5月25日 金曜日 黒板消しと金魚掬い2
部活が終わったあとやってきた放課後の教室は、日が長くなっているこの時期にしては薄暗い。空を雨雲が覆っているせいだろう。
廊下のロッカーに部活に持っていった荷物をしまいつつ、つらつらと考える。
教室に入ると、手早く髪をまとめ、ピンでとめる。くるりと丸まった髪の先が、首筋をくすぐる。
いくら暗くても、黒板消しを叩くために電気はいらない。私ひとりなのに電気をつけるのももったいないし。
黒板消しを両手に抱え、ベランダに出る。
どんよりと雲が立ち込めた空を見上げてから、黒板消しを叩き始める。小雨が降ったりやんだりして、外に出ると空気がひやりとする。
今はやんでいるが、この分だと帰るときにはまた降り始めるかもしれない。早く帰らないと、と思いつつも、もういくら叩いてもチョークの粉が出ないというところまで黒板消しを叩く。
ひと組が終わったら、もうひと組。
きれいになった黒板消しをもって、ベランダから教室に戻る。いったんガラス窓を閉めることにした。上にベストとYシャツだけしか身につけていないから、風が入ると涼しいというよりも寒いのだ。
前の黒板に向かい、端から黒板消しをかけていく。
まっすぐ、上から下へ、黒板消しを動かす。下までいきついたら黒板消しの幅だけ場所をずらし、同じように黒板をふいていく。同じ要領で窓側から廊下側に少しずつ動いていく。
上から下へ、少し横に。
上から下へ、また少し横に。
ほぼ黒板の中心にきたところで、さっき叩いたにもかかわらずだいぶ白くなっている黒板消しを、別なものに持ち替える。
上から下へ、少し横に。
上から下へ、また少し横に。
黒板はきれいになった。
再び窓を開け放してベランダに出る。先ほどまで黒板のチョークの跡を吸い取らせた黒板消しから、 今度はチョークの粉を吐き出させる。
黒板消しを手に教室に入り、今度は窓を閉めたあと鍵も掛ける。
黒板消しを桟に置き、しばし考える。掃除は終わった。もう、帰ってもいいけれど。
ふと、小指の爪より少し長いくらいのチョークが目に留まる。短いチョークを嫌う先生は多い。チョークの箱に書いてあるように、校庭の線引きに利用するわけにもいかない。
指でつまむのもやっとという長さのものは、後ろの黒板に移動させることにしよう。
後ろの黒板は主に落書き用である。絵の上手い人はどんな長さのチョ-クでも使いこなすのを、こっそり見ていたので知っている。これが弘法は筆を選ばずというやつか、と思ったものだ。
白、白、黄色、白、ピンク、黄色。右手で適当に選り分けて、左の手のひらにのせていく。
机の間を縫って、後ろの黒板のもとに行き、短いチョークをざらっと桟にあける。
その音に混じって、廊下を歩いているらしい足音が聞こえる。
そして。
「遅くなった。待たせたか?」
彼が、来た。
いつも通り、開け放したままの教室の前の入口から入ってくる。少し緑の混ざったこげ茶色のYシャツに、色の薄いグレーのスーツという姿だ。今日もネクタイは身につけていない。
「いえ……」
待ってませんよ、と告げようとして、言葉を止めた。
ああそうか。
否定しようとして、気付いてしまった。
私は、この人を待っていたのだと。約束もしないのに彼が毎日放課後やってくるのを、いつの間にか当たり前のように思っていたのだと。
答えを返す。
「少し、待っていました」




