2.未知との遭遇編 25話
約束は守るべきだということは弁えているのだが、その肝心な約束を交わしたのは、10年前のあの日以来かもしれない。
アルーシャが形見だという剣を片手に、タクトは、リリアックの王国軍宿舎の門を静かに開けようとした。だが、努力も虚しく、短く錆びついた音が耳を突く。彼は苦い顔をした。
今日のリリアックの町は賑やかだ。笑い声と、たまに怒鳴り声。絶えず聞こえてくる。そのどちらにも溶け込めない彼は、背筋を伸ばして目的地へと向かう。
風に乗り、舗装された路面を枯れ葉が滑る。擦れる乾いた音に、自然と歩調を合わせてしまっていた。
約束を守るためとはいえ、頭を下げるのは本意ではなかった。
浅く首を曲げたときには、なんでこんなことをしているのだろうという悔いと、これさえすればなんとかなるだろうという打算が、頭の中をぐるぐると渦巻いていた。
「いいよ。なら明日、うちまで来て」
快くそう返事をしてくれた。あの穏やかで芯の通った声に心底喜んだ。自分の打算が通じたことに対してだ。
先ほどまで隣を歩いていた枯れ葉は、愛想を尽かしたように飛んでいった。それでも、目的地までお供してくれたのにはお礼を言わないといけないな。
タクトは、2階建ての家屋を見上げ、託された剣を握った。
木のドアを、手の甲で2度打つ。暫く待つ。
「はーい」
中からこもった声が飛んできた。中にいないかと不安になっていたところだった。
もう暫く待つ。まだだろうか。
ドアが開く。こちら側に迫ってきた。思わず身を躱す。
「その剣ね」
そう言って手を伸ばしたのは、栗毛色の髪を白いリボンで結んだ、凛とした顔の女性。この家の主、レティシアだ。
彼女の手に、アルーシャとの約束を託す。
「そうだ、ちょっと待っててね」
音を立ててドアが閉まる。続いて、階段を上る音が聞こえてきた。
ちょっと待ってて、と言われたな。これで用事は済んでいるのだが。帰ってはいけないのか、待っててと言われたからな。なぜかその一言で、動けずにいた。
甲高い声が聞こえ、横を見る。小さな子どもが2人距離を保って、走り去っていく。追いかけられるのを楽しんでいるようだ。
あれは追いかけっこというやつか。追う側と追われる側を定め、競う遊び。聞いたことはあったが、やったことはないな。やる気もしなかったが。
階段を下りる音が響く。
ふと視線を戻すと、ドアが開いた。ひょっこりと顔を出すレティシア。髪が肩ほどまで下りている。白いリボンは外されていた。
「ごめんね、お待たせ。ちょうど私も宿舎に行くところだったから」
いつも通りの穏やかな顔で出てくる。と思えば、くるりと振り返りドアを閉めた。
彼女の背中越しに、カチャカチャと施錠する音が耳に入る。
「そうなのか」
ん、別々に向かってもよかったのでは。
宿舎へと向かう道中で、重要なことを思い出した。
「剣がない。あの剣を手放してしまったから」
タクトの言葉に、あー、と言葉を漏らすレティシア。
「クローゼ隊長に聞いてみないとだね。規則上、管理はあの人がしてるから」
そうなのか。残念だ。タクトは小さく鼻を鳴らす。
こちらを見て、彼女は続けた。
「そうだ、アルーシャちゃんの剣のことだけど、隊長には秘密にしておいてね」
苦笑いを浮かべるレティシア。その意味を咀嚼し、タクトは頷く。
恐らく怒られるのだろう。彼は規則にうるさいから。
宿舎に戻ってきた。レティシアは容赦なく門を開ける。大きく軋んだ金属が、錆と擦れ合う音。それを間近に聞かされ、タクトは一度、深く瞬きした。
「私、クローゼ隊長のところ行くけど、一緒に行く?」
そう言われ、考える。彼女と一緒なら心強いかもしれないが、朝からあの顔を見たくない気持ちも大きかった。
勝ったのは、後者だった。
「いや、後から行く」
そこで彼女とは別れた。タクトは1人、廊下を彷徨う。
クローゼとは話したくないな、誰か頼れないだろうか。
ふと、訓練所の人影が目に写った。窓に近づき、よく見てみる。黒い長髪を後ろに纏めた、長身の男。剣を振るっている。ミカヅキだ。
凛々しく風を纏う剣が、この上なく真っ直ぐに振り下ろされる。ヴァースの片腕を切り落とし、食堂の床に芸術的な傷をつけたのは、あの技術だ。高圧縮の空気を纏わせ、切断力を上げる。理屈はわかるが、どうやるのかは、理解できていなかった。
剣について聞きたいが、真剣な眼差しで鍛錬を積む彼の時間に、割って入るのは憚られる。
タクトの目は、彼の振る、見るからに上等な剣に釘付けだった。自分の腰元が空白なのを感触で再確認し、恨めしく、羨ましく、その見事な剣を見つめた。
クローゼとは話したくないなと廊下を歩いていると、香ばしい匂いとともに、食堂から鉄が軽やかに弾む音が聞こえてきた。扉が開いている。
覗いてみると、椅子に拘束された小柄な女の子が、弛んだ顔を向けていた。薄桃色の、顎あたりで切りそろえられた髪。アルーシャだ。
その小さな顔には大きすぎる丸い目が、気持ちの置き場を探し回るように動いている。暇そうだ。
もう少し奥を覗き込む。炊事場に、短いおかっぱ頭の、細長い男がいる。ネクタールだ。香ばしい匂いと音は、彼が作り出していた。
食堂に足を踏み入れる。足音に我に返るアルーシャ。それを横目に、ネクタールへと声をかける。
「すまない、ネクタール。備品に剣はないか」
おかっぱ頭は、こちらに振り向いた。口元が笑っている。
「あれ、どうしたの?折れちゃった感じ?」
相変わらず粘り気の強い声だ。聞き慣れてみると、それが頼もしくも聞こえる。
視界の隅で、アルーシャがじっとこちらを見ているのを感じていた。こちらが約束を守っているのかを、しかと確かめようとしているのだろうか。目線をそちらに向けると、彼女は、プイ、と顔を逸らした。視線をネクタールへ戻す。
「そうなんだ、見ての通り」
タクトは、何も携えていない腰元を、2人に示す。
そうだねえ、とネクタールは天井を見上げた。この真上は執務室だ。
「クローゼは忙しいそうだ」
タクトは、彼の言葉を待たず、すかさず挟み込む。
へへっ、とネクタール。
「それなら、シルバに聞いてみなよ。あいつ、武器の手入れ任されてるからさ。倉庫にいるはずだよ」
そうなのか、それはいいことを聞けた。
「すまない、邪魔した」
タクトは踵を返す。
食堂の出口へ向かう際、アルーシャが満足げな表情をしているのが見えた。
倉庫に向かう。話の通り、恰幅のいいヒゲを蓄えた男が、剣に砥石をかけていた。
「すまない、シルバ。話がある」
作業中の背中に、声をかける。
彼は手を止め、首をこちらに向けた。
「おう、タクトか。どうした」
しわがれた声で、歓迎してくれた。
「剣のことなんだが」
そう言いかけて、下が気になった。床に広げられた剣と、研磨剤、小ぶりの槌。その他手入れのためらしき小道具が散らばっていた。
タクトの視線を追ったシルバが、豪快に笑う。
「すまんな、ちっとばかし散らかっちまってる」
「武器のことに詳しいらしいな」
ちっとばかしなのかは、疑問が残る。
「ああ……」
珍しく、しょぼくれた声を出すシルバ。
「……実家が鍛冶屋でな。ガキの頃から手伝ってたもんで、手癖でな」
なるほど、ハンマーの扱いも心得ているようだ。だから床の修理も手慣れていたのか。手に職があるのに、なぜ軍にいるのだろうか。
「羨ましい限りだ」
戦うこと以外にも技能を持っている彼に対する、心から漏れ出た称賛だった。だがシルバは、素直には受け取ってくれなかった。
「そんないいもんじゃねえよ」
彼は少し、遠い目をしていた。それがどういう感情なのか、タクトには測れなかった。
ふと、シルバが我に返る。
「それで、何の用だったか」
ああ、そうだった。タクトは大事な用件を思い出す。
「剣の備品なんだが……」
クローゼとは話したくないなと、廊下を彷徨う。
シルバ曰く、剣の保管庫の鍵は、クローゼが管理していると。今手入れをしている剣はクローゼから渡されたものであり、肝心の保管庫はしっかり施錠されていると。渡してやりたいのは山々だが、勝手に渡すとクローゼ隊長に怒られると。
困ったものだ。これだから組織は。
目を上げると、廊下の奥に、見慣れた顔が見えた。
茶色いツンツン頭に、愛嬌のある丸い目。人生で一番付き合いの長い男、ジクードだ。キョロキョロとあたりを見回しながら歩いている。
声をかけるか迷い、黙っていたのだが、こちらに気づいたようだ。大きく手を振ってくる。
「おう、タクト!」
朝から声が大きい。それも相変わらずのことだった。
うるさい顔が駆け足で近づいてくる。
「レティシアさん見てねえかな?」
見てないと嘯くことはできたが、良いことを閃いた。
「先ほど会った。今は執務室にいるはずだ」
求めていた情報を得て、ジクードの顔が、より一層うるさくなった。
「そうなのか、さんきゅ」
「そこでなんだが」
走り去ろうとする彼の袖を、引き寄せるように掴んだ。怪訝そうな顔でこちらを見てくるジクード。相対するタクトの顔は真剣そのものだった。
「ついでにクローゼから、剣の保管庫の鍵を貰ってきてくれないか」
素っ頓狂な顔を向けるジクード。
「え、なんで?」
「剣がないんだ」
腰元を見せつけようとした時だった。
階段を下りてくる足音が聞こえた。周りに気を遣うような、静かな足音。レティシアではない。これは……。
見ると、階段から白髪の男が現れた。クローゼその人だ。まだ顔を見るには早いんだが。
なぜか彼は、こちらに近づいてきた。無表情。冷たい顔。仏頂面。距離が詰まるまでにありったけの悪口を並べた。
カチャリ、と金属の音。見ると、鍵だ。クローゼが鍵を差し出している。
「用が済んだらシルバにでも渡しておけ」
それだけ言い残し、去っていく隊長。タクトとジクードは、その背中を見送り、顔を見合わせた。




