Bパート
六年二組の教室へ入ると、女子たちが輪を作って何かやっている。見てみると、首にスカーフを巻いた女の子が「こうするんだよ」と、他の子にもスカーフを巻いてあげていた。
「おはよう。何してるの?」
ハルミは女の子どうしならと安心して、沈黙を解除した。
「蘭子ちゃんがお母さんから借りたスカーフを巻いて来たんだよ。これなら首すじも隠せるでしょ。それをみんなが真似したがっちゃって。でもスカーフないからハンカチ巻いてるの」
女の子は三角形に折ったハンカチを首に巻き、覚えたてのような手つきで結び目を作っている。ハンカチの三角形が、セーラーカラーのようにうしろへ垂れ下がってかわいらしい。それがなんだかオシャレで、むしろかえって女の子らしさを引き立てていた。
「ハルミちゃんもやってみる?」
「えっと……わたしはそんな」
「だよね。フード付いてる服だもんね。似合わないか。さっすがハルミちゃん。首すじ隠すためにフード付きの服を?」
「そんなこと……ないよ」
ハルミは苦笑いで否定する。でもそれは真実だった。
午前中には、六年二組の女子全員にこのスタイルが広まった。ハルミと、髪の長い子を除いて。
休み時間になるとスカーフを巻いた女の子たちがぞろぞろ教室から出てくる。
「あのスカーフを巻いた集団はなんだろう」
「あれはね、六年二組の女子らしいよ」
「そうなのか。スカーフが流行ってるなんて聞いたことないな。ひょっとして六年二組だけで流行ってるのか」
他のクラスの子たちが、好奇の視線を向けてきても、六年二組の女子はうろたえない。あなたたちは、そうやって首すじをあらわにしていて、恥ずかしくないのかしら、と言ってやりたいくらい、得意になっていた。
担任の新井先生は、そんな児童たちを見て、あえて何も言わなかったが、他の先生の手前、やはり責任を感じてか、帰りのホームルームでそのことに触れた。
「話は聞かせてもらったよ。女の子たちが、首すじを見られるのを恥ずかしがったのが始まりだったんだって? ずいぶんとマニアックというか、男の子がもし本気にしてるんなら、先生はその子の将来が心配だが……まあ女性のうなじが美しいっていうのは昔から言われたことだし、長い髪から時々見え隠れする感じがいいんだろう。うしろから見ることで、どんな顔をした女性か想像させられる。そんなロマンも入っているのかもしれない。しかしそれは置いといて、原山さん、君は男の人に首すじを見られるのは恥ずかしいって思うかい?」
先生がひとりの女子を指して言った。その子は立ち上がると、
「はい。恥ずかしいと思います」と答えた。
「前は、そんなことはあったかな? 君がもっと小さい頃は」
「小さい頃は……分かりませんでした。なかったかもしれません」
「そうか。おそらくそれはだね、君たちが大人に近づいている証拠なんだよ。大人になると、男の子と女の子の身体の違いが、よりはっきり表れるようになるんだ。成長すれば、男は男らしくなっていく。女は、より女性らしくなっていく。でもそれって、自然なことじゃないかね。成長すればみんなそうなっていくんだよ。それにさ、きっと男と女は違うからこそ引かれ合うんだ。君たちのお父さんやお母さんも、そうやって愛し合って、君たちは生まれてきたんだ」
先生は、本心から言っているのか分からないが、いちおう教育者らしいことを言ってみんなを納得させる。
「んー……、そうだよね。わたしたちだっていつまでも子供じゃないんだし、大人になるって、そういうことなのかも」
ひとりの女子が言った。
「っていうかなんで首すじくらいで恥ずかしがる? 大人になればもっと、ビキニとか、胸もと強調した服とか着るじゃん?」
他の女子が言った。
「まあ、このスカーフはスカーフでかわいいし、まだしばらくは流行るんじゃない?」
こんな声も聞こえてきた。
先生が「では、今日はこれまで」と言うと、みんな一斉に「先生さようなら」と声を合わせて席を立つ。その中でハルミだけはむすっとしたまま、カバンをとると足早に教室を出て行こうとする。
「おいハルミ。先生の話、分かったろ」
ハルミの背中から表情を読みとり、ユウトが心配そうに声をかける。だが、その声は無視され、ハルミの足は、さらに速まる。
「おいったら!」
ユウトがハルミの腕をつかみ、強く引き寄せた。
「きゃっ」
「え……」
よろめいて、小さな悲鳴をもらすハルミの反応に、ユウトはつい手を放してしまった。
軽く感じたのだ、ハルミの身体が。
「痛い……」
「ご、ごめん」
ハルミは走り出した。鼻がツンとして、目のあたりが熱くなっていた。顔を見られたくなかった。
違う。わたしの抱えていた悩みは、みんなと違ったんだ。先生の言うことは、大人の意見だ。先生は大人だから、わたしぐらいの年頃の微妙な気持ちなんて、忘れてしまったんだ。他のみんなだって、ただみんながそうしてるから自分もそうしてただけで、先生が何か言ってやれば、すぐ順応できちゃうじゃないか。わたしとは違う。
手首には、さっきのユウトの手の感触が残っていた。あんなに力が強くなっていたなんてショックだった。それに、気づけば肩もがっちりして、身長だって、すぐにでも追い抜かれてしまいそうだ。
そういう男女差を意識すると、なんだか胸がドキドキした。イライラする。でも今まで経験してきたイライラじゃない。なんなのだろう、この気持ちは。
次の日、ハルミは調子が悪いので、母親は学校を休んでもいいと言ってくれた。しかしハルミはその理由で休むのが嫌だった。上はグレーのセーター、下はズボンという服装で、昨日と同じように黒のランドセルを背負って家を出た。
朝のあわただしい時間帯。紺色の制服を着た女の子たちが列をつくって歩いていた。自分より背の低いひともいる。白いソックスに包まれた脚は、細くてきれいだったり、太くて健康的だったりする。でもみんなが同じ中学校の制服を着ていた。
来年の春から自分も中学生だ。そうなれば、男のかっこうなんてしてられない。制服なんだから、仕方のないことだろう。
今の六年二組の顔ぶれも、ほとんどそのまま同じ中学に行くだろう。四月からは、男子の制服と、女子の制服に分かれて。
ハルミはユウトの制服姿を想像してみた。想像の中のユウトは、今よりもっと背が高くて、大人っぽい顔つきをしている。
「ああ、もう! なんであいつの横にわたしがいるんだ! そんなシチュエーション、望んでないったら!」
ハルミは頭の中の映像をふりはらった。そこではなぜか、ユウトのとなりに、女子の制服を着た自分が立っていたのだ。
朝から変な想像をしてしまった。そう、変なんだ。前はこんなことなかったんだ。自分はどうかしてしまったんだろうか。
六年二組の教室の前まで来てみても、入るのをためらってしまう。なんだか教室内がさわがしい。真里音ちゃんがハルミに気づき、声をかけてくる。
「ハルミ、早く来て! 小松くんが! 小松くんが!」
「ユウトがどうかしたの?」
真里音ちゃんに手を引っぱられ、教室内へ入る。そこで見た光景に、ハルミは思わず悲鳴をあげ、口もとをおさえた。
ユウトがスカートを穿いていたのだ。骨ばった膝小僧が見えるようなミニスカートで、靴下は三つ折りで、花の模様が添えてあった。
「ぷっ、くく……お前、頭おかしくなったのか」
男子のひとりが笑いながら言った。
「いや、もしかするとこれが本当の小松かもしれないぜ。お前がオカマだったとは、俺たちも知らなかったよ」
芝居がかった口調で言った別の男子がユウトの肩に手を置いた。
ユウトはそれには答えず、とりまきの中から、ハルミに視線をやった。ハルミは恥ずかしくて視線をそらした。ユウトは再び視線を戻すと、誰とはなしに言った。
「俺の好きな女が、今、男をやってるんだ」
周囲がざわついた。
「俺はそいつに女であって欲しいけど、仕方ない。そいつが元に戻ってくれるまで、俺が女役をやる」
ユウトの発言に、とりまきの児童たちは色々な反応をして、すぐとなりの者とひそひそ話をする。
「分かったか? 今の話」
「さあ……とにかく小松はオカマではないみたいだし、男として扱っていればいいのか?」
「小松くん、わりとカッコよかったのに。こんなことするなんて、ちょっとがっかり」
「女の子になったユウトくん……いやユウコちゃんと、うまくやっていけるかな」
とまどいながらも、みんなは意外とクールだった。これも教室内でおこった、ちょっと面白い事件のひとつに過ぎないのか。
「ところでさ、小松。お前の好きな女って誰だよ」
当然の疑問を、ひとりの男子が口にした。
「それはだな。森下ハル……」
「やめて!」
ハルミの出した大声に、一瞬にしてまわりは静まり返り、みんながハルミの方を向いた。
「そんなかっこうするのやめて……。わたしの服と交換するから……」
ハルミはユウトの手をにぎり、教室を出ていく。ハルミの顔は赤くなり、目は潤んでいた。二人の行くてに、みんなが道をあけた。誰も声をかけられなかった。
「もう、信じられない! なんであんなことするの」
手を重ねたまま、二人は階段を駆け下りる。すれ違うひとたちが、ユウトのスカート姿を見て、ものすごく損したような顔をした。
「足の毛とか、剃るの大変だったぜ。やっぱ俺にはスカートは似合わないよ。お前じゃなきゃな」
「当たり前だよ。女は、わたしの方なんだから!」
「ああ。きっと、男しかいなかったら世界もつまらなくて、とても生きてなんかいけないと思うよ」
「はあ……バカだよあなたは」
会話はそれっきり。二人は黙って手をつなぎ、着替えをするために保健室を目指した。
(おわり)
このサイトでの初投稿作品でした。
もしここまで読んでくれた方が居たなら、本当にありがとうございました!