5月16日 水曜日 黒板消しと赤の他人5
いやいや、今は黒板消しとの時間を勝ち取るまでのことを回想している場合じゃない。
私と黒板消しの至福の時間に邪魔が現れた。
彼は、なぜか無言で私が黒板消しを叩くのを見ている。視線を背中に感じる。なんなんだ、この人。
黒板消しを叩き終わり、ベランダから教室に入る。彼は無言で、教室の前、教卓の近くに立ったままだ。気まずいことこの上ない。
窓の鍵を閉め、黒板消しを前の黒板の桟に並べていく。よし、終わり。
振り返ると、目が合った。うわ。
こうなると無視ってわけにもいかない。あー、緊張する。
会話の糸口を見つけようとして、努めて軽く言った。
「知ってましたか? 黒板消しって綾織りなんですよ」
「だからなんだっていうんだ?」
……そうきたか……!
ここは、わーそうなんだ知らなかったすごい、という反応が返ってきて会話が盛り上がるはずだったのだけれど、当てが外れた。初めてそれを発見し(黒板消しの背のプラスチック部分にしっかり「綾織り」と刻まれていたのだ! 驚きの真実じゃないか!)、直子に興奮とともに報告したときに、同じような反応が返ってきたほろ苦い記憶がよみがえってくる。
泳がせた目がふとネクタイにとまる。
あの模様は、確か。
おおなんてちょうどいい。
「えーと……そういえば、先生のネクタイも杉綾ですね。ヘリンボーンでしたっけ。綾織りと杉綾。ほら、おそろいです」
ナイス、自分。よく気付いた。自然な感じの話題転換じゃないか。
教育実習生を「先生」と呼ぶのは違和感がなくもないが、ほかに適当な呼び方が思いつかないのだからしょうがない。
「それ嫌味?」
低められた声が、問うた。
「……え?」
まさか聞き間違えたか、と思い、反応が遅れる。
嫌味? まさか。
会話のキャッチボールだ。和やかで楽しい和気藹藹とした(同じ意味か)会話ではないか。
「『お前のネクタイはチョークの粉まみれになるのがお似合いだ』って意味に聞こえたんだが?」
あ、なるほど。そういう取り方もあるか、と感心している場合じゃない。慌てて否定する。
「ちっ違います! 深読みしすぎですよ。ただちょっと思いついただけで」
「そういう話の流れだろう」
「先生の受け取り方が悪いんです」
「お前の言い方が悪い」
「受け取り方の問題なんですってば! 先生だって女子のスカート丈が短いって注意しただけでセクハラって訴えられたら困るでしょう! それと同じですよ」
「黒板消しとおそろいといわれて素直に受け取れるか、ボケ」
「え、でも私黒板消し好きですし、黒板消し掃除って楽しいですし」
しかもなんとびっくり黒板消しは抗菌仕様なのだ、と語りだそうとしたが、遮られる。
「どう解釈するかは俺が決める。お前が口に出した言葉は、もうお前のものじゃない」