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5月29日 火曜日  黒板消しと青二才6

「そういうわけだから、青二才はさっさと帰れ」

 彼が追い打ちをかける。

 いや、一番ひどいのが私なのは重々承知しているけれど、彼もなかなかひどい。

 倉橋くんは顔をを伏せているので、表情は見えない。

「あの、ごめんね」

 おずおずと謝罪を口にする。フォローはしない。もう懲りた。


 あ、でも、教壇の上から見下ろしつつ謝るのって失礼か。

 持ったままだった黒板消しをそっと黒板の桟に置き、倉橋くんの方に歩み寄ろうとする。

 2歩ほど進んだところで彼に手首を捕らえられ、それ以上倉橋くんに近付けなくなる。なんなんだ。

 こんな事態になったのはこの人のせいでもあるのに、と恨みがましくつかまれた腕を見つめる。私より少し体温の低いその手は、親指と中指とを輪のようにして私の手首にまわしていた。

 そういえば、彼に触れるのは初めてかもしれない、と思う。いや、今はそれどころじゃない。

 腕は彼に預けたまま、できるだけ倉橋くんの方に寄っていく。彼は初めにいた場所から動かないので、私は片手が不自然に後ろに伸ばされた格好になる。


 その姿勢のまま倉橋くんのそばにいき、かつ教壇から下りられるほど私の腕は長くない。

 距離と高さと、どちらを取るか。いや、距離だけどね。教壇から下りることを一番に考えると、倉橋くんというより彼のそばに行くことになる。

 しかし、見下ろしながらはまずい。

 中腰になりながら顔を覗き込む。

「ごめんね。私はただ、倉橋くんがいて助かってるって言いたかったんだよ」

 

 倉橋くんと、目が合う。

「かわいいね、理保ちゃん」

「え?」

 聞き間違いか。自分の耳を疑い、反応が遅れる。

「謝らなくていいから、これを機会にこれからはよろしくね」

 ああ、やっぱりさっきのは空耳だな。こんな大人の対応をする倉橋くんがあんなこと言うはずはない。

 

 ひとり納得していると、つかまれたままだった手首を引かれ、彼の方に引き寄せられる。

 倉橋くんは、私の動きにつられたように目を上げ、口を開く。

「理保ちゃん人気なんだよね」

 突拍子もない話題だ。

「えーと、周期的に?」

 首をかしげる。

「ああ、あの定期テストとバレンタインの時期にもてるとかいうやつ? 違うよ」

 なんで私が作った「周期的モテ期」の概念を知ってるんだ。直子と彼くらいにしか話していないのに。

 そんな私の表情を読み取ったらしく、伊東さんが話してたからたぶんこのクラスの人みんな知ってるじゃないかな、と倉橋くんはあっさり言う。直子め。無駄に顔が広いんだから。


「理保ちゃん、かわいいし」

 倉橋くんはさらに語る。これ、私と別の「リホ」って人なんじゃないかという考えが浮かぶ。そうだ、きっとそうだ。

「毎日楽しそうに授業のあと黒板消してるとことか、しっかりしてそうに見えて話題選びがおかしいとことか、毎回律儀に嫁姑ごっこに乗ってくれるとことか、伊東さんに振り回されてるとことか。ほんとかわいいよね」

 ……私のことだな、別人じゃなく。

 あ、もちろん見た目もかわいいけど、と付け足される。その付け足しいらない。

「しっかりしてるけどかなりの天然ていうのがすごいツボ」

 あ、さっきのも天然発言としてカウントしてるから全然気にしてないよ、とフォローされる。いや、これフォローなのか。まあ私よりましな気はするけれど。

 というか私の失態を「気にしてない」というためだけにさっきまでの話があったのか。


 それも疑問だが、一番気になるのは。

「私って、どういう位置付けなの?」

 怖いもの見たさという感じで、尋ねていた。


 そして。

 倉橋くんは衝撃の真実を告げる。

「理保ちゃんは、このクラスで妹または姉にしたい女子ナンバーワン。あ、ちなみに僕は妹派」

「は……」

 イモウトハ、って、え? なにそれ? 

 いろはのハ、じゃなくて、派閥のハ?


「どう? 僕じゃんけんに勝ったんだしお兄ちゃんって呼んでくれても」


 世界が、崩れた。


 


「だから油断するなと言っただろう」

 遠くで彼の声がした。

 

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