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5月30日 水曜日  黒板消しとイエローカード7

 あの、とおずおずと申し出る。

「もしよかったら掃除続けたいんですけど」

 うわ、理保チャンそうきたか、と傍らで声を上げる塚本さんはなるべく無視して、彼に訴えかける。

 身の安全が確保されたので、放置したままの黒板の掃除が気になっているのだ。

 美化委員歴は1年ちょっとだが、黒板消し掃除は身に染みついている習慣である。

 いや、つまり何が言いたいのかというと、彼に手を放してほしいわけで。

 ちらりちらりと何度も様子を窺ってみるけれど、彼は素知らぬ顔である。

 ちょっと強めに引っ張ってみるが、解放される気配はまったくない。むしろ、こっそり手をほどけにくいようにつなぎ直してくるあたり、性質が悪い。

 塚本さんは相変わらずにやにやと傍観の構えで、まったく役に立ちそうにない。


 でもまあ。

 考えてみればこのままでできないことはないんじゃないか。

 半ば開き直って半ば諦め、解放されないままの手はそのままに、教壇に上がることにする。私の右手がつながれたままの彼も、引っ張られるままに私とともに移動する。

 なんというか、小さい子供の手を引いている気分だ。いや、彼の手は私よりずっと大きいから、やはり子供とは思えないのだけれど。

 横目で見ると、塚本さんは肩を震わせて笑っている。傍から見るとおかしいのはわかるけど、そこまで笑わなくていいじゃないか。


 まあいい、集中集中。

 利き手でない左手で黒板消しをぎこちなくつかむ。途中だった場所から黒板消しをかけ始める。初めは力がうまく入らなかったが、何度か繰り返すうちに慣れてきて、腕の動きにリズムが生まれる。

 右手に伝わる自分より少し低い体温と、さらりとした肌の感触は、いつの間にか気にならなくなっている。私の右側に立つ彼は、何も言わず、ただ私の滑らせる黒板消しを見つめている。

 手をつないでいるのに違和感があるというわけではなく、この状態があまりにも自然に感じられて、逆に戸惑ってしまう。けれど、黒板のチョークの跡が消えていくのにしたがって、その戸惑いすらも消えていく。

 彼が残したメッセージの上にも黒板消しを走らせる。気付いたか、と彼に静かな声で問われたので、気付きましたよ、と微笑んで返す。

 そのまま手を止めることなく、黒板消しを動かし続ける。


 教室はほぼ無言である。

 ときどき聞こえるひゅっと息を飲み込む音は、塚本さんが笑いの間に出す音のようだ。私はただ黒板をふいているだけなのに何がそんなにおもしろいんだ。まあ、藪蛇になりそうなので訊かないことにしよう。

 まだいたのか、カモ、とそちらに視線を投げて彼がどうでもよさそうに呟く。いや、ずっといますから。

 

 上から下へ、黒板消しを滑らせる。うん、左手でもなかなか上手いな、自分。

 黒板の掃除って片手をつなぎながらでもできるんだな、とふと思う。これもまた、さむしんぐにゅう、だ。どうでもいいことを学んでしまったという気もするけれど。

 まあ、黒板消しを叩くのはさすがに片手ではできないので、放してもらわなければ。


教育実習13日目のお話です。


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