15:彼女の願い
砂漠の国にも、花は咲く。
しかし、今のベレスフォード王国ほど花に恵まれた国は、砂漠の大陸のどこを探しても存在しない。
それほど迄に、女神は新たな土地を祝福した。
聖女ローレルの名が公開されると共に、その名は恩恵の象徴として国中に広まった。
皆が聖女が来てくれたことを喜び、その恵みに感謝した。
陰と陽、光と影。
ラドクリフの衰退とベレスフォードの隆盛は、正に対照的であった。
「ローレル、そろそろ休憩にしようか」
「はい!」
ヘンリーが声を掛けると、ローレルは明るい声で頷いた。
ウォーベック侯爵家の別邸。
最近のローレルは、身近な人を教師として、勉強に精を出していた。
今もウォーベック家の長男ヘンリーに、大陸の歴史について習っていたところだ。
「やっと終わったのか?」
勉強時間が終わったと見て、先ほどまで退屈そうに足を組んでいたルークが、身を乗り出してきた。
不真面目な弟に、ヘンリーが嘆息する。
「良い機会だから、お前も一緒に勉強し直したらどうだ?」
「勘弁してくれよ」
ルークが肩を竦める。
ローレルの勤勉さは素晴らしいと思う反面、退屈なアカデミーを卒業して、今更勉学に励む気にはなれない。
ルークは、頭を使うことよりも、身体を動かす方が好きなのだ。
ローレルが襲われたあの日から、ルークは父に師事して、再び剣の修行に打ち込むようになった。
武者修行と称して冒険者稼業に精を出してみたりと、遊び半分だったルークが、今では見違えるように稽古に励んでいる。
とはいえ、剣術と座学となれば、また話は別なようだ。
「ヘンリー様の授業は、凄く面白いですよ」
ローレルの言葉に、ヘンリーが胸を張る。
「特に暗黒の歴史については、ラドクリフでは聞いたことがありませんでした」
「臭い物には蓋をする、お国柄だろうな」
ヘンリーが、軽く肩を竦める。
聖女の存在が、如何に重要か。
聖女をなぜ大事にしなければならないのか。
歴史を紐解けばそこに答えはあるというのに、輝かしい歴史にばかり目を向けて、凋落の日々は認めようとはしない。
これから先両国の関係がどうなるかは定かではないが、ラドクリフ王国の性質が変わらぬ限りは、同じことを繰り返すのだろうな──と、ヘンリーは考えていた。
「難しい話は、いいだろう」
侍女に手を上げて、早々にティータイムの手配を指示する弟に、ヘンリーはため息を吐いた。
「まったく……ローレル、本当にこんな弟で良いのか?」
「えっ」
不意に話を振られて、ローレルが声を上擦らせる。
「思い直すなら、今のうちだぞ」
「なんてことを言うんだ、兄上!!」
堪らず、ルークが声を上げた。
睨み合う兄弟の光景に、ローレルがくすくすと笑みを零す。
和やかな風景。
しかし、ルークにはどうしても気掛かりなことがあった。
「はぁ……明日には行ってしまうのか、ローレル」
ローレルは、正式にエルドン公爵家の養女となった。
今では週の半分をエルドン公爵家で過ごし、公爵夫人から礼儀作法を学んでいる。
「また、すぐに戻ってきますから」
「それでも、寂しいものは寂しい」
ルークの率直な言葉に、ローレルの胸がじんわりと熱くなる。
養子入りが済んだ今でも、残る週の半分をウォーベック侯爵家で過ごしているのは、ひとえに彼──ルークがここに居るからだ。
ルークとローレルの婚姻は国によって認められ、翌年には、二人はめでたく夫婦となることが決まっていた。
そんな甘い空気のただ中にあって、ヘンリーは一人、息を吐く。
長男の自分がいまだ独り身だというのに、どうして次男が先に、しかもこんなにも素晴らしい妻を迎えるというのか……などと、決して口にはするまい。
彼自身ローレルを好ましいと思いながらも、二人の幸せを一番に願っているのも、またヘンリーであることに間違いはないのだ。
「た、大変でございます!!」
和やかな空気を切り裂くように、足音が響く。
慌てて駆けてきた従者の顔は、真っ青に染まっていた。
「何事か」
「それが──」
従者が報告するより先に、複数人の足音が聞こえてきた。
規則正しい軍靴の音。
大勢の騎士と、それを率いる男の姿に、ヘンリーが眉を顰めた。
「貴方は──」
「控えろ、ランドルフ神聖国王太子アリスター殿下の御前であるぞ!」
聖騎士が、声を張り上げる。
かつての婚約者の姿に、ローレルの身体が強張った。
その様子に気付いたルークが、ローレルの前に立ち塞がる。
足音を響かせ、アリスターが進み出る。
「世話を焼かせてからに……」
苦々しい口調は、だが一瞬で和らいだ。
アリスターの顔には、今までローレルには見せたことのない笑顔が浮かんでいた。
「迎えに来たぞ。さぁ、一緒に帰ろう」
ビクリと、ローレルが肩を震わせる。
それもそのはず、アリスターは口元こそ弧を描いているが、その瞳は決して笑ってはいない。
アリスターが、手を広げる。
しかし、ローレルは動かなかった。
「……違います。今はもう、ここが私の家です」
小さいながらも、ハッキリとした声だった。
アリスターの頬が、僅かに引き攣る。
「……今、何と言った?」
「私の帰る場所は、ここです」
怯えながらもハッキリと意思を見せたローレルを庇うように、ルークとヘンリーの兄弟が並ぶ。
ウォーベック侯爵家別邸に配備された騎士達もまた、主を守る為に身構えた。
「何が望みだ?」
「望みならば、ここに居ることが望みです」
アリスターの問いに、再度ローレルが答える。
「なぜだ、ラドクリフに戻ればお前は再び聖女の座を得て、この俺の妻となれるのだぞ?」
「嫌です!! 私は……私は、ルークの妻になるのですからっ」
「な──!?」
拒まれるなどとは微塵も予想していなかったアリスターが、目を見開く。
この女は、何を言っている?
平民の分際で、王太子である自分を拒むだと?
一体、何の権利があって。
「お前は、自分が拒める立場だと思っているのか? 平民の分際で──」
「違います、今の私は、エルドン公爵家の一員です」
ルークとヘンリーの背に守られながら、ローレルが言葉を紡ぐ。
少し前ならば、アリスターに逆らうなど、考えも出来なかった。
でも、今なら……皆に愛され、望まれた今ならば、自分の言葉を発することが出来る。
何がしたいか、何が望みかを、しっかりと伝えることが出来る。
「そうして……もうすぐ、ウォーベック家の嫁となる身です」
「ローレル……」
こんな時だというのに、ルークはつい頬を緩ませてしまう。
一方で、アリスターは毅然とした態度を見せるローレルを、呆然と眺めていた。
(誰だ、この女は……)
アリスターが思い描いていたローレルとは、あまりにかけ離れた姿。
みすぼらしく、汚れ果てた平民の女は、そこには居ない。
今目の前に立っているのは、礼儀作法を教え込まれた、美しい一人の令嬢の姿であった。
(この女は、こんなにも……美しかったのか……)
社交の場で令嬢を見慣れているはずのアリスターでさえ、息を呑むほどだった。
今のローレルであれば、捨てはしない。
妻として迎え入れて、可愛がってやったものを。
「ええい、大人しく言うことを聞け!!」
伸ばし掛けたアリスターの手を、ルークが掴む。
「貴様、なんと不敬な!?」
護衛の聖騎士が、剣を抜き放つ。
と同時に、ウォーベック家の騎士達も臨戦態勢をとった。
「ローレルは、渡さない」
「貴様──っ」
一触即発の空気の中、ルークは怯むことなくアリスターを睨み据えた。
「既に、ローレルの意思は伝えたはずだ。これ以上無理強いをするなら、こちらもそれ相応の対応をさせていただく」
「愚かな、誰を相手にしているか、分かっているのか!?」
荒ぶる聖騎士達を前に肩を竦めたのは、長兄のヘンリーだ。
「それは、こちらの台詞だ。我等は、ローレルの保護を第一にと王家から命を受けている。それ即ち──」
兄の言葉を引き継ぐようにして、ルークが口の端を上げた。
「相手が誰であろうと、ローレルは渡さないってことだ」
ルークは、片手でローレルの身体を抱き寄せた。
もう二度と、彼女を離さない。
あんな想いは、ごめんだ。
そんな揺るがぬ決意が、彼の全身から滲み出ていた。
「くっ」
ルークの気迫に、アリスターが一歩後退る。
そんな彼の耳に、押し寄せる大勢の足音が聞こえてきた。
「大変です、ベレスフォードの軍勢が──」
「くそっ、引くぞ!!」
かつては、ベレスフォードなど取るに足らぬ小国だった。
だが、食料を自給出来なくなった今となっては、ベレスフォードを敵に回す訳にはいかない。
両国の関係が万が一にも悪化して、戦争にでも発展したら──困るのは、ラドクリフの方なのだ。
ベレスフォード王国の騎士達から逃れるように馬を走らせながら、アリスターは一人、馬上で毒づいた。
「どうして、こんなことに……」
一体、どこから間違えたのか。
なぜ、こうなってしまったのか。
どれだけ問いかけても、答えは見付からぬまま──。
嵐があった後の侯爵邸には、爽やかな風が吹いていた。
「私……ちゃんと、言えました」
「ああ」
ローレルの言葉に、ルークが目を細めて笑う。
気弱だったローレルが、はっきりと口にしたこと。
彼女が願ったことが、自分の傍に居ることだった──それが、何よりルークの胸を熱くさせていた。
「よく頑張ったな、ローレル」
「はいっ」
嬉しそうに微笑むローレルの顔が、僅かに赤らんでいる。
ようやく、ルークはローレルを抱きしめたままだったことに気が付いた。
「あ──」
一瞬戸惑いながらも、その手を離すことはしない。
こみ上げる想いを、愛おしさを、己が内に潜む欲を──その全てと向き合おうと、決めたのだ。
「ローレル」
ぎゅっとルークがローレルを抱きしめ、その耳元で囁く。
「幸せになろうな」
「……はい!」
二人を祝福するかのように、ベレスフォードの土地には今日も優しい風が吹き、花が咲き乱れていた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!









