プロローグ
広い草原だ。
芽吹きの季節なのだろう、若草の淡い緑がどこまでも果てしなく広がっている。
視界を遮る物は何もない、地平線まで見通せる真っ平らな草原だ。
雲一つない蒼穹から降り注ぐ陽光は、柔らかく暖かい。
若草の一面を優しく風がさわさわと揺する。
優しい風は歌を乗せてきた。
ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのぉます。
歌声は少年と少女のものだった。
いつからだろう、そこには同じ年頃の一人の少年と一人の少女が、右手の小指を繋いで向き合っていた。
ゆびきった。
向き合う少年と少女は微笑みながら小指を離し、一つの約束が成立した。
指切り拳万。
それは、もっとも身近な約束の証である。
その一方では、交わした約束を違えるならば、その代償に主の命を頂きます。呪詛のように言っているも同然の言葉。もっとも重き契約の証でもある。
指切り拳万嘘ついたら針千本飲ます。
再び優しい風に乗って歌が聞こえてきた。
今しがた一つの約束を交わした少年と、いつの間に入れ替わったのか、少年より幾分年上の大人びた少女だった。
向き合う二人は、歌に合わせて小指を絡めたその手を、ゆっくりと振っている。
指切った。
向き合う二人は微笑みながら小指を離し、一つの約束が成立した。
直後、二人の間に優しい風が吹き抜け、少女は消えていた。
一人残された少年が、今にも泣き出しそうな顔で辺を見回していると、優しい風の残滓が涙の跡をなでていく。少年はこそばゆかったのだろう、両手で顔を覆う。
風が止まり少年は顔を覆う両手を戻す。と、そこには少女が立っていた。少年より幾分年下の少女だった。少年は安心したのだろう、しかめた泣き顔を綻ばせて少女の下に寄る。
近づく少年に少女が歌を贈った。
ないたからすがもうわらった。
少女はいたずらっ子のような笑みを少年に向ける。少年は面と向かって言われて恥ずかしかったのだろう、ぷい、とそっぽを向いた。
他所を向く少年の無防備な耳に、少女をそっと顔を寄せて、
……………………ね。
密やかに何か囁いた。
同時に少年は、両の目をひと回り大きくして驚きの表情を作る。が、すぐさま照れ隠しに鼻の頭を数度掻くと、そっぽへ向けていた顔を少女に向けた。
向き合う二人の間を、優しい風が吹き抜ける。
それを合図にお互いの小指を差し出し、絡め、そして指切りの歌を紡ぎ、そして、
ゆびきった。
優しい風が少女を連れ去り、広い草原に少年だけが残されていた。
そしてまた、次の優しい風が新たな少女をつれてくる。
少年は新たな少女と指切りの約束を交わす。
指を離すと少女は何処かへと消える。
少年は、消えては現れる少女とそんなやり取りを繰り返す。
幾度目かの約束を終えたときだった。
この娘が最後よ。
誰かが少年に囁いた。
優しい風が最後の少女を連れ去ると、新たに優しい風が吹く事はなかった。
少年の耳から、優しい風の音が消え、若草を揺する音が消えると、完全な静寂の世界が訪れた。
そして少年は気付いて、見回し、そして涙顔で狼狽える。
芽吹きの活力に満ちあふれていた若草の淡い緑で染まっていた広い草原から、雲一つない澄んだ水色の蒼穹から、天壌全てから色が抜け落ちて、自身の生も死もわからない、白と黒が支配する世界に変わっていたからだ。
不安が堰を切って溢れ出した少年は、堪らず駆け出した。
どこへ向かってというわけではない。
目標なんて何もないから、と体が向いている方へ、とにかく駆けて行く。
いつまで駆けても変わる事のない白と黒が支配する広い広い草原を、只ただ、ひたすら救いを求めるように駆ける、駆ける、駆ける。
突然、暗転した。
世界から白が抜け落ち、黒だけが支配する。
闇に包まれた少年は、何が起きたのかわからない様子で呆然として立ち止まった。それを待っていたかのように、少年の足下で不快な蠢きが始まった。
少年は視線を足下へと向ける。
闇に慣れてきた瞳は、徐々にその形を映し出してゆく。
活力を失っていた若草は、地中から突き出した亡者の腕となって、手にするもの全てを奈落に引きずり込もうと、不気味に蠢いていた。
少年は、足下にまとわりつくような蠢きを振り払おうと、泣き叫びながら足をばたつかせる。
無意味な抵抗だった。
亡者の腕に足を掴まれた少年になす術はなく、黒に支配された世界に叫びだけを残し、奈落の闇へと深く深く沈んでいった。




