2.未知との遭遇編 27話
不意にまぶしさを感じ、眉間をへこませる。視界がほのかに赤い。恐る恐る薄目を開けてみると、それが朝日のせいだと気づいた。ちょうどタクトの顔に差し掛かった日光。
もう朝か。準備をしなくては。
恨み節を念じながら、下段ベッドから這い出す。ふと上段を見てみる。いない。もぬけの殻のようだ。
気にしている場合ではないと、タクトは身支度を整える。
足元を見ると、奴の寝間着らしき塊が落ちていた。それを蹴飛ばし、何故か開けっ放しのドアを閉めつつ、宿泊部屋を後にした。
その足で向かったのは訓練場だった。すでにミカヅキが、木刀を振っている。
さすが、朝が早いことだ。彼からは眠気など一切感じなかった。
あとから来た手前、少し歩調を早めて彼のもとへ近づく。
「早かったな。では始めようか」
こちらに気づいたミカヅキは、木刀を下ろす。彼はいつもこう言うのだが、いつも先に来ているのは彼なのだが。
素直にうなずいて見せる。今日はミカヅキに、例の手本を見せてもらえる日だった。
この朝練は、彼から提案してきたのだった。
もしかしたら、いつも羨望の念を込めて彼の剣を見つめていたからかもしれない。あの上等な剣が欲しいという思いが強かったのだが。
とはいえ何か手がかりがつかめれば、この王国軍という職務においてこの上ないスキルとなる。それがタクトを、ミカヅキとの朝練に駆り立てていた。
目の前のミカヅキが纏っていた暴風が、解き放たれた。その余波が、傍観していたタクトの顔に鋭く衝撃を与える。初めて見た。こんなものがあったのか。
「まあ、こんなものだ」
事もなげに、ミカヅキは隊服を手で整える。
こんなものがマネできるのだろうか。タクトの心の中に、疑念が積み重なっていく。
それを見通したかのように、ミカヅキはフッと口元を緩ませる。
「だが忘れるな、剣術あっての魔力だ。最後は肉体の強さがものをいう」
簡単に言う。それを咀嚼しきれていないタクトは、無表情に虚空を見つめる。つまり、剣術を鍛えろということなのだろうか。
「では、今日はここまでだ。用事があるのでな」
身を翻し、彼は去っていく。
副団長として忙しい身でありながら、こんな自分に時間を割いて稽古をつけてくれる。それは風魔力同士という縁あってなのか、それとも憐れみなのか。タクトにはわからなかった。
◇
朝の気配に、ジクードは目を一杯に開く。
待ちに待った非番だ。昨夜はあんまり寝れなかったが、体調は万全だぜ。
上段ベッドからはしごを滑り降り、自身の私物が混雑している衣装棚へと最短距離で駆け込む。
服を着替え、寝間着を放り投げ、顔をごしごしと拭く。最後に交互に腕を上げ、ニオイを確認する。大丈夫だ。きっと大丈夫だ。
扉を開け放ち、廊下へと飛び立つ。勢いそのままに、宿舎を出て町へと駆け出した。
今日は彼にとって、人生で一番楽しみにしていた日なのだ。
朝のリリアックは、静かなものだった。停滞したような空気を突き破りながら、ジクードは目的の場所へとその足を動かす。
ここだ、待ち合わせ場所の、商店前。ぴたりと立ち止まる。
しばらくの間、あたりを見回す。絶えず、見回す。休まず、見回す。
ジクードの首が何千回転した時だろうか。彼の目に、光が宿る。
遠くからこちらへ歩いているレティシアを、ジクードの目は捉えていた。氷塊に釘が打ち込まれるような、強引な氷解が町の中に響き渡る。
「おはようレティシアさん!!!」
遥か遠くの彼女が、しきりにあたりを見回す。あれ、見えてないのかな。
「おーーーーーーい!!!」
大きな声と大きな手を振る。その強引な刺激により、レティシアはジクードの存在を認識したようだった。
しばらく経ち、合流する2人。
「おはようジクードくん。きみは目がいいんだね……」
苦笑いしながら、彼女は歩み寄ってくる。
「声もでけえからな!!」
ジクードは自信満々に答える。
それにしてもと、ジクードはレティシアの頭の先からつま先までをまじまじと見る。栗毛色の髪には、二つの大きな輪っかを描いた白いリボンが結ばれている。いつもの軍服とは打って変わった清廉さ。
普段着のレティシアさんも……美しいぜ。
「じゃあ、いこっか」
そんな思考を逸らすかのような、彼女の言葉が差し込まれる。
「はい!」
元気に返事をし、2人は並んで歩き出す。
あの日交わした約束、「わかった、考えとく」
しばらく音沙汰がなかったので、直後の自警団暴動事件のうやむやで、もう忘れ去られたものかと思っていた。
先日、食事の準備中のことだった。皿を両手に、ネクタールさんのもとへと運び、次の仕事にとりかかろうとしていた時だった。
「ジクードくん」
秀麗な声で呼ばれ、即座に返事をした。レティシアさんを見ると、手招きしている。なんだろう、と不思議に思いながらも、そちらへ寄った。
口元を隠すように、手のひらを当てている。小声で話したいということか。耳を寄せる。
至近距離。レティシアさんが近くにいる。なんか花みたいな匂いする。表情が垂れてしまう。
ほんわかとした心の隙を突き、釘のような衝撃が差し込まれた。
「この前言ってくれた、休みの日にって話。あれ3日後どうかな?」
心臓が貫かれたかのように固まり、蘇生したかのように跳ね上がった。思わず彼女のほうを見る。間近の麗しさが、困惑したように後ずさった。
ジクードは頷いた。何度も何度も、頷いた。
それからは、朝日が昇るのを数え間違えないよう気を付けた。
気がつくと、澄んだ音が耳元を流れていた。ひらひらと、目の前を緑の葉が落ちていく。
我に返り、目線を四方に動かす。水だ。水が流れている。
ん、そうか、川だ。川が流れているんだ。町にいたはずなのに、なんで川にいるのだろうか。
突如として人里離れた森の中に取り残されたような感覚に陥り、隣にレティシアさんの存在を認めてほっとする。
「レティシアさん、ここは?」
自分でもわかるほどの間の抜けた声だった。
「川だけど」
歩みを止めず、見たまんまのことを言うレティシアさん。
普通初デートって、ショッピングとか、町中でやるもんじゃないの?
そっか、レティシアさんは大人(4歳上)だから、こういう落ち着いたところのがいいのかなあ。
清澄な流れを横目に、湿った砂利を頼りに進む。お世辞にも足場がいいとは言えない。これがデートで歩く道なのだろうか。
レティシアさんの手を取ってエスコートしたいところだったが、彼女は悪路をものともせず、淡々と歩いていた。なんとか後ろをついていく。なんかおかしいよな。
しばらく歩くと、視界が開けた。
ぽっかりと、木々に囲まれた聖域が、ジクードの目の前に広がる。
外界からその姿を覆い隠さんばかりの広葉樹から、絶えず舞い降りる葉っぱたち。彼らはまるで別れを惜しむように、宙を泳ぐ。ゆるやかな清流が柔らかく受け止めると、新たな命を得たように下流へと滑る。
耳を澄ますと、胸の鼓動音を引き立たせるせせらぎ。頬を撫でるそよぎ。
自然の営みが織りなす調べに、目を閉じる。
心が洗われるようだ。ずっと求めていたものがここにあるのではないか。そう錯覚するほどに。
そうか、レティシアさんは二人でこの場所に来たかったんだ。そして――。
「よく来たな、竿は用意してあるぞ」
ん、男の声がするぞ?
慌てて目を開ける。何かいる。ごしごしと袖で瞼を擦り、よく目を凝らす。
川べりに、竿を構える背丈の高い長髪の男。知っている顔だ。
ミカヅキ副団長その人だった。
「なんでいるの?」
唖然として聞く。
「なんでって、ジクードくんが誘ってくれたんじゃない」
と、レティシアさんの言葉。うん?
「君も釣りに目覚めてくれたとは嬉しいよ。今日は大漁かもな」
うん?
「副団長とスケジュール合わせるの、難しかったんだから。でも先輩として、任せられたらやる女なんだけどね!」
おん?
つまり、レティシアさんはあの時、俺から釣りに誘われたと思って、ミカヅキ副団長に話をつけたと。
で。結果が、いま。これ。
……なんで?
邪魔者から、木の棒を押し付けられる。糸がついている。竿だ。
「突っ立っている暇はない。魚は待ってはくれないからな」
うるさいな。
「私も初めてなの。ジクードくんに誘ってもらったおかげね」
いや、それほどでも。
糸の先を見る。釘を曲げたような釣り針に、餌がついている。深くため息をつきながら、ジクードは竿を振る。乾いた節が、わずかに指腹を削る。
ぽちゃん。と間の抜けた音が、形骸化した聖域に、寂しげに広がった。




