14:崩れゆく神聖国
かつてラドクリフ神聖国は、砂漠の大陸に浮かぶオアシスと謳われていた。
豊かな水と食糧に恵まれ、周辺諸国へ惜しげもなく──いや、高値でそれらを輸出し続けてきた強国。
女神の寵愛を一身に受ける国。
誰もがそう信じて疑わなかった。
だが今はもう、その面影はどこにもない。
川は涸れ、大地はひび割れ、畑は干上がった。
人々は水を求めて彷徨い、王城や神殿へ救いを請うばかり。
近頃では、もはやこの国を見限り、他国へ逃げ出す者すら増えていた。
綻びは、ずっと前から始まっていたのだ。
平民の聖女。
親も知らぬ孤児。
そう言って、ローレルを誰もが軽んじた。
祈りを捧げさせず、神聖力を紫水晶へと溜め込ませただけではない。
彼女を粗末に扱い、蔑み、心を傷つけ続けた。
その歪みは、すべて大地へ返っていたのだ。
国中から上がってくる惨状の報告を前に、王太子アリスターは、真の聖女を追い出した神官長カールと偽聖女エリザベス、さらにその一族であるフォレット公爵家の者たちを処断し、首を城門前に晒した。
だが、それでも何一つ好転しない。
そればかりか、ローレルを連れ戻すためにベレスフォード王国へ送り込んだ特使が、聖女を攫おうとして逆に傷つけ、神罰を受けたという報告まで届いていた。
「なんということだ……」
報告を聞いたアリスターは、その場に膝をついた。
これ以上、女神の怒りを買うというのか。
たかが平民の娘一人、妃に迎えることを厭っただけで。
――いや、違う。
自分が悪いわけではない。
あの神官長と偽聖女が勝手なことをしたのだ。
自分は騙されただけだ。
アリスターは、そう信じて疑わなかった。
「殿下、こちらを……」
「何だ」
「ベレスフォード王国より、親書にございます」
従者が差し出した書簡を受け取り、アリスターは荒々しく封を切った。
そこに記された文面へ目を走らせた瞬間、その顔が見る見るうちに歪んでいく。
「なぜだ――ベレスフォードの分際で!!」
書かれていたのは、あまりにも明確な拒絶の言葉だった。
――聖女ローレルは既に我が国の民であり、返還要求には応じられない。
――ただし、貴国の窮状に鑑み、食糧と水の支援を行う用意はある。
――条件は、これまで貴国が当国へ課してきたものと同等とする。
引き渡しは断固拒否。
そのうえで支援はしてやる。
ただし、お前たちがこれまで我々に押しつけてきた条件でな――。
そう言外に突きつけるような返書だった。
アリスターはぎりりと歯を噛みしめる。
全ての恵みはラドクリフにある。
尊ばれるべきは、唯一、女神に愛されたこの神聖国だけのはずだった。
ベレスフォードのような格下の国など、本来なら取るに足らぬ存在ではなかったのか。
それなのに今、自分達はそのベレスフォードから施しを受ける立場にまで落ちぶれている。
……原因は一つだ。
聖女だ。
ローレルさえ戻ってくれば、全て解決する。
「チッ……仕方あるまい。おい、旅支度をしろ」
再び従者へ向き直り、アリスターは吐き捨てるように命じた。
「俺自ら、ベレスフォードへ出向く」
脳裏に浮かぶのは、気弱でみすぼらしい聖女の姿だった。
怯えた眼差し。
疲れ果てた顔。
痩せ細った手足。
どれ一つ取っても、自分の妃として相応しいとは思えなかった女。
だが、ここまで来れば好みがどうこう言ってはいられない。
王妃としての資質がどうだ、血筋がどうだ、そんなこともどうでもいい。
あの女は、いつもこちらの顔色を窺っていた。
少し優しい言葉でもかけてやれば、きっとまた従うだろう。
後のことなど知ったことではない。
とにかく連れ戻しさえすれば、それでいい。
アリスターは最後まで気づかなかった。
なぜ女神がラドクリフの土地を見捨てたのか。
王家と神殿が、どれほど長く民を裏切ってきたのか。
そして、自分がもはや見限られていることにも、気付いていない。
今日も王城の門前には大勢の民が詰めかけ、晒された首に向かって石を投げている。
だが、その石が向けられているのは首だけではない。
その向こうにそびえる王城へ。
その中にいる王家そのものへ。
民の怒りは、既にそこまで届いているのだということを、アリスターだけが知らずに居た。









