6月1日 金曜日 黒板消しと銀の靴1
靴の踵を鳴らしても。
こういうのいまさら受け取ってもな、と手元の色紙見つめる。
渡す本人に見つからないように、こっそりと回された寄せ書き。彼の教育実習期間の最終日に回ってくるなんて、計画性がないことこのうえない。
放射状に区切られた色紙の、スペースのひとつにメッセージを書くことになる。
なんと書こうか。
……それにしても誰がこの線引いたんだろう。色紙を40等分ってもっといい方法があったんじゃないのか。自転車のタイヤ並みにごちゃごちゃしている。ピザだったら放射状でわかるけれど。
360度÷40人=ひとりあたり9度。うーん9度って……。半径10センチはあるから面積は……っと、円周率3.14×半径10の二乗×9/360は、えーと、細すぎて使えないスペースもあるから円周率切り捨てて3にして、3×100÷40で7.5平方センチかー。ふーん。
つい面積を計算してしまうくらい狭い。
これってそもそも等分する必要がなかったんじゃないのか。と、線を引いた誰かさんの努力を無にするようなことも考えてしまう。人によって書きたい内容も違うし。私はいつもこういうところに何を書けばいいのかわからないので、スペースは小さければ小さい方がありがたいけれど。
今回も例に漏れず、何を書いたらいいのかわからないという事態に直面中だ。つい割り当てスペースの面積に考えを逸らしてしまうくらい書くことが思いつかない。
毎日のように放課後顔を会わせてきて、いまさら何を書けというのだ。困ってしまう。
まあ、でも。
なにか伝えてみるのも悪くない。
伝えたいことがあるのだから。
しばし思案してから、ペンケースの中から透明感のある青を選び出す。
『楽しかったです。また逢う日まで、お元気で。 宮内理保』
これにはちょっとした仕掛けがある。
まずひとつめ。「会う」ではなく、「逢う」。あえて、その漢字を選んだこと。
それは、「逢瀬」の「逢」。葵は、あふひ。あふひは、逢ふ日に通じる。
あともうひとつは、文字の色。青いペンで書いたこと。「青」は旧仮名遣いでは「あを」だから正確には掛詞ではないけれど。あなたと交わした言葉を覚えているという、メッセージ。
和歌は共通の認識の上に成り立っている、と彼は語った。話し手と聞き手、書き手と読み手が共有する認識は、言葉に根をおろして、言葉そのものの意味より豊かな実をつける。
私と彼の共通の認識は、ともに過ごした放課後の経験から生まれる。
自分と同じことを、相手も知っている。
相手がその意味に気付いて、こちらの意を汲んでくれるのを信じて、言葉を託す。
気付くだろうか。
それはわからない。
ここに記された言葉はすでに私の手を離れてしまったのだ。
けれども私は、この言葉の行く末を見届けることができる。放課後、彼に会うことによって。




