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ここって? 010

「ん? 冷た!」


 今まで焦りばかり先行していためぐるが、首根っこに伝わるヒヤリとした硬い感触に、僅かに落ち着きを取り戻したのだろう、制御結晶体は無機質なのだろうか、と妙に冴えた頭で思う。意識体と三月が言っていたので、有機的な暖かみがあるものと思っていた巡は、予想していなかった冷たさを感じ、反射的に首を縮めようとして拘束具に阻まれた。

 更に、


 ――三月先生の話では、もの凄い事になるって散々脅されたのに、どうって事ないけど。

 さっきまでの焦りはいったい何だったんだろう……俺って情けないよな。

 って、七月さん、一部始終を見てたんだよな。

 まさか四月や六月さんに一部始終を報告ってことは……無いと信じよう。

 それにしても……もう終わったのかな? 早く拘束から解放して欲しいんだけれど――


 全てにおいてスカされたような妙に冷めた気分で、胸中に思う。

 とはいえ、実際どのような状況になっているのか、周りに確認したくても、相変わらず口を開くことが出来ないほど、完全に拘束されているため言葉を声に出すことが出来ない。拘束が解かれるまで巡は目の前の、見慣れた、というより、それしか見る事が出来ないベットの白いシーツを無言のまま見ているしかない。


 ――しかし、何も起きないな。

 さっきまでの話って、もしかして俺の緊張をほぐすための作り話なのかな?

 いやいや、だったら三月先生も人が悪いな。男にその手の話をするのは、間違いなく恐怖をあおるだけですから、逆効果です――


 妙な安心感に包まれた巡は、先程三月と七月が交わしていた制御結晶体の話を思い出していた。


 ――そうか、七月さん達の中には同じようなものが入って……だ、駄目だ、これ以上の想像は危険だ。

 でも、助かったな。おかしなところに入れられたりして、変な癖が……って思うと、ゾッとするよ。

 そう、俺の恋愛対象は女子なんだし。

 そう言えば、七月さんが、何だか危ない言葉を口走りそうになってたぞ。興味あるのかなBL系に……って、七月さんの世界でもあったのか? 直接本人には訊けないけどね。

 ん? 三月先生がさっきから何かブツブツと……期待はずれの結果だったのかな? それとも俺が適合していないのか? だから何も起きないのか?――


「……ん!?」




 七月は不思議な光景を見ていた。

 その視線の先にあるのは、先程巡の背中に三月が無造作に置いた、色を変化させて神秘的な光を放つ制御結晶体である。それは球体なのだが、


 ――な、何故、転がらないのだ。見た目は宝石のようだったが、実はひっつき虫だったのか?――


 巡が聞いたら、そこかよ! と間違いなくツッコミを入れるだろう。

 確かに制御結晶体は、首と背中の境の決して平らではない、むしろ脊椎の出っ張った部分の頂点に置かれている。普通の球体ならその場にとどまる事はなく、低い方へと転がるはずである。


 ――むぅ……それはそれとして、何も始まらないではないか。

 三月先生の話では、四季巡は、それはそれは耐えかねるような苦痛に襲われると言っていたが……そういえばテレビとかで何度か悶絶している映像を見た事があるな……こう言っては何だが、結構笑える。

 あっ、不謹慎だったかな。男にとっては筆舌に尽くしがたい苦痛だということを、知識として知ってはいるが……女のあたしにはどれほどのものかわからん話だしな。

 まあ、わかりたいとも思わないし、なにより理解出来ない事に対して、どう反応して良いのか……部位が部位だけにこっちが困る。

 いずれにしても四季巡の慌て様から察するに、かなりの苦痛なのは間違いないだろう――


 七月は一旦考えを切ると、動かない状況にややれたのだろう、二、三歩の範囲をウロウロして考えを繋ぐ。


 ――それはそれとして……どの程度の威力で、どんな反応を示すか気になるな……機会があったら一度蹴飛ばして……四季巡なら笑って許してくれそうだし……なんでも、噂ではそういった方面の女王様がいるとかいないとか……ならば王家の血を引くあたしは適任なのでは……い、いかん、今はそんなことを考える時ではないぞ、それこそ不謹慎だったな――


 おかしな方向へ暴走を始めた妄想を制止するために、七月は薄桜色に染まったほほのまま、数度首を振って正気を取り戻す。そして足を止めると、一向に何の変化もしない制御結晶体の輝きに目を細め思う。


 ――それにしても静かだな。四季巡も全く動かないし……ま、まさか、既に苦痛のあまり気を失っているというのか? あの何かと騒がしい四季巡が、静かにしているのだ。それは考えられる。

 しかし……だからと言って、あたしは黙って見守るくらいしか出来ないし、三月先生も焦れているようだな――


「……ん!?」




 巡の背中に制御結晶体を置いた三月は、目尻と眉尻を下げた嬉しそうな表情を作っていた。まぶたが半分落ちたような眠たげな眼を今はしっかりと開いて、これから起きることに、今か今かと興味津々で待つ少年のように無邪気な視線を巡の背中へと向けていた。もちろんその目の奥には、これから始まる事を決して見逃さない、という観察者としての鋭い光も輝いている。

 しかし、時間にして十秒程経過した時、嬉しそうだった表情が普段の気だるそうな顔つきに変化する。


 ――いやね……静かすぎるわよ。

 せっかくのお楽しみタイムだったのに、巡君もななちゃんも何も言わないし。

 全く、これじゃ面白くないわよ――


 予想を外された三月は胸中で思いつつも表立っては平静を装う。しかし胸を持ち上げるように腕を組んだままの指先で、肘をトントンと叩く仕草が、微妙に苛つく彼女の心情を表していた。

 ふと、視界の隅に動くものが入って三月は視線を向ける。


 ――あら、ななちゃん、ウロウロしちゃって……落ち着かないのね。でも、わからないでもないわね。巡君はななちゃんの神宿男かんなどになるかもしれない人だから、とっても重要な事よね。

 ん? どうして頬を上気させているのかしら……彼女、落ち着いているように見えて、結構せっかちなのかしら。

 それにしては、イライラしている様子でもないわね……何を考えているのかしら……巡君の事かしら……うふふ……可愛いらしいわね――


 女の勘は同性に対してでも発揮されるのだろうか、当たらずとも遠からずの事を思い浮かべる三月は、一度七月に対する考察を切ると、未だ動く気配を感じない状況に、


 ――もしかして、あいつにだまされたのかしら。自分で言うのもなんだけど、私、尽くしちゃうから結構騙されやすいかもね。

 それとも……巡君は適合者じゃないのかしら。ここに来て、まさかとは思うけどね――


 三月は気だるそうに、ふう、吐息を一つ入れる。


 ――どっちにしても、このまま何事も無く終わっちゃったら、そうね……今度あいつに会った時に、蹴りあげてやるわ。

 でも……二度と会う事は無いでしょうけどね――


「……ん!?」




 それは静かに始まった。

 巡は、制御結晶体の置かれた背中に違和感を感じて。

 はたから見ていた三月と七月は、制御結晶体の光が消えたのを見て。

 三人が同じタイミングで同じ声をあげたのは、必然と偶然の産物だったのだろう。

 ただし、その内容は随分と違っていた。

 七月と三月が声に出したのは、一種の疑問形の『ん!?』であった。


「――さ、三月先生、光が消えてしまいましたが、これで終わったのでしょうか?」

「――お姉さんも初めてだから……わからないわ。でも、これから始まると思うわ」


 対して巡は、

 ――な、なんだ? 背骨に沿って、いや、体中を何かが――

 何かが、ゾワリゾワリ、と体をいずり回るような不快な感触と、そのうごめきに、ピリッ、と軽く痛覚を刺激された事によって自然と口から出た『ん!?』であった。

 が、数瞬後、


「うんんんんんんんん!! んんんん!!! んんんん!!! んんんんんんんんんん……」


 巡は突然、口から出る音を裏返して奇声を発した。

 不快な感触だった何かが、唐突に激痛へと変化して、体中を駆け回り始めたからだ。

 先ずは、青竹を縦に割るように、背骨を真っ二つに割られたような感触が走る。


「うぅぅぅん!! うぁぁぁぁぁぁぁ! んんんんんんんんん……!!」


 次に、そこから体中の神経を、ズルリ、引きずり出されたような感覚が駆け抜けた。


「………………!!!!! ん!!!!!!」


 しかし四肢の感覚が無くなったわけではない。むしろ指先、つま先まで、よりいっそう鋭敏となった痛覚だけは不思議と残っている。何かか触れるだけで激痛が体中をところ狭しと暴れる、そんなき出しの痛覚だ。

 巡の体から痛覚だけはそのまま残し、残りの神経系を分離されたような感覚だった。

 直後、


 …………ゾワリ、ゾワリ、ゾワリ。


 神経が引き抜かれた空洞に何かが侵入、侵蝕してくるような感触が巡の体に広がって行く。

 その何かが触れる度、麻酔無しで歯をゴリゴリと削られるような、

 何かが動く度、開腹手術を麻酔無しで施術されているような、

 何かが絡み付く度、剥き出しの神経に、ブスリブスリと何本もの針を突き立てられいるような、

 そんな鋭角的な疼痛が休み無く襲ってくる。

 あげく臓物を直接握られているような猛烈な嘔吐感と鈍痛まで襲ってきた。


「うううんんんんんん!! うぅぅぅんんんん!!! うぅぅぅぅぅんんんんんん……」


 完全に拘束された体では、その身をよじる事もうずくまる事も出来ない。悲鳴を上げたくとも開かない口から出るのは、くぐもり、裏返った奇声のみであった。


 始まって数秒、巡の意識が体中を走り回る激痛に耐えかねて遠のく。

 消えていく意識の中、


 ――ああ…………これで楽になれる――


 巡は思う。

 が、更なる激痛に襲われて、折角遠のいた巡の意識が再び覚醒する。

 そんな状態を何度繰り返したかわからない。

 心身ともに困憊の巡は、


 ――もういい、お願いだ、このまま殺してくれ! これ以上続くなら、もう全てを終わりにしてくれ! それでいい、かまわないから――


 ついにはそこまで思う。至極当然の事だ。

 本来なら、その身に受ける激痛のショックで心臓が止まってもおかしくないほどだ。

 しかし巡の心臓は、強心剤でも投与されたように、今でもしっかり動いている。それどころか、心臓に限らず巡の生体機能は、別の意志に乗っ取られたかのように、正常な機能を続けている。

 つまりは残酷にも、苦痛のあまり死ぬ事は無い、という事だった。


「うううんんんんんん!! うぉぉぉぉぉんんんん!!! んんんぉぉぉうぅぅぅんんんん…………ん!?」


 突然、激痛だけが体中を走り回り、逃れようのない苦痛にさらされている巡の右手に新たな感触が伝わった。

 混迷する意識の中、右手に伝わる感触の正体を確認しようと、眼球が変形するのではないかと思えるほど固く閉じていた目を無理矢理開き、僅かに自由の利く眼球を右手方向へと向けた。

 瞼の圧力から解放されて、急激に光を浴びて霞む視界の片隅に映し出された感触の正体に、


 ――れ、蓮華!?――


 声の出せない巡が胸中で叫んだのは、唯一、恋心を伝えた女性の名前だった。




 三月は今一度、眠たげな目を大きく開くと、観察者として冷静にその光景を見ていた。

 事が始まった当初こそ、目の前で、苦痛に体を捩る事も、声に出して救いを求める事も出来ず、ただ固定されたまま奇声を上げる拷問の被害者、それとも悪魔的人体実験の被験者のような巡に、見守る以外何もしてあげられず申し訳ない、と思っていた。

 だが、いつの間にか観察者としての好奇心が、そんな気持ちを片隅に追いやってしまっていた。

 だから、目を背けたくなるような目の前の光景に三月は、


 ――こ、これよ、これこれ! これこそが私の待ち望んでいたものなのよ――


 知らず知らずのうちに口の端を上げていた。




 七月は、その光景の始まりから目を逸らさずに見ていた。むしろ、どんなひどい事になろうとも目を逸らしては駄目だ、と思っていた。


 ――四季巡と違って、あたしは、あたし達は、この『異世回廊いぜかいろうの交差点』に、誘われ、了承して……いや、むしろ望んで来た。

 元の世界から逃げ出したかったから――


 だから、と胸中で決意を固めようとした矢先の事だった。


 「…………!!」


 唐突に飛び込んできた耳を裂くような巡の奇声に、七月は思考を止めて身を震わした。

 どうしたら、どうなったら、あんな叫びが出るのか? 巡の奇声に思わず恐怖する。

 そんな恐怖を振り払おうと頭を数度振る七月に、二つ目の奇声が耳に飛び込んできた。

 今、目の前で苦しむ巡はガッチリと拘束されているがため、どのような苦痛が襲いかかろうと、身を僅かに震わす動きしか出来ない。


 そして三つ目の奇声。

 連続で襲いかかる激痛で引きつるような身の震えに、体中の力を抜くことが出来ず、喉を開く事が出来ず、口を開けることが出来ず、だから言葉は奇声となり、断末魔の叫びとなって、七月の恐怖心を煽る。


 四つ目、五つ目……次々と巡の奇声が七月の耳に飛び込む。

 耐え難い恐怖に七月は思わず目を逸らす。宙に浮いた視線は、助けを求めるかのように巡のかたわらに立つ三月ヘと向けた。

 しかし視線の先の彼女は完全な観察者となって、腕を組んだまま身じろぎ一つしないで巡を見ている。

 そんな三月に、助けを求める事は出来ない、と七月は胸中で反省を作り、今すぐに目を伏せたくなる気持ちを、耳をふさぎたくなる気持ちを、一刻も早く退室したくなる気持ちを、とにもかくにも押さえつけ、つい先に決めた信念を貫くために再び巡へと視線を向ける。


 今もなお、全く身動きが取れない程ガッチリと拘束されている巡は、うなりとも、悲鳴とも取れる奇声を何度も何度も発し、呼吸を荒らげている。

 巡の体内で何が、どう変化しているのかはわからない。

 七月でもわかる外的な変化といえば、神秘的な光の消えた制御結晶体が、どのような理屈かわからないが半分程巡の体に埋まっている。だが不思議と血液などは流れていない。間違いなく巡の体に埋まっているのに。

 制御結晶体は更に潜り込もうとしているのか、未だ小刻みに振動している。

 そして時折、制御結晶体から七色の光彩が放たれると、彼の体の四肢に向かって神秘的な光が走る。その度に巡は奇声を発している。


 ――あたしは、この世界で自分を変えて元の世界に、逃げ出した元の世界に帰りたいんだ。

 だけど、多分……四季巡がいなければあたしの願いは叶わない。

 その彼は無理矢理この世界に引きずり込まれて、目の前で苦痛を強いられている。もしかすると、あたし、あたし達が彼を呼び込んだのかもしれない。

 だから、だから、あたし達の我がままの犠牲になっているかもしれない四季巡が、苦しむところから目を逸らしては駄目なんだ――


 決意を固めた七月は、一歩、二歩と巡へと近づき、


「すまん……あたしにはこうする事しか出来ない」


 身を屈めると、巡の耳元でポツリと呟き、膝を折った。




 それに驚いたのはこの場の監督責任を持つ養護教諭の三月だ。

 今の状態の巡に近づくのは良しとしても、


「な、ななちゃん! 何を! 危険よ、離しなさい!」


 七月が巡に触れるとは思わなかったのだろう。しかし三月は言葉を口から出しただけだった。

 実際、巡に近づく七月を力で制止する事は出来た。でもしなかった。いや、出来なかったと言ったほうが良いかもしれない。

 もちろん、今の巡に触れる事の安全が確保されたから、というわけではない。

 現在、三月は養護教諭として立場的に観察者ではある。とはいえ神宿男の適性検査は、立ち会った事すらない初めての事である。本部からは事前に、神宿男がどういう状態になるか、あらかた聞いていた。そのおかげで、巡に覚悟を決めさせる説明は上手く出来たと思う。

 だが圧倒的に経験が不足しているため、想定外の事態に、何が安全で何が危険なのかまではわからない。判断もつかない。

 しかし三月は、


 ――あんな表情をされては、止める事も出来ないじゃない――


 巡をいとおしむような七月の表情に、半歩足を進めたところで次の行動に繋げる事が出来なかった。




 奇声にも似た三月の制止を無視をした七月は、てのひらから吹き出た汗で脂を塗りたくったようにベタつく巡の右手を、嫌な顔一つしないで、むしろ愛おしそうに両の手で優しく、優しく包み込んでいた。




 巡の視界から霞が薄くなり、徐々に輪郭がはっきりとしてくる。

 その視界の片隅に浮き上がったのは、悲痛な面持ちで、それでも何か祈るように巡の手を包んでいる、


 ――七月さん? だよね――


 改めて右手の優しく温かい感触の正体を確認した。


 ――こうして見ると女神様は本当にいると信じたくなるな――


 七月の天使とも女神ともいえる容姿が巡にそう思わせたのだろう。


 ――こうされていると、安心感というのか、安らぐというのか……ありがとう七月さん――


 七月の行為がきっかけとなったのか、それとも偶然なのか、巡の体を暴れ回っていた激痛が徐々に鎮まっていく。同時に体力、精神力ともに限界まですり減らした巡の意識が、安堵とともに闇の深淵へと沈んで行った。

読み進めていただき、ありがとうございます。

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