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5月18日 金曜日  黒板消しと赤色警報3

 落ち着くために、深く息をつく。

 失くしものをしたときは、慌てず騒がず、まず。


「たちわかれ」

 そっと口に出す。

「いなばのやまの」

 しゃがみこんで、並んだ机と椅子の間をのぞく。床に落ちているという事態も、なくはない。

「みねにおうる」

 見当たらない。

「まつとしきかば」

 自然と声が大きくなる。どこだろう。

「いまかえりこん」

 帰って来い、ヘアピン。待ってるから。


 98円ショップで買ったにしては使い勝手がよく、重宝していた。落ち着いたデザインだし、気に入っているのだ。

 再び唱え始める。もう一度ざっと探して、見つからなかったら部室に戻ってみよう。

「たちわかれ、いなばの」


「失くしものか?」


 いきなり声を掛けられて、はっとそちらを向いた。


 案の定というか、昨日もおとといも来た教育実習生が、いた。教室の前、開け放したままの入り口から入ってくる。

 なんでやってきたのか気にはなるけれど、それよりも訊きたいのは。

「なんで失くしものって」

 わかったんですか、と最後まで言い切る前に、彼はちらりと笑みを浮かべてあっさり告げる。

「『いまかへりこむ』だろう。ものを探すときのおまじないだ」

 その通り。


  『立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む』


 百人一首でもおなじみの和歌だ。

 失せもの探しに使うのはなぜかといえば、要するに私が待っているのだから帰ってこい、という和歌の意味にちなんだおまじないだからだ。


「……先生も、知ってたんですか」

「ああ。うちのばあさんが、よくぶつぶつその歌を唱えながら探しものをしている」

 それは、暗に私が婆くさいといってるのか。

 彼は話をしつつも、並べられた机の合間をすいすいと縫って、教室の真ん中にいる私のそばにやってきた。

「ばあさんと比べて、お前は声がよく通る。廊下からでもすぐにわかった」

「一応合唱部ですから」

 ぼそりと返す。

 廊下まで聞こえていたのかと思うと、かなり恥ずかしい。

 学校の怪談の仲間入りをしてしまわないだろうか。放課後の教室に和歌を呟く女の声がする、なんて。うわ、こわい。私だったら絶対放課後の教室に近寄れなくなる。

 複雑な表情になった私を無視して、彼は話を進める。


「で、何を探してるんだ?」

「ヘアピンです」

「これか」

 当然のように差し出された彼の手にあるのは、ダークブラウンのコンコルドピンだ。

「あ、そうです。……え、でも、なんで先生が持ってるんですか」

 手を伸ばして受け取りつつ、問う。

「帰りのホームルームのあと拾った」

 それでは、いくら私が探しても見つかるわけないじゃないか。

 黒板消しの掃除をするときに使うだろう、届けにきた、とどうでもよさそうな口調で彼は続ける。

 なんとなく、なんでずっと持っていたのかの説明にはなっていない気がするけれど。


 でもまあ、とりあえず。

「ありがとうございます。掃除を始めようと思ったらなくて困ってました」

 お礼くらい言わないとな。適度に感謝をこめつつ口にする。

「困っていたにしては、ずいぶん落ち着いて見えたが」

「慌てていたら見つかるものも見つかりません。失せもの探しは、慌てず騒がず『たちわかれ』が基本ですよ」

 私はいつも落ち着いている、しっかりしているとよくいわれるが、そうでもない。慌ててもそれを外に出さないよう努力しているだけだ。慌てていると見落としも大きいし。

 経験則だが、失くしたのに気付いた直後、「たちわかれ」と唱えつつ探したとき、見つかるものは見つかるし、見つからないものはかなりの確率でその後も出てこない。見つからなかった場合はひとまず諦めるが、しばらくは昇降口にある落し物が入ったガラスケースを未練がましく覗くことになる。

 

 しかし、考えてみると。

 失くしものかなんて訊かずに、初めからヘアピンを渡してくれればよかったんじゃないか。

 でもまあ、見つかったんだし細かいことはいいか。


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