表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

骨壷の重さ

作者: 灯油豆腐
掲載日:2026/02/14

あなたは償いをしなければならない



コンビニのバックヤードで、いつもと同じように深夜の品出しをしていた。

冷蔵ケースの奥に手を突っ込んで、賞味期限の近いヨーグルトを前に出していると、

「なぁ、今日も遅くまでありがとな」と低い声がした。

振り返ると、いつものシフトリーダーの佐藤さんだった。

五十代後半くらい。髪はもうほとんど白くて、背中が少し丸まっている。

でも目尻の皺は柔らかくて、笑うと本当に優しそうに見えた。

「佐藤さんこそ、いつも残ってくれてありがとうございます」

私はそう返して、少しだけ笑ってみせた。

佐藤さんは「まぁな」とだけ言って、タバコをくわえながら裏口の方へ消えていった。

両親が死んでから、私はこういう小さなやりとりがすごく大事に感じるようになった。

誰かに「ありがとう」と言われること。

誰かに「ありがとな」と言われること。

それだけで、今日も生きてていいんだと思える瞬間が少しだけ増えた。

佐藤さんは、私がバイトを始めて三ヶ月くらい経った頃から、

やたらと話しかけてくるようになった。

最初は「寒いな」「腹減ったな」みたいな当たり障りのない会話だったけど、

だんだん「お前、ちゃんと飯食ってるか?」「風邪引くなよ」みたいな、

父親っぽい言葉が増えていった。

私はそれを、嬉しくもあり、苦しくもあり、複雑な気持ちで受け取っていた。

ある雨の夜。佐藤さんがレジでふらついた。顔が真っ青で、額に汗が滲んでいる。

「ちょっと気持ち悪いだけだ、大丈夫」と言い張るのを無視して私は店長に許可をもらい、佐藤さんをタクシーで家まで送ることにした。

アパートは古くて、階段の踊り場に自転車が錆びついて放置されていた。

四階の突き当たりの部屋。

鍵を開けると、カビ臭い空気と、湿ったタバコの匂いがした。

「悪いな……本当に悪いな……」佐藤さんはそう言いながら、よろよろと靴を脱いで部屋に入った。

私は慌てて支えながら、なんとかソファまで運んだ。部屋は予想以上に殺風景だった。

家具はほとんどなく、テレビも冷蔵庫も古い。

キッチンの流しには洗っていないコップが三つ。

そして、ちゃぶ台の上に小さな白い骨壷がぽつんと置いてあった。

子供の骨が入るような、とても小さな骨壷。その横に、A4サイズの額縁。

中には、笑顔の少女の写真。

三つ編みで、ピンクのワンピースを着ている。

4歳くらいだろうか。

「……4歳だった」背後から、掠れた声がした。

佐藤さんがソファに座ったまま、こちらを見ていた。

「ちょうど……君と同い年だ」

私は息を呑んだ。佐藤さんがゆっくり立ち上がる。

そして私の肩に、震える手を置いた。

その手は、さっきまでよりずっと力が強かった。

「俺のこと、お父さんみたいって思ってくれてたんだよな」声が低くて、どこか嬉しそうで、どこか壊れそうだった。

「ずっと、言えなかったんだ。

言ったら、君が逃げると思ってたから」

肩にかかる手の重さが、どんどん増していく。

「でも、もういいよな。

俺は……もう我慢しなくていいよな」佐藤さんの目が、濡れていた。

「君が、あの子と同じ歳で、

同じくらいの背丈で、

同じくらいの声で、

俺を見て笑ってくれるから……」

私は動けなかった。

「償いを、させてくれ」

佐藤さんの手が、私の首の後ろに回る。「俺が、ちゃんと父親になってやるから」

骨壷が、すぐ横で静かに佇んでいる。

小さな女の子が、額縁の中でずっと笑っている。

私は、ゆっくりと目を閉じた。

佐藤さんの息が、耳元で震えていた。 

「……お父さん」

私がそう呟いた瞬間、

佐藤さんの体から力が抜けた。彼は私の肩に額を押し付けて、

子供のようにはしたなく泣き始めた。

私は、ただじっと立っていた。

背中に回された手は、もう力を失っていた。

ただ、温かかった。

雨の音が、窓の外でずっと鳴り続けていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ