1.両雄の再会編 20話
手元にあった書類仕事は、一段落した。あとはもう僅か残すのみ。薄くなった紙の束をぱらぱらとめくる。うむ、期限に猶予のあるものしか残っていない。
クローゼは執務室の扉を開け、吹き溜まりのようなぬるい渦巻きを入れ替えた。空気が澄んできた。どうやらもう空は赤く染まっているようだ。
ここ最近の事件続きで滞っていた仕事は片付いた。ほかの隊長たちはどう捌いているのだろうか。聞きたいところだが、生憎、そう仲良く話せる隊長は、心当たりがなかった。
空腹感を覚える。昨晩はネクタールが夜警に入っていたはずだ。だから今は寝ているかもしれない。シルバはジクードと見回り警備に入っており、タクトは非番。ミカヅキ副団長に頼むわけにはいかない。レティシアは……うむ。
……まさか、私が作るのか?
目を瞑り、深く息を吐いた。
廊下を進み、ゆっくりと、階段を踏みしめるように降りる。どうやら調理中の匂いは漂ってこない。恨めしそうに、廊下の奥に佇む食堂を睨む。その手前には休憩室がある。
ん、とクローゼは声を漏らす。
他の仕事に手間取られて頭の片隅に置いてしまっていた。
捕虜の件を確認しなければ。早めに敵の情報をあぶりださなければならない。
本来であれば地下牢にでも入れておきたいところだが、リリアックの宿舎にそんな設備はなかった。
「かわいそうだからここに置いておきましょう」という、レティシアの言葉のまま、捕虜の件は彼女に任せきっていた。魔力を使用したという報告はない。身体検査でもそれらしき形跡は見つからなかったという。イルカイザの構成員は漏れなく魔導士と聞いていたが。疑問が残る。
現状、報告に上がっている限り、尋問の成果は捕虜の名前の聴取くらいのものだ。
……いかんな、そろそろ本腰を入れなければ、私の立場が危うい。
倉庫からロープと小刀を拝借し、クローゼは休憩室の前に現れた。扉は開け放たれている。
音を立てぬように中を覗き、眉をひそめた。
捕虜のアルーシャは、椅子に手足を縛り付けられたまま、水の入った深皿に顔を押し当てられていた。隣で彼女の頭を押し当て、微笑んでいるレティシア。
「喉乾いてると話せないでしょ、いっぱい飲みなさいね」
深皿からはぶくぶくと音を立てて水が流れ出しており、床を濡らしている。
ほう、水攻めか。やることはやっているようだな。だが、それでも口を割らないというのであれば、これを持ってきた甲斐があるというもの。
水攻めから解放されたアルーシャは、「ぷふぁ!」と声を上げて息を吸い込む。息を荒くしながら、その小さな顔に不釣り合いなほどの大きな目を見開いている。顔から水が激しく滴り落ちる。そんな彼女の頭を撫でながら、レティシアは満足そうに微笑む。
「あらあら、こんなに溢して。後で拭いてあげるからね」
そう言って顔を上げた矢先、こちらに気づいた。
「お疲れ様です、クローゼ隊長」
立ち上がり、礼をするレティシア。
一度だけ頷き、クローゼは室内へと足を踏み入れる。
「どうだ、何か吐いたか」
水のしみ込んだ木の床を見つめながら、クローゼは確認する。
レティシアは首を横に振る。
「いえ、名前以外は何も教えてくれず。あ、牛肉のシチューが好きだと」
「……そうか」
それならば仕方あるまい。正直、尋問を行うのは初めてだが、これも経験だ。思いつく限り最大のことを行おう。
「これで合っているはずだ」
訓練では学んだが、実践は初だった。グッと結び目を固くする。抵抗はされなかった。
ロープを口から頭を何周にも巻き、猿ぐつわのように締め付けられたアルーシャ。
「むー」
まともな声は出せないようだ。教本で確認した成果が出たようだ。
「さすがです隊長」
一歩引いた位置で、レティシアが苦笑いしながら小さく拍手する。
だが、これだけでは尋問にならない。肝心なのは恐怖だ。痛みを受けるくらいならば情報を吐いたほうがマシだと、頭に刷り込む必要がある。
クローゼは小刀を手に持つ。ふっ、と、気づかれないように小さく息を吐く。
刃が視界に入るように、アルーシャの頬に向ける。
「早く吐けば楽になるぞ。まずは小指からいくか?」
冷たい眼差しを向けながら、揺れるように小刀を見せつける。よく研がれた鏡のような刀身が、死を予兆するかのように美しく光を放つ。
「うーーーうーーーー」
アルーシャは目をぱちくりさせながら、声を漏らす。
「怖いです隊長」
後ろのレティシアが半笑いで言う。
だが、これでは足りないかもしれない。切っ先の鋭利さがよく見えるように、瞳に突き立てんばかりの角度に据える。
「うーーーー!うーーーーー!」
体全体で椅子を揺らしながらも、口を塞がれ喚くことしかできないアルーシャ。
声が大きくなってきたな。さあ吐け、そうすれば楽になる。
「というか、口塞いでたら話せるものも話せないですよ」
冷静な、レティシアの声。
そうか、とクローゼは納得する。勿体なさげに、アルーシャの口に巻いたロープを切り落とす。
「痛い!」
喚くアルーシャ。体に刃は当たっていないはずだが。
「こんなことして、ただで済むと思うなよ!」
目を赤く腫らし、上目がちに訴えてくる。
ほう。
クローゼは小刀を再度持ち直す。
「どうなるんだろうな?」
刃先を見せつけながら、低い声で脅す。
「ひいいいい!!!」
涙を落としながら叫ぶアルーシャ。落ちた雫が、床に染み込んでいく。
「うーん、埒が明かないわね……」
背後から思案するようなレティシアの声が聞こえる。お前で埒が明かなかったからこうしているのだろうが。
そのとき、ドタバタと宿舎を揺らすような足音が聞こえてきた。
「わっすれもーん!!!」
ジクードがドアを開け入ってくる。
レティシアを見るなり、「アッ、レティシアサンジャナイデスカ、グウゼンダナア」と、棒読み。それに対しレティシアは愛想笑いでひらひらと手を振る。
……休憩室に忘れ物?
部屋にある棚に向かうなり、「あれ、ないなー」、「おっかしいなー」などとぶつぶつと呟きながら、わざとらしく探し物をしている。
レティシアを見る。彼女も口角だけ上げながら、彼の芝居を見つめていた。目は笑っていないようだ。
「あっ」
その時、彼女は、思いついたように手を叩いた。
「や、ややややめて、あ゛ええええ」
ビリビリと、アルーシャの体を絶え間ない電流が流れ続ける。
「こんぐらいかなあ」
ジクードがアルーシャの肩に触れ、低圧電流を流し続けている。
「拷問と言えばやっぱりこれじゃない?」
腰に手を当て、胸を張るレティシア。
本当の鬼かこいつ。クローゼは黙ってうなずく。
休憩室へ近づく足音に気が付き、出入り口を見る。
竿とバケツを抱えたミカヅキとタクトが入ってきた。
タクト?今日は非番だったはず。なぜミカヅキ副団長と。
「その様子では、まだ口を割っていないみたいだな」
2本の竿を、壁に立てかけるミカヅキ副団長。
背後ではタクトが重たげなバケツを持って、そそくさと休憩室を出て行った。それを見送り、クローゼはミカヅキ副団長へと目線を戻す。
「申し訳ございません」
上官に対し自身の失態を詫びるため、クローゼは頭を下げる。
不思議そうな表情を浮かべながらミカヅキはクローゼを一瞥し、そして痺れているアルーシャを見る。
「雷魔力の応用か。なかなかいい調整能力だ。いい隊員を持ったな」
その言葉に、親しげにジクードは片手を上げる。
「もっと強くね」
飛んできたレティシアの声に、慌てて上げていた手を戻す。
「しかし、口を割らず」
再度、クローゼは深々と頭を下げる。ミカヅキ副団長は、口元を緩ませる。
「いいさ、食事にしよう」
ぽん、とクローゼの肩に手を置く。ぴくりと、体が小さく揺れる。
そして、副団長は奥へと視線を移した。
「君もな」
痺れ終わり、気を失いかけているアルーシャにも穏やかな声をかけた。
◇
タクトは、バケツを炊事場へと運んだ。魚と水で溢れそうなバケツを置く。
今日は豊漁だったようだ。バケツいっぱいの魚を見たミカヅキが、心なしか微笑んでいたようにも見えなくもなかった。
たしかに、釣りという行為によって、頭が整理された気がする。今まで頭の中で渦巻いていた懸念や迷いが、僅かな間だが、薄れた気がした。
あとはこれをどう活かすか。それがミカヅキの言いたいことなのかもしれない。




