1.化物との上手な暮らし方
ヤミノオトシゴ
chapter 1
「化物との上手な暮らし方」
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P.M.6:27
マンションの階段にハイヒールの音が響く。
"化物"はここ数日間、その音を覚え、とても敏感になっていた。
少し錆び付いた鍵の開く音。
やや重いドアが開く音。
その順番もきちんと覚えた。
「ただいま、ミィ...」
「(こくり)」
スーツ姿の女性がハイヒールを脱ぎながら言うと、至って普通の少女の姿の化物は無言で頷いた。
「お腹、空いた?」
「.....(ふるふる)」
無言のまま少し考えて、今度は首を振って否定を伝える。
ハッキリとした首の動きに、彼女のツインテールが揺れた。
「そ...じゃあ、もう少しでお風呂沸くから、一緒に入ろうか?」
「(こくり)」
今度の問いには、嬉しそうに微笑んで頷いた。
彼女は失語病のようだ。
最初は元々化物だから喋らないのかもしれないと思ったが、私の言葉は理解しているようなので、やはり喋れないだけだろう。
「じゃあ、先にお風呂場に行って服脱いでてね」
「(こくり)」
ミィはもう一度笑顔で頷くと、小さな音をたてて駆け足でお風呂場に向かった。
私が恩人だからか、それとは違う理由があるのか定かではないが、彼女は私の言うことに「いいえ」の意味以外に首を振ったことがない。
「ま...別に無理な命令なんて言ったこと無いけど。」
私は明石 美鶴。今年27歳になったばかりで、法律事務所に働くOLだ。
親から離れ、1人暮らしを始めたのはもう5年前になろうとしている。
そして彼女はミィ。
年齢は多分8、9歳だろう。
半月前、雨の日の帰り道に家の近くのゴミ捨て場で座りこんでいた姿に心を打たれ拾ってしまった。
名前を教えてくれないので、昔実家で飼っていた猫の名前をそのままあだ名につけてしまった。
そのあだ名がどうかしていることは私も自覚している。というか少しばかり後悔している。
何故つけたのがその名前かと言うと、とある遊園地のお土産のネコミミのカチューシャを着けさせたところ、とても似合っていたからだ。
...な、何か問題がある?
「...さてと」
私は、多分投げ掛けられた文句を振り切り、ミィが待つお風呂場に行くのだった。
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ミィの長髪は綺麗な黒。同性の私も思わず見とれてしまう程、純粋な黒色だ。
やや高価なシャンプーは、彼女のそれに更に艶を与えた。
「.....(うっとり)」
鏡でミィの顔を見ると、頭を洗われてとても心地が良いのか、恍惚の表情を浮かべていた。
「ふふ、おかゆいところはございませんか~?」
「.....(ふるふる)」
ありません。と伝える小さな首振り。
行う動作がいちいち可愛らしく、母性をくすぐりときめかせる。
(...しかし、こうして見ると本当に親子みたいだなぁ...)
血縁関係などないはずの私とミィだが、彼女のツインテールの髪留めをほどいてみると、私と瓜二つだった。
ただの偶然なのか...
そんな中、1つの考えが浮かぶ。
もしかして...ミィは私と同じ?
「...なワケないか」
溜め息をついて鏡を見ると、その中には今の言葉に首を傾げるミィがいた。
「はぁ...可愛い。」
「(びくっ)」
自分と瓜二つの少女なのに、そんなことを言いながら抱きしめてしまう私だった。
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お風呂から上がり、この間買ったお揃いのパジャマに着替え、冷蔵庫の中からコンビニで買ってきたお弁当とあるものを取りだす。
「ミィ、はい。」
「(ぺこり)」
あるものを渡され、ミィは軽く一礼する。それは、小さな紙パックのトマトジュースだった。
早速、付属のストローを差し込みごくごくと嬉しそうに飲んでいくミィ。
私はその姿を微笑み見つめ、お弁当を電子レンジに入れて時間を設定してスイッチを押した。
──すると。
「(ぐいぐい)」
「ん...どうしたの?」
ミィが私のパジャマの袖を両手で引っ張っている。
彼女は何故か申し訳なさそうにこちらをチラチラと見るので、目と目がなかなか合わなかったが、その瞳は何かを訴えていた。
「!...我慢、できないの?」
「.....(こくり)」
私はミィの訴えをすぐに感じ取り聞いたが、彼女は少し間を空けて頷いた。
「もう、しょうがないなぁ...」
慣れた手つきで腕捲りをする。
ミィは唾をのみ、それをじっと見ていた。
そしてミィの前に座り、腕を差し出す。
「──さ...どーぞ?」
私がミィを化物呼ばわりする理由が、そろそろお分かりいただけただろうか。
「(かぷっ)」
遠慮気味に、腕に噛みついた。
彼女はヴァンパイア、いわゆる吸血鬼とかいうやつなのだ。
「っ!...ぁ」
注射よりもやや強い痛み、後の快楽...。
「(ごく...ごく...)」
吸血鬼の映画等で、女性が血を吸われると性的快感に襲われるらしいが、それはどうも間違いではないらしい。
きっと大人の吸血鬼だったら最後まで吸われてしまうのだろうが、ミィはまだ子供だからなのか、献血程度の少量で済む。
そうは言っても、意識はだんだん薄れていった。
ぴぱぽぱぱぱぴ~。
「──!」
音が気に入り購入した電子レンジのそれを聞き、我に帰る。
既にミィは吸血を終え、傷口を舐めていた。吸血後毎回行うので、止血の作用があると思われる。
「あ...もういいの?」
「(こくっ)」
ミィは満足した顔で先ほどよりも強く頷いた。
そんな彼女の頭を撫でてから立ち上がり、慣れた立ちくらみの後に電子レンジの中のお弁当を取り出す。
「いた、だき、ます。」
合掌し、白米を口に運ぶ。
するとテーブルの向かい側にミィが座り、だらんと脱力して私を見つめた。
以前、この弁当のような人間の食べ物を食べさせようとしたことはあるのだが、どうにも喉を通らないらしく、吐き出してしまった。
食べ物が欲しくもないのに傍に寄るというのは、なついてくれている証拠なのだろうか...。
ミィを迎えて半月たつが、最近は様々なことを考えてしまう。私はいつか、彼女に殺されてしまうのだろうか...。
いくら彼女が無垢なる少女と言えど、吸血鬼に私の血液はもつのだろうか。
今は3日に一度、少量で済んでも成長すればどうなる? 1年たつ間もなく、悪魔のように凶暴化することも考えられなくはない。
もう一度彼女に目をやると、気に入ったらしいネコミミカチューシャをいつの間にかつけていた。
(...でも、やっぱり可愛い。)
近所や知り合いには、私の亡くなった親戚の娘と偽って紹介した。
当然学校に通わせることなどできるわけもなく、ミィには可哀想だけど、親を失って失語病・不登校になってしまったことにした。
いつまで嘘を突き通せるかは分からないが、こうするしか私と彼女に道はなかったのだ。
(...どうしたもんかな~)
食事中に行儀が悪いが、頬杖をついて弁当を見つめ、同時に小さな溜め息が漏れる。
それでも、今の私は幸せだ。
傍に誰かが居てくれれば、もう私は何もいらなかった。
きっと私は、死ぬまでミィと一緒にいるのだろう。
何かが2人を引き裂かない限り
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出会った時、ミィは夜行性(?)だった。だから一緒に寝ることはできなかった。
今では若干無理矢理ながら昼に漢字ドリル等をやらせているので、昼型に傾き始めている。
意味があるかは分からないが、とにかくそれによって一緒に寝ることができるようになった。
「さ...そろそろ寝ようか。」
「(こくり)」
とろんとした目をゴシゴシと擦り頷いた。続けて身体を伸ばして小さな欠伸をしている。
飽きもせずまだネコミミカチューシャを着けているので、猫が擬人化したような風景だ。
「ほら、寝るんだからネコミミは取っちゃいなさい。」
「!...(しょぼん)」
後ろから近寄りカチューシャを取り外すと、ミィは残念そうな顔をしていた。
(よっぽど気に入ったのね...)
カチューシャをテーブルの上に置き、布団に入ろうとした時。
「あ、記録記録...」
ミィと出会った日から、ノートに「ミィ・日記 その1」という題名でミィとの暮らしを記録している。
「15日目、とーくーに、変ーわーった、こーとーはーなーし...っと。6日前から相変わらずこの調子か~」
意味があるかは分からないが、ミィと過ごす日々を日記に残すことにしたのだが、1週間近く新規に書かれた事柄は無かった。
「さて、寝ようかな...」
ノートを閉じて布団の部屋に戻ると、既にミィは静かな寝息をたてていた。
「あ...ミィ寝ちゃったんだ。」
ミィが私より先に寝たのは、これが初めてだった。
些細なことでも変化だったので、日記に書き起こすことにした。
急いでテーブルに戻ってノートを開き、先ほどの短い文章に二重線を引いて訂正する。
(えっと...初めて、彼女が、私よりも、早く寝てしまった。少しずつ、私との生活に、身体が、慣れてきたのかもしれない...)
書き終わり欠伸が出た。
明日は休みだが今日は疲れた、今度こそ布団に入ろう...
「...(すやすや)」
「お休み、ミィ」
部屋の電気を消し、布団に入る。布団はシングルサイズだが、私とミィが一緒に寝るスペースは少々狭いが何とかあった。
窮屈なくらいが私達には丁度良かった。互いの温もりが無いと、不安になってしまうから。
こんな生活がずっと続くと、私は信じて疑わなかった。
きっとミィも同じだった。
でも、終わりは告げられた。
いかがでしたでしょうか。
感想などございましたらお願いいたします。