骨壷の重さ
あなたは償いをしなければならない
コンビニのバックヤードで、いつもと同じように深夜の品出しをしていた。
冷蔵ケースの奥に手を突っ込んで、賞味期限の近いヨーグルトを前に出していると、
「なぁ、今日も遅くまでありがとな」と低い声がした。
振り返ると、いつものシフトリーダーの佐藤さんだった。
五十代後半くらい。髪はもうほとんど白くて、背中が少し丸まっている。
でも目尻の皺は柔らかくて、笑うと本当に優しそうに見えた。
「佐藤さんこそ、いつも残ってくれてありがとうございます」
私はそう返して、少しだけ笑ってみせた。
佐藤さんは「まぁな」とだけ言って、タバコをくわえながら裏口の方へ消えていった。
両親が死んでから、私はこういう小さなやりとりがすごく大事に感じるようになった。
誰かに「ありがとう」と言われること。
誰かに「ありがとな」と言われること。
それだけで、今日も生きてていいんだと思える瞬間が少しだけ増えた。
佐藤さんは、私がバイトを始めて三ヶ月くらい経った頃から、
やたらと話しかけてくるようになった。
最初は「寒いな」「腹減ったな」みたいな当たり障りのない会話だったけど、
だんだん「お前、ちゃんと飯食ってるか?」「風邪引くなよ」みたいな、
父親っぽい言葉が増えていった。
私はそれを、嬉しくもあり、苦しくもあり、複雑な気持ちで受け取っていた。
ある雨の夜。佐藤さんがレジでふらついた。顔が真っ青で、額に汗が滲んでいる。
「ちょっと気持ち悪いだけだ、大丈夫」と言い張るのを無視して私は店長に許可をもらい、佐藤さんをタクシーで家まで送ることにした。
アパートは古くて、階段の踊り場に自転車が錆びついて放置されていた。
四階の突き当たりの部屋。
鍵を開けると、カビ臭い空気と、湿ったタバコの匂いがした。
「悪いな……本当に悪いな……」佐藤さんはそう言いながら、よろよろと靴を脱いで部屋に入った。
私は慌てて支えながら、なんとかソファまで運んだ。部屋は予想以上に殺風景だった。
家具はほとんどなく、テレビも冷蔵庫も古い。
キッチンの流しには洗っていないコップが三つ。
そして、ちゃぶ台の上に小さな白い骨壷がぽつんと置いてあった。
子供の骨が入るような、とても小さな骨壷。その横に、A4サイズの額縁。
中には、笑顔の少女の写真。
三つ編みで、ピンクのワンピースを着ている。
4歳くらいだろうか。
「……4歳だった」背後から、掠れた声がした。
佐藤さんがソファに座ったまま、こちらを見ていた。
「ちょうど……君と同い年だ」
私は息を呑んだ。佐藤さんがゆっくり立ち上がる。
そして私の肩に、震える手を置いた。
その手は、さっきまでよりずっと力が強かった。
「俺のこと、お父さんみたいって思ってくれてたんだよな」声が低くて、どこか嬉しそうで、どこか壊れそうだった。
「ずっと、言えなかったんだ。
言ったら、君が逃げると思ってたから」
肩にかかる手の重さが、どんどん増していく。
「でも、もういいよな。
俺は……もう我慢しなくていいよな」佐藤さんの目が、濡れていた。
「君が、あの子と同じ歳で、
同じくらいの背丈で、
同じくらいの声で、
俺を見て笑ってくれるから……」
私は動けなかった。
「償いを、させてくれ」
佐藤さんの手が、私の首の後ろに回る。「俺が、ちゃんと父親になってやるから」
骨壷が、すぐ横で静かに佇んでいる。
小さな女の子が、額縁の中でずっと笑っている。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
佐藤さんの息が、耳元で震えていた。
「……お父さん」
私がそう呟いた瞬間、
佐藤さんの体から力が抜けた。彼は私の肩に額を押し付けて、
子供のようにはしたなく泣き始めた。
私は、ただじっと立っていた。
背中に回された手は、もう力を失っていた。
ただ、温かかった。
雨の音が、窓の外でずっと鳴り続けていた。




