表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/95

5月25日 金曜日  黒板消しと金魚掬い6

 俺に悟りを開かせたい奴なんかいないだろうが、と彼は少し皮肉げに、淡く微笑む。


「お前を失うのはこわいと思う」


 どんな反応を返していいのかわからない。

「なんで、そんな話をするんですか」

「俺がこの話を読んだのは高校生の時だ。思春期にこの話はトラウマものだぞ。妙に印象に残っている」

 本気かどうか、やけに真剣な顔の彼は語る。

 まったくもう。どうしようもなくおかしくて切なくて、自分がどんな表情を浮かべているのかわからなくなる。


「だから、試すことにした」

 試すって、何を?

 彼を見つめて、なぜだかぞわりと肌が粟立つ。


「正体を見破る方法はふたつある。ひとつは名を暴くこと」


 彼は教卓から身を起こす。


「そしてもうひとつは、殺すこと」


「な……なに、を」

 彼がなんでいきなりそんなことを言いだしたのかわからず、困惑する。

 彼は、微笑んだままこちらを見ている。

 目が怖い。笑みが怖い。声が怖い。

 なんで、そんな話を、するの。


「死んでまで正体を隠し続けるのは並大抵のことじゃないらしい」

 あっただろう、普賢菩薩に化けて僧侶をだまし、結局猟師に矢を射かけられて本性を現した狸の話が、と彼は続ける。

「正体を見破られれば留まってはいられない。狸でも菩薩でも。名を暴けば本性を現す。そのあとは、消えるか開き直るかだろう。早めに知っておいた方が、傷が浅くて済む」

 この場に不似合いな古典の話をもちだされて、そんなところはいつもの彼と同じのはずなのに緊張が解けない。

「だが、信心深い方じゃないからな。俺はその名を知らない」

 普賢菩薩だか何だか忘れてしまった、と思い出せないらしい彼は首を傾げる仕草をする。


 教室の前にいる彼と、後ろにいる私と、その間に並べられた机に椅子。

 頭の芯がさめるように、自分の状況をどこか客観的に見ている気がする。


 だからいっそ、信心をもたない猟師のように、と彼は私を見据えたまま告げる。

「この手で、殺してみようか」

 彼と机と椅子、そして私。


 世界が、崩れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ