5月22日 火曜日 黒板消しと真珠色の雨7
「まあそれは考えておいてもらうとして」
考えたくない、と言おうとしたけれど、言い負かされたあとなので反論も浮かばない。
そんな私を尻目に、今日聞いたかぎりだと、と彼はおもしろそうに告げる。
「宮内理保は、なかなかの人気だぞ」
「それはそれは」
適当に受け流す。
「信用してないな」
「いや、わかってましたってば、それくらい。ただし定期的もしくは季節性であってですね」
そう、周期的モテ期だ。
「定期テストともバレンタインとも関係なく、恒常的に人気がある」
「まさか」
恒常的とは大仰な。いや、大仰という言葉自体大仰だが。
私はそんなに人気のある人間じゃない。
「かなり正確な情報だから、信用していい」
自信ありげに彼は頷く。
「なんでそんなことわかるんですか」
「そう聞いた。男子から直接な」
教育実習生侮りがたし。
女子はともかく男子はなかなか女子の話題で盛り上がらないし、まして本音は冗談の中に巧妙に隠されている、というのは直子の言である。ま、ごまかせてると思ったら大間違いだけどね、と付け足しながらだったのが若干おそろしいけれど。
そんなトップシークレットの領域までやすやすと足を踏み入れるとは、ただものじゃない。
そもそも、と話を戻す。
「なんでそんな話になったんですか」
「今日の昼休みは教室にいたからな」
どこかの元気がありあまった女子に体育館に連れて行かれなくて済むように逃げていた、と付け加えられる。
直子のことか。
早くもここまで警戒されているとは。何をしたのやら。
この調子で警戒されていたら、スーツで大縄は実現しないかもしれないな、とちょっと考える。いや、別に見たいわけじゃないけれど。
「それに雨だから、男子生徒がかなり残っていた」
彼は続ける。
今日はずっと雨だったから、いつもは校庭に出ていく男子も教室に残っていた。直子などはただでさえじめじめしてるのに人口密度高くて暑苦しいったらしょうがない、と悪態をついていたほどだ。
まあほかの理由としては、と彼は薄く微笑んで言葉を紡ぐ。
「雨の日は、口が軽くなる」
手持ち無沙汰な雨の日には、語りたくなる。
ほら、源氏物語の雨夜の品定めのように、と彼は窓の外を眺めやる。
彼の視線を辿って、私も窓から外を見る。
さほど大きくはない雨粒が落ちる音は、窓ガラスを閉めると聞こえない。窓越しにはまるで雨は降っていないようで、それでも水たまりを見れば波紋が広がっていくのがわかる。
「品定め、ですか」
そういう言い方は不快なはずなのに、雨の日の、というと風流にさえ感じられるからおかしい。
「まあたいした内容じゃない。女子だって教室に残っていたし」
お前はいなかったがな、と彼は雲に覆われた空を見上げつつ呟く。
そのころ私は「どこかの元気がありあまった女子」からあなたを大縄に引っ張り込む計画を聞かされていました、というのは黙っていよう。
とにかくいいか、理保、と彼は窓からこちらに視線を移す。
「お前は自分で思っているより人気がある。自覚しておくのも悪くない」
油断はするなよ、と最後に言って、彼は教室を出ていく。後ろ姿が遠ざかっていくのをぼんやり見つめる。
しかし、いまさらだが、要するに彼は何が言いたかったんだろう。彼と話したあとには、こういう消化しきれないものが残る。
すっきりしないけれど、突き詰めて考えるのはどこか気がすすまなくて。
それはなぜなのか。
よくわからない。
それからしばらくの間、私は教室に残ったままやまない雨を見ていた。雨粒は見えないのに、水たまりは次々に波紋を広げ、木々は雨だれをはじいて葉を揺らす。
掃除は終わっているので教室にとどまる必要もなかったが、なんとなくひとりになっている。
雨の中、家に帰る前のひととき。
彼が何を伝えたいのかはよくわからなかったけれど。
油断はしませんよ、とひとり口に出す。
なんといっても、油断をするとチョークを割ってしまうことになるのだから。
教育実習7日目のお話です。




