1.両雄の再会編 23話
リリアックの教会前。立ち上がる土埃の匂いに混じり、鼻の奥をツンと焼くような感覚に苛まれる。息も上がってきている。いつまで耐えればいいんだ。
剣は叩き落としても、それを処理する余裕がなかった。1人を相手取る間に別の団員が拾う。武器を奪って無力化することは、今は現実的ではなかった。
我を失ったように腕を振り回している自警団所長を目の前に、タクトは暴れまわる肺を抑え込むよう、冷静を装った。
自警団暴動の報に駆けつけてから、どれほどの時間が経っただろう。言葉も通じず、まるで何かに取り憑かれているかのような動きを繰り返す彼らに、クローゼ隊は防戦に徹している。相手は善良な市民だから傷つけるなと、指示が出ている。だがそれでは消耗を強いられる一方では?
そう思い、一度、所長を試しに殴り飛ばしてみた。晴らし損ねていた怨恨をたまたま思い出したこともあった。だからなのか、綺麗に顎先に決まってしまった。所長は確かに倒れた。しかし、すぐさま起き上がって来たのだ。先ほどすれ違ったクローゼに何やら嫌味を言われた気がしたが、忙しかったのであまり聞いていなかった。
気を失わせるという荒療治は効かないらしい。彼らの意識が飛ぼうが、それと関係なく行動していると思われる。
つまり、彼らには意思がない。肉体的疲労や痛みは、今は感じていないと考えられる。
……今は、か。先ほどの嫌味の内容が、沸々と思い出されてきたかもしれない。
終わりのない戦いに、タクトは大粒の汗を垂らしながら、深くため息をつく。
「くっそお」
隣から、ジクードの声。肩で息をしている。いつものような元気が見えない。彼は長い間、自警団で世話になっていたと言っていた。かつての身内を相手にするのは、誰よりも心身ともに消耗するはずだ。
だが、彼は疲れを消し飛ばすかのように、立ち上がっている。やはり太陽だな、こいつは。あの頃から何も変わっていない。
背後の複数の足音に、振り返る。クローゼだ。彼は2人がかりの剣を相手に、難なく躱し続けている。冷ややかな表情をしているが、彼の額にも汗が浮かんでいる。あの顔が仮面ではないようで、安心したよ。
その向こうでは、レティシアが自警団員の剣を、拳で受け止めている。鉄板が仕込まれているとは言え、あれで剣を受けるには少々骨が折れそうなものだが。彼女には何か、クローゼとは別種のおどろおどろしさを感じざるを得ない。
しかし彼女にも、疲労が見える。いつもの穏やかで凛とした副隊長とは打って変わって、深く呼吸を繰り返している。
「おりゃああ!!」
「うおおお!!」
声の聞こえた先では、シルバとネクタールが背中を預け合い、彼らを取り巻く自警団員たちの剣撃を捌いていた。複数を相手取っていても、位置取りを工夫して必ず1対1に持っていく。戦場で生き抜いてきた彼らの年月が、目に見えた気がした。
タクトは、左手を胸に手を当てる。
このままでは、擦り切れて終わりだ。防戦に徹していて、未来はあるのか?
――「その魔力、軍の皆の前では決して使うな」
ミカヅキの言葉を思い出す。分かっている。そうすれば俺の生き場は無くなる。だが、それでは……。
「いっつ……」
ジクードの小さな声を、聞き逃さなかった。左二の腕、隊服の袖に切れ目が入り、血が滲んでいる。団員の剣が、かすったのだ。大怪我ではない。だが。
「あぶねえ!」
遠くからシルバの声。膝をついたネクタールの背中にめがけて振られた剣を、彼の剣が弾いている。急いで体勢を立て直したネクタールが謝意を述べる。この防戦で、集中が切れてきたに違いない。
隊長、副隊長の2人も、隙を見せこそしないが、余裕はない。
ミカヅキの言葉が、呪いのように反芻される。
目の前には所長が、いつの間にか拾ったのか、剣を片手にこちらへ迫ってきている。
俺の風魔力は、威力不足だ。それは今までの経験で嫌というほど思い知らされた。だがそれは、今の状況ならば役立つはずだ。
傷を庇いながらも立ち向かうジクードを一瞥する。左手に力を込める。
覚悟を決めた、その時だった。
眼前まで迫っていた所長が、一瞬、禍々しい光を放った。そして、倒れ込む。
何が起こった?左手に込めていた力を解く。目の前の所長はピクリとも動かない。ゆっくりと近づき、鞘で肩を突いてみる。反応はない。
暫し見つめる。
「うーん?」
突然聞こえてきた声に、身構える。忘れもしない、憎き所長の声だ。
頭をさすりながら、所長が立ち上がる。身構えながら、それを、見守る。
先ほどまでとは明らかに様子が違った。その目は虚ろではない。真っすぐとこちらを見ている。
「あれ、タクトさん?ここは……」
キョロキョロとあたりを見回している。どうやら、正気に戻っているようだ。確認のため、タクトも周囲を見回した。
他の自警団員たちも、呆けた顔をしている。状況が読み込めないかのような、そんな所作。所長と同じだ。皆、意識を取り戻している。
「うおおおお、みんなあ!!!」
バカでかい声で、ジクードが喚いている。自警団員たちは、わけの分からない状況に、わけの分からないジクードの泣き顔を見せられ、一層困惑していた。
「なんか、すごく頭が痛いな……」
目の前に立つ所長が、両手で頭を押さえている。
それについては、本当にすまない。
◇
ゆっくりと、サナキアを詰めてくる。
アルーシャは、クローゼ隊の面々との食事を思い出していた。捕虜である自分も輪に加えてくれた。みんなで食事するなんていつぶりだったろうか。
彼女の中で渦巻いていた期待と不安が、加速する。そうか、なんで不安だったのか、わかった。
青白い、サナキアの手が、焦りを見せずに緩やかに伸びてくる。
「わたしは……!」
思わずそう口に出した時だった。
一瞬の出来事で、理解が追いつかなかった。何かが、彼女の目の前を通り過ぎた。その余波らしき風が、アルーシャの前髪を揺らした。目を瞑る間もない突然の出来事に、アルーシャの視界がぼやけた。
一度目を閉じ、開く。目の前のサナキアは、反射的に後ろに飛び退いていてそれを躱していたようだ。彼は、笑顔を右に向けた。
それに倣って、アルーシャも左を向く。そこに、見慣れた長髪の男が立っていた。
「仕留め損ねたか。……何者だ?」
ミカヅキだ。彼が、二人の間に剣を振り下ろしたのだ。さっきまでいなかったのに、なんで?
下を見ると、床に綺麗な切れ込みができている。これはさっきの斬撃の影響らしい。
「おやおや、とんだ伏兵がいたもんだ」
サナキアは不敵に笑う。
「拠点防衛は基本だからな。特に捕虜がいる時は」
再度、ミカヅキは剣を構える。彼の片足は、テーブルの下に入り込んでいる。そうか、下に隠れていたんだ。全然気づかなかった。……なんでそんなことを?
「まあそうだよね、そう甘くはないか」
青白い笑顔を浮かべたまま、サナキアは様子を伺っているようだ。彼は着ている上衣の内側に左手を突っ込んでいる。何やら、もぞもぞと手を動かしているようだ。
怪しげな動きに、ミカヅキも様子を見ながら、間合いを詰めようとしている様子。
サナキアは諦めたように、上衣から手を抜いた。はっ、と吐息混じりに笑う。
「じゃあね、また来るよ」
そう言い残し、彼は目にも留まらぬ速さで、扉から逃亡した。後片付けのように、バタンと扉が閉まる。
捕虜がいる手前だからか、ミカヅキは後を追うことはしなかった。冷静に、剣を鞘に納める。
サナキアは去った。その事実に対し、なぜだかわからない、わからないけど、涙が溢れそうになってきた。
「あの、あたし……」
「今は何も言わなくていい。ただ」
情けない声を出すあたしを、彼は制した。穏やかな、包み込むような声だ。
……ただ?なんだろう?
ミカヅキの視線は、下に向いていた。
「床の件は、君が証人になってくれ」
アルーシャも下を見る。2人で、綺麗に入った刀傷を見つめた。
◇
表の喧騒が、静まった。もしかして収まったのかしら。神父様の制止する言葉を押し切り、扉の鍵を開け、取っ手に手をかける。
ゆっくりと、教会の扉を押し、僅かな隙間を開ける。その隙間から、ステラは外の景色を覗いた。
暴れているような人は見受けられない。噂では、自警団の方々が、突然我を忘れたように武器を振るっていたと聞いていた。確かに自警団の制服が見える。ただ、彼らは不思議そうな顔で、泣きつく軍人の頭を撫でたり、白髪の目つきの悪い軍人と話をしたりしている。
その周囲をよく見る。無事そうな自警団員たちに比べて、目に見えてボロボロな王国軍人たち。
タクトの姿が見えた。彼は疲れ果てたように座り込んでいる。
先ほどまで響いていた騒音といい、ここでなにかがあったのは明白だった。
察するに彼らは、身を挺して、暴れる自警団員たちを無傷で止めたようだ。
「誰も傷つけないで、争いを止めたの……?」
思わず声を漏らし、ステラは座り込んで動かないタクトをまじまじと見る。
――「これ以外何もできないからだ。これ以外に生きる方法は、俺にはない」
彼の言葉を思い出す。その言葉の意味を、いま、見せつけられている気がした。
リリアックを離れ、夜の森の中を走り抜けるサナキア。
青白い笑みは、一層角度を上げて笑う。
とりあえず目的の第一段階は完了した。これは敗走ではない。今後のための布石なのだ。
次の策のために、彼は闇の中へと消えていった。




