ここって? 009
「四季巡、この世界に来て何か思う事はあるか?」
教室を出た巡と七月が校舎と管理棟をつなぐ渡り廊下に差し掛かった時、掴んでいた巡の腕を解放した七月が尋ねた。
「思う事? って、俺、この世界に来て二日目が……いや、時間としてはまだ一日がようやく過ぎようとしているところだし、この世界の事もよくわからないからな。
そりゃ、こういう世界も妄想的想像くらいしたことはあるけど、実際にあるとは思っていなかったわけで、だから、思う事って言われてもだな……まあ、言いたい事だけをつらつら言えば、一週間はかかる、って――」
ふと、七月が視界に入った巡は、言葉を中途半端に止めた。
天界戦乙女の七月がその外観通り、天使それとも女神のような微笑みを浮かべて巡を見つめていたからだ。
「あっ、すまん、気を悪くしないでくれ――」
巡の視線と止めた言葉にバツの悪さを感じたのだろう、七月が軽く頭を下げると、しかし、と繋げる。
「――一が百になって返ってきそうだな」
七月は言いながら、再びクスクスと微笑んでいた。
――か、可愛い。七月さんもこんな表情をするんだ……って、いかん! と、とにかく話題を――
思い、二、三度、小さく頭を振る巡だった。七月は、そんな彼の胸中を敏感に察知したのだろう、微笑みを止めて怪訝の色を僅かに浮かべる。
「ひ、七月さんは、いや、その、七月さん達は訳があってこの世界に来たって六月さんから聞いたけど、あっ、り、理由とか訳を訊きたいんじゃないんだ。それは、ほら、個人的なものだから、俺から訊く事じゃないと思うんだ。
て、いうのか、俺が聞きたいのは、七月さんはいつこの世界に?」
あたふたと言葉をつないで、出来立てほやほやの問いを投げかける。
七月は足を止めて、あたしか、と呟くように言うと、巡へ向けていた視線を外した。
隣に並ぶ巡が勢いのまま、一歩、二歩と、足を進めたところでようやく止まり、七月へと振り向いた。
「あたしは……半年ちょっと前……昨年の九月……ここに来たのは」
答えた七月が足を進めて巡に追いつくと、再び二人並んで管理棟へと入り、奥へと足を進める。
二人の間にそれ以上の会話はない。静まり返る管理棟に、床を打つビニールスリッパの安っぽい音が二つ重なりエコーをかけたように響く。
七月の沈黙は、中途半端な答えの追求を拒む心の表れだったのかもしれない。
巡もそれがわかったのだろう、僅かの間の沈黙に付き合う。しかし、
「……じゃあ、他の皆はいつ?」
窮屈な居心地に思案し、問いかけを作る。七月もそれを拒絶する事なく答える。
「四月は、あたしが来てから一ヶ月くらいの間だな。
六月さんと十二月先生は何年も前に来て……それとこれから会う養護教諭の三月先生もだな」
「って、皆、何て言ったかな……」
「ああ、神宿女だ」
「やっぱりか……って、言うのも違うな。まあそれが当たり前の答えだしね」
「先生達三人は『魔・技・架』にも……あたしがここに来る少し前まで乗っていたようだ」
「俺達の上司さんになるわけだ。伊達にお姉さんをやっているわけじゃないんだな。で――」
言いかけた巡の言葉を、
「あたしからは、これ以上語るべき事じゃないな。直接本人に訊いてくれ」
七月は深入りする事を拒絶するように、遮った。巡は、そんな七月の態度を感じ取り、
――まあ、個人的な事なんだろう……色々と複雑だな――
それ以上は言葉を作らなかった。
「…………」
「…………」
再び訪れた沈黙の中、二人は並んで足を進める。やはり巡にとっては居心地の悪い沈黙だったのだろう。
「そ、そう言えば生徒会って――」
言いかけたその時、
「ここだ、四季巡」
七月が巡の言葉を切って足を止めたのは、保健室と書かれた表示板が吊り下げられた扉の前だった。
「……えっと七月さん……ここって……」
「ああ、保健室だが、何か問題でもあるのか?」
「い、いや、問題というのか……このプレートって」
どことなくそわそわしながら言う巡は、目の前の扉を指さした。
指が示す方向にはピンク色のハート形プレートが掛けられている。更にそのプレートには、妙に艶かしいというのか、色っぽいというのか、男心をいろんな意味でくすぐるというのか、なんというのか、とにかく妖しい字体で『休憩お~け~ ゆっくりしていってね(はーとまーく)』と書かれていた。
巡は知識として、そういう看板が上がっている施設を知ってる。もっとも巡には、そういう施設で大人的親愛度を深める相手がいない……いや、例え相手がいたとしても年齢的にそういった施設の利用はどうかと思ってしまう。と考える自分は固いのか。とはいえ、クラスに利用の成果を自慢げに話す奴が何人かいたのも事実である。奴らの話を聞くと、利用するにあたり極力従業員とは顔を合わせない作りになっているというので、追い出されることはないだろう、とのことだった。
それはさておき、ここは仮にも学校である。そういった施設とはもっとも縁遠い場所であるはず。しかし仮想世界の学園ものにおいて、男女が親愛度を深めるイベントシーンで保健室は登場したりもするからな、いや定番だな、とも思う。あくまでも健全な男子の妄想の範囲だが……。
ふと巡は自分の置かれた状況を思い出した。今のところ自分の周りには女性ばかりである。しかも彼女達とは同じ場所に住んでいる。今後はイベントフラグがバンバンに立っていくに違いない。更に仮想世界的理論で付け加えると、神宿男と神宿女というのは、種族や次元を越えたなんらかの深い絆で結ばれていてもおかしくはない。それならただならぬ関係に進んでいくのも自然の摂理だろうと思う。姿形は違えど、男女なのだから。
おかしな期待とともに、そこから導き出された答えは、
「ここって、学校公認のご休憩場所?」
思わず口から声を出した。
「何を言ってるんだ、四季巡。体調の悪い者をゆっくり休憩させなくて何が保健室だ」
「いや、でもさ、このプレートって――」
「医者を前に緊張する者もいるからな。その緊張が少しでも和らぐように、くだけて書いてあるだけだろう」
真相はさておき、七月の言葉に期待という名の妄想をキッパリと否定され、肩を落とした巡だった。
「うふふ、お待ちしておりましたわ」
七月が軽くノックして扉を開くと、艶っぽい声音がお出迎えをしてくれた。
「三月先生、お待たせしました。よろしくお願いします」
会釈を交えて七月が挨拶をすると、巡も一拍遅れて会釈をする。頭を上げた巡は、正面の如何にも学校備品らしい安っぽいドクターチェアに座っている声の主を見やる。
養護教諭として、ある意味鉄板お約束であるアンニュイな雰囲気漂うお色気お姉さん系の、
――えっと、エルフですか? だって、耳が尖ってるし……。でもエルフって言えば、シャキッとした高貴な種族だったと……元の世界の話だけどね――
膝下がスラリと長い足を組んで座る白衣の彼女は、菖蒲色の髪をバレッタで緩く一纏めにして、左サイドから胸元へと流している。その髪の先端は六月程の破壊力は無いかもしれないが、それでも白衣の上から豊かとはっきりわかる、お色気お姉さん系の称号に恥じない胸の膨らみに掛かっている。
目尻の下がった眠たそうな目を巡達に向けていた彼女が、ふう、一つ吐息を入れると、
「……よっこらしょ」
どことなく面倒くさそうに立ち上がる。
――うぉい! 『よっこらしょ』って、まさかのおっさんキャラ? 何だか、非常に残念な気分に……てか、デカ!――
とはいっても、ただでさえ高い校舎の天井に届くような巨人というわけではない。
立ち上がった女性は百七十五センチ程の巡より、はっきり大きいとわかる百九十センチほどだろう。長身の女性は、数字以上に大きく見える、と巡は思った。そんなファッションモデルのような縦に長いシルエットの女性は、気だるそうに巡達へと近寄ってきた。そして開いた扉の敷居を挟んで向き合うと、身を屈め巡達と視線の高さを合わせる。すると、ふう、また一つ吐息を入れて、
「さっき、ななちゃんが言ってたけど、養護教諭の三月よ。あなたが四季巡君ね」
今更な確認をすると、隈の浮いた眠たげな目で、パチリ、ウィンクをする。
――ウィンクとか……どう反応していいのか……俺もウィンクを返すのか?――
「そんなところに立っていないで、入って良いのよ」
言うと、ふう、三度目の吐息を入れた三月は、踵を返し気だるそうに元の席へと向かう。
――い、いや、三月先生がこっちに来たから、入れなかったわけです。てか、もの凄く不健康そうですけど、本当に養護教諭ですか? ここまで来るのがだるいなら、座って待っていてくれれば、嫌でもこっちから向かうのに――
気だるそうな三月の雰囲気に似合う、血色の悪そうな青みがかった白い肌によく似合う、隈の浮いた眠たげな目を間近で見て思う巡を他所に、失礼します、と七月は、三月を追うように室内へと入って行く。
「あっ、し、失礼します」
慌てて巡も、七月に一歩遅れて保健室内へと入った。
「さてと、ちゃっちゃとすませましょうね。ななちゃん、お楽しみタイムよん」
唐突に三月が言った言葉に、七月は小首を傾げながら、
「三月先生、言っている意味が――」
疑問を投げかけるが、三月は意に介さない見事なマイペースぶりで、
「じゃあ巡君、シャツを脱いじゃって、その裸体をななちゃんに見せつけてあげてね……あっ、パンツは脱いじゃ駄目よ。ななちゃんにはまだまだ刺激が強すぎるかもしれないわ」
最後に、うふ、と小悪魔っぽく笑みを作る。
――こ、この人、ダークエルフ? ですか? てか――
「ちょ、三月先生、それこそ言ってる意味が――」
いつもの如く巡があたふたし出すと、
「ふ、ふしだらな! し、四季巡、お前はそんな破廉恥な事を考えていたのか。全く品性下劣な。あ、あたしが男の裸を見て興奮するとでも思っているのか? あ、あたしを見損なうなよ。お、お前の裸を見ても決して動じる事はないぞ。全くもって馬鹿らしい事だ。全くもって……」
三月の言葉だけで既に動揺している七月が頬を赤く染めて、しかし視線を巡から逸らしながら騒ぎ立てた。
七月の理不尽な非難という名の照れ隠しを頂いた巡は、
「って、まっ、お、俺じゃないよ、七月さん。三月先生が言ったんだって」
やっぱりあたふたと、しかし全力で否定する。そこへ三月が割り込んできた。
「うふ、相変わらずお固いわね、ななちゃん。冗談よ、冗談なのよ」
必要以上の脱線を良しとしないのだろう、話を修正する。
「そ、それが冗談という事はわかっている。わかっているんだ」
七月が呟くように答えていると、三月は口の端を僅かに上げて巡ヘと視線を向ける。
「でも、巡君はシャツを脱いでね。そこは冗談じゃないのよ。
そうしたらそこのベットにうつ伏せになってね。お楽しみはそれからね、ななちゃん」
最後に、ふう、と吐息を入れた三月に、
――お、俺はもう何も言いません! ツッコミも入れません! 大人しく従います――
巡はちっぽけな決意を胸に、制服のボタンを外し始めた。
「あら巡君、進んで脱ぐなんて偉いわね。お姉さん感心しちゃうわ。
じゃあ、脱いだ服はこのカゴに入れてね」
巡は言われるまま、脱いだ服を無造作にカゴに入れると、ベットにうつ伏せに寝転がった。
顔を伏せると息苦しいので、両手を組むんでペタリと片頬を乗せて顔を横に向けていると、
「巡君違うわ、おでこをその枕に乗せて顔を伏せてね。
そうそう……それから、そのままの状態で脚は揃えて……そう……腕を左右に伸ばしてね……いいわね、素直な子は先生好きよ」
妖しい言葉をまじえた三月に指示された通りの体勢を巡がとると、
「うふふ……ポチッとな……てね」
三月の口から、何かのボタンを間違いなく押しました、という往年の名台詞が出た。
へ? と疑問符を浮かべた巡を差し置き、
「ついつい口走っちゃうのよね」
三月は嬉しそうに両手を頬に当てて、科を作っている。
――って、三月先生。えっと先生の世界にもその台詞があったのですか? もしかして、全異なる世界共通なんですか?――
巡が胸中でツッコミを入れていると、
「って、ちょ、な、何ですか?」
ベットから出てきた金属製のリングのような物で、頭、顎、首、腰、そして四肢をガッチリ拘束されて、うつ伏せのまま十字架に磔られたような姿で、身動きが一切出来なくなった。
「さ・て・と……うふふ……始めましょうか、お楽しみタイム」
医療用の薄いゴム手袋を、わざとらしくパチンと鳴らした三月が、微笑みながらベットに拘束されている巡に近づいて行く。その微笑みは、先程までの艶っぽい微笑みとは違い、不健康そうな青みがかった白い肌の色と相まって、どことなく影のある、これから禁忌の実験を始めるマッドサイエンティストの黒い微笑みそのものであった。
ガッチリと拘束されて振り向く事が出来ない巡は、不穏な空気を感じ取ったのだろう、
「ちょ、さ、三月先生? 一体これは……てか、な、何を、何を……身の危険を非常に感じるのですが……」
いつもの如く慌てふためくが、声がくぐもり言葉になっていない。うつ伏せの状態で頭や顎をガッチリと固定されているため口を開く事が出来ないからだ。もちろんこの場を逃げ出そうにも、手足動かすどころか、首を回す事も出来ない状態である。それでも巡は、僅かに自由の利く指先を動かして、抵抗の意志を表している。
怪しく微笑む三月が巡の足下に立つと、モガモガと何かを言っている彼を見下ろすと、妙に甘ったるい声音で言う。
「ふふふ、お姉さんも初めての、け・い・け・ん・よ。
あんまり動かれちゃうと上手く出来るか不安になっちゃうのよね。
だ・か・らぁ、大人しくお姉さんに全てをゆだねなさい」
別のシチュエーションで聞きたかった言葉は、抵抗は一切無意味だと暗に伝えていた。同時に、その微笑みに一層闇を重ねる。と、そこへ、
「さ、三月先生。あたしの時は、こんな拘束とかなかったはずですが……と、いうより、もの凄く……その……恥ずかしい思いを……したのですが……あれは……」
七月が割って入ってきた。
七月は自身が適合検査を受けた時の事を思い出し、自然と疑問となって口からでたのだろうが、後半の言葉は彼女にしては珍しく歯切れが悪かった。
それを聞いた三月は、巡へと落としていた視線を七月に向けて、
「あら、それは簡単な理由よ」
艶っぽく微笑んで答えながら、白衣のポケットから少々豪華なエンゲージリングが入っていそうな小箱を取り出した。
それを見た七月が、
「それは『神宿』の――」
「そう、みんなの体には既に入っている制御結晶体が入っているわ」
七月の言葉を切った三月が、小箱の蓋を開くと神秘的な光が漏れ出した。そして七月に箱の中の光源を見せる。
これは『神宿』のシステムから生まれ出た、ある種の意識体であり、人の手によって作られた物ではないのだと、三月は言った。
箱の中の制御結晶体は、色相環をゆっくり回すように次から次へと色を変化させて、透明度の高い輝きを自ら放つ直径三センチ程の球体だった。
「でも、あたしのとは、色と形が違う。確か赤く光っていて、細長いオーバル形状だったような――」
「それが理由みたいなものね。
制御結晶体は、役割とかそれを収める部分の違いとか、その場所に収めやすい形になってたりするのよ。
ほら、スルリと……ね」
「あっ……」
七月の問いかけに三月は、深く探ってはいけない答えを返す。更に、
「不思議に思わなかったかしら? この『異世回廊の交差点』では女性が主体で闘うのよ。お姉さんの世界では、戦闘と言えば男性が主体になるのよね。多分どの『異なる世界』でもそれは同じだと思うわ――」
吐息を挟んで、つまりね、と続けた三月の言葉に、七月も巡も聞き入った。
「――女性には、自分以外の意識体を収めるための器官が元々備わっているじゃない。だから制御結晶体という自分以外の意識体を体に迎え入れる『神宿』の適合者は、女性が主体と言われているわ――」
七月も巡も、その言葉に一瞬疑問符を浮かべたが、
「――ななちゃんは制御結晶体を入れた時、苦痛は無かったわよね。
だって、そこへ通じている道を使って入れたから。スルリとね。
二、三日は違和感あったかもしれないけど、初めての時はそんなものよね」
この三月の言葉に、巡は今ひとつわかっていないようだった。しかし、七月はその時の事を今一度、思い出したのだろう。透けるような白い肌を鮮やかな桜色に染めて、
「さ、三月先生、そ、それ以上は……」
「あら、大丈夫。ななちゃんはまだ、汚れ無き聖乙女よ」
三月が七月の制止を気にも留めないで、だめ押しの言葉を追加した。
その直後、経験はなくとも知識だけは豊富な巡の脳裏に一つの想像図が描かれて、七月とは違う意味で頬を上気させていた。
幸いな事に巡はうつ伏せのため、かなり際どい想像図を思い描いていた事が三月や七月に気付かれる事はなかった。
ところが逆も然りである。
いつの間にかマッドサイエンティストの黒い微笑みに変わっていた三月は、七月が尋ねた『巡の拘束理由』という本筋へと立ち返り、
「そう、苦痛が無いから、ななちゃん達は拘束されなかったのよ。
じゃあ、巡君は……苦痛があるから拘束されている。それもガッチリと拘束されてなければ、暴れ出してしまう程の耐えられない苦痛がある……と、いうことになるわね」
言い終えると、黒い微笑みは黒い笑みへと進化していた。
「ちょ、ちょっと、まって、待って下さいって、苦痛とか、耐えられないとか、って、一体何を、何をどうするんですか」
三月の言葉に、普段、汗をかかない部分にも汗をかいて巡が言うが、フガフガと声にならずはっきりと伝わらない。意図的に三月が無視をしているとも言うが……。三月は更に恐怖を煽る言葉を続ける。
「それはそうよね。男性には別の意識体を受け入れる器官が無いのに、無理矢理入れちゃう訳だから苦痛よね。
……可哀想な巡君」
わざとらしく言葉を切る三月に、
「って、入れちゃうとかって、一体、何をどこに入れるんですか。お願いですから、勘弁して下さい」
巡は、懇願とも取れる言葉をモガモガ言うが、だからといって三月は解放しない。聞こえていない……振りをして、黒い笑みを浮かべている。
「でね、以前神宿男に尋ねた事があるのよ。どれくらいの苦痛に襲われたの? って……」
そして、ふう、吐息を一つ入れると、
「そうしたら、あまり思い出したくなかった事だったのね、みるみる顔が青ざめていったわ。
それでも彼はしばらく考えて、多分、どう表現したらわかりやすく伝わるのか考えてたのね、答えてくれたわ。そのおかげかしら、今でもはっきりと覚えているわよ、その答え」
三月は思い出の一つを見つけ出すように視線を窓の外へと向けて、
「だって、『無理矢理キスを迫った女の子に、グニョリと膝蹴りで突き上げられて、しかもその後ガッチリと握り込まれて、グニグニと追い打ちまで食らって、あまりの激痛に死を覚悟する、それくらいの苦痛だな。わかるだろう』って……そんなこと言われてもね……お姉さんにはわからないわよ! それがどれほどの苦痛なのかなんて。だってぇ、経験する事なんて出来ないし。
でもその女の子の気持ちだけはわかるわよ。『ざまぁ……うふふ』ってね。
だから、謎が謎を呼んで記憶に残っちゃってるのよね。
ななちゃんわかる?」
七月は、あたし達には永遠の謎です、と呟きながら首を横に振る。
この時巡は深刻であった。十七年という短い人生で数度経験がある苦痛。とはいっても女子に蹴られたことはない。女子に対して、そこまで踏み込んだ行為に及んだことすらない。あくまでもサッカーやバスケの様にボディーチェックの激しいスポーツでの不慮の事故である。あれと同等……いや、三月の話では、それ以上の苦痛に見舞われるらしいのだ。
――って、耐えられるのか? 俺……ホント、勘弁してくれないかな――
すると三月は何か思いついたように、
「そうね、デコピンとどっちが苦痛かしら。お姉さん、デコピン一発で涙目になって『ごめんなさい』だけど……ななちゃんはどう思う?」
「あたしもデコピンは……あれは、駄目です。耐えかねます。すぐさま『ごめんなさい』です」
と、どこを間違ったか、いつの間にかデコピン談義に花を咲かせる三月と七月をさておき、三月の言葉を聞いただけで顔面蒼白、全身冷や汗、それとも今後訪れる苦痛を先取りした脂汗の巡は、
――ちょ、待って待って、ホント、おかしいです。話がおかしい方向へ行ってますって。
そりゃ、デコピンは確かに痛いです。しかし苦痛という程でもないのでは? だって、三月先生が話を聞いた神宿男さんだって、男女共通のデコピンで説明出来るなら、それを例えにしていますって。
そりゃまあ、グニョリの部分をデコピンクラスで弾かれたら、『ごめんなさい』も言えないくらいの苦痛が襲ってきますから。どうしても『ごめんなさい』って言わせたかったら、ピアニッシモ程度で軽く弾くに留めておいて下さい。それで充分です。十人中九人は謝ります。
てか、デコピンも全『異なる世界』共通ですか?
って、いやいや、本当に勘弁して下さいって――
何を言っても無駄と悟っているが、それでも胸中で訴え続けた。
七月との話がまとまって黒い笑みが消えた三月は、
「いずれにしても、デコピンクラスの苦痛と結論が出たわ。これは厳しいわね……そんな苦痛が襲ってくるなんて、ある意味、背筋がゾクゾクするわ……うふふ。
ごめんなさいね巡君、凄く酷い事をするけど、仕方ないことよ、恨まないでね」
酷く優しい微笑みを最後の手向けとばかりに巡へと向けて、優しく語りかけた三月だったが、
「さてと、ちゃっちゃとすませちゃいましょうかね」
妙に嬉しそうに、更に鼻歌まじりで呟きながら準備を始めた。
と、七月が透けるような白い肌を、異様なほど上気させて、しかし妙に歯切れ悪く尋ねる。
「さ、三月先生。あ、あたしがここにいては駄目なのでは?
その……四季巡的に……かなり屈辱的なと申しますか……そ、それはどこに入れる? のでしょうか……い、いや、ちょっとした疑問で……四季巡も疑問に思っているだろうというのか……彼には、あたし達のように受け入れ器官が無いわけで……ま、まさか、神宿男にはあるのですか? その……受け入れ器官……伝説の……や、やおいあ――」
「ちょっと、ななちゃん、待った待った待った! それ以上は、ストップ! ストップ!」
これまで気だるそうな反応をしていた三月が、肉食獣に追われる野うさぎのような反応速度で七月の言葉を切った。
「何をテンパって期待、じゃなくて想像しているのかわからないでもないけどね、違うわよ。
ほら巡君はズボンをはいたままよ。だからね、そんなところには入れないわよ。て言いますか、例え神宿男でもそんな怪しい部位はありませんわよ」
七月の言葉にむしろテンパっていたのは三月だったのかもしれない。
その言葉を聞いた七月が小さく、あっ、と声を漏らすと、三月は落ち着きを取り戻し、
「ここよ。ここから入っていくのよ」
人差し指で示した。
それは頸椎と胸椎の間、つまり首と背中の境辺りだった。更に三月は続ける。
「全身の神経系がここで集まって脳に向かうのね。逆に脳からの指令がここを通って全身に伝わるのね。そんな部分に制御結晶体が入るのよ。
それが苦痛だって、何となくだけどわかるわ。全神経直撃だもんね」
天使のような微笑みを見せた三月だった。
直後、再び七月が、あっ、と声を漏らした。
それは、ポケットからシュガートングのような物を取り出した三月が、それで制御結晶体を掴むと、先程指し示した位置へ、何のためらいもなく無造作に置いたからだった。
「お姉さん、初めての経験だから、何が起きるのかわからないのよね。
ホント、ごめんね巡君」
三月は言葉ほど悪びれる様子もなく、むしろこれから起きる事を興味津々、隈の浮いた眠たげな目をしっかり開いて待ちわびているようだった。
読み進めていただき、ありがとうございます。




