5月30日 水曜日 黒板消しとイエローカード5
「何してるんだ」
待ち望んでいた、芳賀さんの声がした。
ああ、ようやくこの膠着状態を抜け出せるかもしれない。希望の光が見えてきた、とばかりに声がした方向に顔を向ける。
教室の後ろの入口から覗く彼の顔は、訝しげだ。
そりゃそうだ。楽しそうな塚本さんと、結構必死な私とがつながれた手を大縄みたいに振りまわしている。かなり不思議な光景だ。
「あ、佑介」
やほー、と気楽な感じに言って、塚本さんは彼に向けて左手を振る。どうせなら右手を私と離して振ってほしかった。
「何してるんだと聞いている、カモ」
並んだの机の間を縫って、こちらに足早に歩み寄りながら、彼は再び問う。
えーっと、ツカモトだから、真ん中をとってカモか。独特だが理にかなった呼び方だな、とぼんやり考える。
カモって呼ぶなよ、いい年して大縄やってたくせに、と塚本さんはぶつぶつ言う。
「あ、理保チャン改めて、カモられるよりカモりたいがキャッチフレーズの、塚本弘己でーす。よろしく」
なんだその自己紹介。まあ、絶対にネギは背負わないカモだというのはわかった。
私の傍らにやってくると、彼は塚本さんの手と、私の手を片手ずつでつかみ、引っ張って振りほどく。実際に握っていたのは塚本さんだけなので、彼の加勢により手はあっさりほどけた。
さっきまでの私の苦労はいったいなんだったんだ。
「助かりました」
おざなりでない感謝を込めて、彼にお礼を言っておく。本当に助かった。
「大丈夫か、理保」
塚本さんの存在をまるごと無視するように彼に尋ねられたので、頷いておく。
「俺のが佑介よりよっぽど安全だよね、理保チャン」
「うるさい、カモ。いちいち理保の名前を呼ぶな」
いつもより彼に名前を呼ばれる頻度が高い。塚本さんに対抗しているのか、ことあるごとに呼ばれて、少し落ち着かない。
だいたいなんで私の右手は彼に握られたままなんだ。さらに落ち着かないじゃないか。
それで、と彼は塚本さんを見据えて詰問口調で問う。
「理保に何をしていた?」
「お近づきのしるしに握手してたんだよね、理保チャン? シェイクハンズ、ね?」
最後の「ね」は確認するように私に向けられた。
複数形のエスをつけ忘れなかったのがちょっぴり得意げで、私は塚本さんの学習の成果を認めるために少し頷いた。
それを見ていたらしい彼は、納得のいかなそうに仮に握手だったとしても、と続ける。
「長すぎだ、カモ」
「だからカモ言うなって」
言ってから、少し思案気な表情を浮かべた塚本さんは、実は握手じゃなくて、と切り出す。
「理保チャンに襲われた」
「えええ!? 違いますよ!」
何を言い出すんだ、と慌てて否定する。
「これ証拠。脱がされそうになった」
塚本さんはパーカーに残る白い手の跡を示す。
「違いますから! ちょっと名札見ようと思っただけですから!」
必死で反論する。
彼はしばらく無言で塚本さんと私を見比べ、そして自分の左手につながれた私の右手に視線を落とす。沈黙が痛い。
カモの言うことは信じていないが、と彼は眉を寄せて溜息混じりに言う。
「油断するなと言っただろう」
確かに油断したかもしれないな、と反省する。
以後気をつけます、と彼から目を逸らしつつも素直に返事しておく。




