覚醒を確認…………只今より、別命あるまで待機状態に移行します』


 その言葉を最後に、出所が不明の声は聞こえなくなった。

 同時に巡の意識は覚醒して、


 ――夢? あれ? 夢をみていた? ような気がするけど……何だったかな……てか、声が聞こえたけど……それも夢? だったのかな――


 つい先程巡の見た夢は、岩に打ちつけられた波が飛沫となって消え去るように、欠片も残さず記憶から消えていた。




「…………ん? ここは?」


 巡がようやくとばかりに目を覚ました時には、日はすっかり暮れていた。もちろん岬丘さきおか高校の下校時間はとうに過ぎ、それこそ残業を終えた教職員が帰宅していてもおかしくない、『夜遅く』という時間を迎えた頃だった。

 それでも管理棟の一室、保健室は未だに明かりを灯していた。

 そんな時間に意識を戻した巡は、見慣れぬ天井の記憶を辿たどろうとしたのか、それとも単に室内を照らす蛍光灯の白光がまぶしかったのか、開いた両目を細めた。


 ――保健室? の天井……だよな。仰向け? って事は……拘束が外されている?

 ああ、全て終わったんだな……と信じたいけど――


 巡は、うすらぼんやりしている目覚めの意識で思いつつ体を起こそうとするが、暴れ回った激痛の残滓ざんしがそれを許さなかった。

 体を動かそうと力を入れたとたん、全身の関節と筋肉に痛みが走った。


「イテテテ!」

 一瞬で意識が完全覚醒する。

 同時に、ピクリと動いた右手指先に、優しく温かい感触を覚える。


「ん? 何?」


 天井を見ていた巡は、視線だけを右手方向へと向ける。


「あっ、ひ、七月さん?」


 巡の手を優しく握ったまま、目の周りを赤く腫らした七月と視線が交差する。


「し、四季巡……良かった、目を覚ましてくれた」


 一拍置いた七月の安堵の言葉は、澄んだ清流のような声ではなく、無理矢理搾り出したようなかすれた声音だった。


「七月さん……ありがとう……イテテ」


 七月と視線を合わせた巡が、照れたように答えるながら頭を掻こうとして、今一度痛みが走った。


「い、いや、礼を言われるまでもない……逆にあたしが言いたいくらいだ……あ、ありがとう……」


 尻窄まりに声を落とす七月は、巡に礼を言われた事に照れたのか、それとも自分の言葉に照れたのか、頬を薄紅に染めると、巡の手を優しく握ったままの両手におでこを乗せて、顔を伏せた。


「あら巡君、目を覚ましたのね」


 二人の会話が聞こえたのだろう、事務机の安っぽいドクターチェアに座っていた三月が気だるそうに立ち上がり、ゆっくり寄ってくる。そして、ふう、吐息を一つ挟んで、


「巡君が目を覚ましたわよ」


 呼ぶというほどの大声ではないが、静まり返った保健室には充分な音量だったらしく、とたんに、女性の話し声で埋め尽くされる。部屋の一角で巡が目を覚ますのを待っていた四月と六月、それに十二月が、重苦しい空気から解放されて、先ず口が動き出したのだろう。

 六月と十二月は、それぞれ安堵に似た言葉を交わしながらベットに横たわる巡へと足を進める。

 巡は近づいてくる女性達の言葉を耳にしながら、左側に立つ三月へ目を向けると、


「三月先生……えっと……何だかいろいろとご迷惑をかけて、すみませんでした」

「ご迷惑なんてないわ、お姉さんは養護教諭、保健室のせ・ん・せ・いなのよ。それよりも大変だったのはね……巡君よりもななちゃんだったのよ――」


 巡の言葉を受けて三月は妙なしなを作って答えながら、意味ありげに言葉を切ると、七月へと視線を流すように送り、


「――だってね、その手を離さないのよ――」


 三月は、うふふ、と不健康そうな顔色に黒い微笑みを浮かべながら、巡へと視線を戻す。


「――巡君の拘束を外して仰向けに寝かし直そうとしても離さないし、汗を拭き取ろうとしても離さないし……熱々の恋人同士みたいにね。

 巡君、いいわね。ななちゃんみたいな綺麗な女の子にこうまでされて」


 明らかに冷やかしとわかる黒い笑みを三月から向けられた巡は、ボン、と耳まで少々濁った朱に染めて、


「ななな何を言いだしゅんででですか。そ、そりゃううう嬉しいですよ、おにゃの子と手をちゅないだなんて、それはそれは昔の、遠い記憶……小学校のフォークダンスでくらいですしね。

 ででででもね、七月さんがどう思っているかが重要で……」


 言い訳なのか照れ隠しなのか、カミカミで反論する。


「あらあら、私だって立派な女の子よ。昨日、私と手をつないだ事も忘れちゃったのかしら」


 と、三月の背後から、話をややこしくするような声が掛けられる。

 巡に小悪魔的微笑みを向ける魔界風おっとりお姉さんからだった。


「ろ、六月さん? あれは手をつないだというより、連行するための拘束の一種です! しかも腕だった気がするんですが……てか――」


 巡は言葉半ばで慌てて口を閉じた。続く言葉にNGワードが混ざっている事に気が付いたからだ。しかし中途半端に止められた言葉はストレスを作る。モヤモヤとした気分を解消するために、


 ――そのお年で女の子宣言ですか? 二十歳過ぎても魔法少女を名乗っちゃう的な――


 と胸中で処理をした。

 巡も一応だが学習はする。

 午前中、年齢の話題を口にして十二月に投げられたばかりである。とはいえ、小学生的外見の十二月に対して、初見で、しかもノーヒントで年齢を当てるほうが無謀だ、と巡は思う。しかし『何歳?』と口に出した瞬間投げられて、いろんな意味で良い経験をした、とも巡は思う。

 つまり、明らかに年上とわかる女性との話題においては、年齢の話は禁忌たぶーだ、と学習した。学習というより、一般常識的な事なのだが……。

 だからNGワードにつき声に出せない巡は胸中で呟くしかなかった。

 それでも六月は、巡の心の声を聞き取ったかのように、魔族のそれはそれは恐ろしい視線を巡に向けて牽制すると、次の獲物に食い付いた。


「ラブラブのところをお邪魔してごめんなさいね、七月ちゃん」


 突然掛けられた言葉に七月は、今の今まで巡の右手を包み込むようにつないでいた手を慌てて離して立ち上がると、


「なっ!! 何を……六月さん。

 い、いやこれは……これは、そういうものではないんだ。そ、その……これはあたしが任された使命というのか……そ、そう、義務のようなものなんだ」


 巡と同じく、いや、透けるような白い肌をルビーのように美しく染めあげ、あたふたと言い返す。


「あらあら、そんなに照れなくて良いのですわ~」


 六月はおっとりした物言いとは裏腹に、彼女の見た目通り、発達した犬歯を覗かせて悪魔のような笑みを浮かべていた。




 七月が奇妙な声を聞いたのは、六月に冷やかされ、巡の手を離して立ち上がった直後の事だった。


『…………神宿男四季巡から静的連結要請…………承認しますか』


 ――えっ? 何? 誰?――


 七月は体の中から伝わる声に、僅かに身を震わせた。一切の感情が伝わってこない、機械的な女性の声だった。すると、


『…………再度確認…………神宿男四季巡から静的連結要請…………承認しますか』


 再びの問いかけが来た。


 ――四季巡をあたしの神宿男として承認するか、という事なのか?――


 七月の問いかけに明確な返答はなく、


『…………再度確認…………神宿男四季巡から静的連結要請…………承認しますか』


 機械的な女性の声は、同じ言葉を繰り返すだけだった。


 ――どのみちそうするつもりだったからな。わかった、承認する――


 七月は胸中に言葉を作った。


『…………承認を確認…………神宿男四季巡に送付します』


 この言葉を最後に、機械的な女性の声は途切れた。




 七月が内に向けていた意識を正常に戻すと、魔族の影から、尊大な物言いの小学生的女性が現れた。巡達の担任教師十二月である。


「四季君、七月さん、今日のところは大目に見るが、不純異性交遊は駄目なのだ」


 一応先生らしい事を言うと、七月は、ワタワタと、


「じゅ、十二月先生……い、いやあたしは、そんな事は……考えていません。

 そ、そう、あたしは四季巡とは違います! ……違うんだ。

 あ、あまりに……見るに耐えかねて……その……手を差し伸べただけです。そう耐えかねたんだ」


 何やら自分に言い聞かせるように答えた。


 ――あ、あの七月さん、そりゃまあ確かに七月さんとなら、不健全なお付き合いも望むところなんですがね、何だか失礼な事を言ってませんか?――


 七月の言い訳は、巡を微妙に傷つけていた。十二月は、まあいいのだ、と七月を深く追求はしないで巡へと視線を向ける。


「しかし、四季君には一言、言っておくのだ。

 『神宿女は平等に扱え』なのだ。それが良い神宿男の条件なのだ。

 神宿女である先生が言うのも変だが、神宿女はみんな情が深いから、取り扱いは要注意なのだ。女の嫉妬は深くて怖いものなのだ」


 十二月は言うと、その容姿に似合わない黒い笑みを浮かべ、よいか、と言葉を続ける。


「それは視線から始まるのだ。次は態度となって表れ、そして実行と進んで行くのだ。

 いろいろとやりたい盛りの四季君にはこくな話なのだが、間違っても特定の一人だけと不純異性交遊などしては駄目なのだ。

 どう隠しても……バレるのだ・ゾ。女の勘をめてかかっては駄目なのだ・ゾ。

 万が一の場合、実行フェーズに突入する前に何らかの対策をするのだ。

 さもないと……実行、つまり……刺されるのだ。

 もう一回言っておくのだ。情の深い女は怖いのだ・ゾ」


 一言のはずが、随分と文字数を食っていた。巡は十二月の話に一度身を震わせたが、


 ――まあ、十二月先生が言うと、真実味があって冗談に聞こえないな。なりはちっちゃな小学生でも、さすが先生です――


 口に出せない言葉を胸中で呟いていた。


「さてと……」


 会話が途切れたところで三月が吐息まじりの言葉を作る。


「巡君も目覚めたことだし……ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」


 巡がその言葉に驚き、口を開こうとするが、ダークエルフの笑みを浮かべる三月はその間を与えず、


「ポチッとね」


 巡のトラウマを抉るような恐怖の呪文を唱えた。


「ひっ!!」


 短い悲鳴と共に目を固く閉じた巡の脳裏に、つい先程体感した拷問のような激痛の記憶が鮮明によみがえる。


「ちょ、って、ままままたですか?」


 何かの作動音が巡の耳に入り、体を無理矢理起こされるような感触が伝わった。

 逃げ出そうにも、激痛の残滓がそれを許さない。


「って、あれ? あれれ?」


 慌てた巡が、単にベットのリクライニング機能が作動しただけと気付いた時には、上半身は完全に起きていた。

 体が動いたため痛みはあったが、何かをされているわけでない現状に巡が安堵する。

 ところが問題はそれからだった。

 それは、


『…………神宿女七月…………承認…………静的連結完了いたしました』


 再び出所が不明の声が巡の体に響いた。


 ――へ? あっ、了解です。てか、誰ですか?――


 何の気無しに答えた巡は問いかける。しかし今回も答えは返ってこない。

 巡は、仕方なくというわけではないが、出所が不明の声が『神宿女七月』と言っていた女子に目を向ける。


「ふ、文月ふみつき……れ、蓮華さん、何だか凄いお顔で……?」


 巡は言葉半ばで止めた。蓮華の凄いお顔におびえたわけではない。自分の言った言葉に違和感を感じたからだ。

 巡は改めて目の前で立っている天界戦乙女てんかいいくさおとめ風の文月蓮華を見る。

 彼女は何かに困惑しているような、怒ったような、色々混ざったような複雑な表情を作っているが、少なくとも巡の呼んだ名前に対して、というわけではなさそうだ。もし彼女も巡の言葉に違和感を感じたならば、怪訝けげんの表情を作るだろう。


 巡が口にした『文月蓮華』という名前は、金髪碧眼に白い肌と代表的な西洋風の容姿に釣り合っていないと思う。そもそも天使とか女神だと言われても、充分通る容姿である。だのに、何故和名? と巡は思ったりもする。

 だが、名前と容姿の釣り合いに対しての違和感なら、昨日、名前を聞いてからずっと感じているだろう。でもそんな感覚は無かった。

 つまりこの違和感は、今まで呼んでいた名前に対して初めて感じたものである。


 ——えっと、今まで別の名前で呼んでいたような気がするんだが……気のせいか?——


 思う巡は、では、と百歩譲って、今まで目の前の天界戦乙女を別の名で呼んでいたとしたら、降って湧いたように出て来た『文月蓮華』という名前は、何処から出てきたのかと、巡は思い、記憶を辿る。だが、思い当たる記憶がない。

 だから巡は、


 ――やっぱり、思い過ごし? だろうな――


 と、結論付けて、無理矢理違和感を打ち消して納得するしかなかった。

 ところがところが、問題は更に進行して行く。


 巡が違和感を解決しようとして、怪訝な表情を作り、痛む首を何度も傾げていると、


「あらあら、たぶん『名変わり』ね」

「そうね……きっと『名変わり』よね」

「うむ、あれは『名変わり』なのだ」


 今の今まで巡と蓮華をもてあそんでいたお姉さんトリオが、数歩引いたところで、怪しい単語を口にしていた。


 ――ん? 『ながわり』? って……何だ?――


 巡は初めて聞いた単語に胸中で疑問を作る。もちろん、どんな文字を当てはめているのかわかれば、その単語の意味くらいは理解できたかもしれない。だからといって巡には、何故その単語が出てきたのか、真意はわからないだろう。

 今、巡の目の前に立っている天界戦乙女は『文月蓮華』であり、ほんの数分前まで『七月』と呼んでいたことを巡は覚えていないからだ。

 しかしこの程度の問題であれば今の巡なら、後付けの説明でも納得出来ることだろう。


「でもでもね、あれって、神宿男も神宿女も何が起きてるのか、わからないみたいなのよ」

「特に神宿男は、おかしな感覚に包まれるって聞いたわね」

「うむ、神宿男は記憶と引き換えに、神宿女をその記憶の名前で呼ぶようになる、と聞いたのだ」


 いつもながら非常に重要な事を、サラリと流す井戸端会議状態のお姉さんトリオだった。

 特に『記憶と引き換え』というのは非常に重要な問題のである。しかしこの一日で精神的に鍛えられた巡である。

 それは『異世回廊いぜかいろうの交差点』を制御する『神宿』のシステムで……云々、と後付けの説明を受ける事で納得してしまうだろう……多分……。

 巡としては、今すぐにでも説明を受けたい気持ちになる。しかし、なにより可及的速やかに解決を要する問題が目の前に迫っていた。

読み進めていただき、ありがとうございます。

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