5月17日 木曜日 黒板消しとグレーゾーン5
再びベランダに出る。
だいぶ曇ってきているが、風は弱い。これくらいならば、黒板消しも叩くとき、風向きを気にしなくていい。
葵といえば知ってたか、と彼がまた話し始める。豆知識披露モードだ。
「例の副将軍が出す手紙の署名に『梅里』ってあるだろう」
梅の里と書いてバイリだ、と彼は続ける。
「ああ、ありますね」
黒板消しを叩きつつ、相槌を打つ。
時代劇の場面を思い浮かべる。
忍びがこっそり偉い人が寝てる所に行く。気配に気付いて起きた偉い人が「む、なにやつ」と問うたところですかさず「は、これを」とか言って、最後に「梅里」と署名してある悪事を暴く手紙を差し出すのだ。
お約束だが、見るのは結構楽しい。
「あれは、陶淵明の『五柳先生』の真似なんだ」
五柳先生、というのは最近漢文の授業で習った「五柳先生伝」のことだろう。
「陶淵明は、自らを『五柳先生』と称した。例の副将軍も、それにあやかって自分も『梅里先生』と名乗ることにしたんだ」
家のそばに5本の柳が植えられていたから五柳先生だったっけ。梅の木ならば梅里、ってわけではないだろうけど。ご老公ってばお茶目さんだな。
「へえ。知りませんでした」
ぼふっと1回最後に強めに叩き、教室に戻る。
ベランダの窓と鍵を閉めると、黒板消しを黒板の桟に置いた。
よし、終わり。
彼の方に向き直る。
「改めて、昨日はすみませんでした。今日はお話楽しかったです」
一礼する。
では失礼します、荷物を持って廊下に出る。
わたしだって、やる気になればできるじゃないか。ちゃんとした会話。よく知らない人との世間話。
昨日の無礼も謝ったし、すっきりした。
変な教育実習生に対してでも、謝るべきは謝ってこそ、清々しい毎日が送れるのだ。
しかし。
昇降口に向かいつつふと思ったが、あの人いったい何しに来たんだろう。
私に謝らせたかったわけでもないみたいだし。
ううむ。
……蘊蓄を語りたかったとか。
かなり謎だな。
まあ変な人だしそんなもんか。
さあ帰ろうっと。
教育実習4日目のお話です。




