1.両雄の再会編 18話
気がつけばもう空が赤く焼けていた。この時期の夕暮れは短い。仕事は終わったし、戻ろう。タクトは足早に、リリアックの町を歩いた。
宿舎に着いた頃には、もう暗くなろうとしていた。張り詰めた空気が頬を刺す。宿舎の明かりの中へ、帰還する。
とりあえず会議室に顔を出す。中には1人。
ジクードらしき頭が、テーブルに突っ伏しているのが見えた。木製の天板の色が、彼の頭を中心に濃い色へ変化している。
足音を立てないように、会議室を後にした。
廊下を歩くと、お腹の空く香りが漂ってきた。食堂からだろう。誰かいるらしい。
食堂に入る。そこに付属された台所に、短いおかっぱ頭が見えた。ネクタールが鍋に魚を突っ込んでいる。こちらの存在に気づき、彼は振り返って見た。
「やあ、タクトか。報告ならクローゼ隊長かレティシア副隊長にしないといけないんだけど」
変わらず粘度のある声。タクトは迷わず応えた。
「副隊長の居場所はわかるか」
「だよね」
にやりと笑うネクタール。彼は壁の向こうを指さした。
「こっち側に休憩室がある。隣の部屋だ、行ってみな」
休憩室か、そんな部屋があったのか。ロンは食堂か訓練所しか連れて行かなかったな。そういえば彼とは入隊以降、顔を合わせていない。特別補佐という役割からか、あちこち忙しく飛び回っているようだ。俺たちは卒業したということなのだろうか。
目的の部屋にたどり着く。木の扉に、『休憩室』と書いてある。至極わかりやすい。
中から微かに声が聞こえる。女性の声だ。
扉を軽く、ノックする。礼儀くらい弁えている。
「どうぞー」
扉の向こうからレティシアの声が返ってきた。安心して、扉を開ける。
そこは小さな部屋だった。小さな机が1つと、椅子がいくつか、雑多に配置されている。休憩室というよりは、団欒部屋のようだ。
そんなことより、今は気になることがあった。
レティシアは部屋の奥に立っている。その隣で、小柄な女性が椅子に拘束されている。
薄桃色の、顎の高さで切りそろえられた短い髪。小動物のような小さな顔が、不機嫌そうに歪んでいる。その顔には見覚えがあった。リリアックの戦闘で制圧した、イルカイザの構成員だ。
そちらを気にしながら、部屋の奥へと進む。
「タクトくん、お疲れ様。……あ、これは気にしないで」
気にしないのは無理があるだろう。
背もたれに手錠で縛られた後ろ手。両足とも、縄で固定されている。
見るからにご機嫌斜めなお顔には、ある種同情する。きっかけを作ったのは自分だが。
気を取り直し、レティシアへ紙を差し出す。
「今日の任務の報告に来た」
レティシアは困ったように笑顔を浮かべた。
「あら、そうなの。ごめんなさい、今この状況だから……クローゼ隊長は2階の執務室にいるから、行ってもらえる?」
そうか、忙しいのか。残念だ。本当に。
ちらりと、捕虜を見る。向こうはこちらに目も合わさない。
「……やっぱり気になるよね」
「こういう光景は初めて見る」
素直に答える。
レティシアは、捕虜の頭のうえに手を乗せた。
「ほら、挨拶しなさいアルーシャちゃん」
力ずくで、彼女の頭を下げさせる。「うー」とうめき声が漏れる。屈服しまいと首に力を入れているようだ。だが、レティシアは拳で戦う戦士だ。アルーシャの抵抗虚しく、徐々に角度の下がる首。それが礼の角度になったとき、レティシアは満足げな表情を浮かべた。
段々と、ここにいるほうが恐ろしく感じてきた。クローゼのところに行ったほうがマシかもしれない。
「よろしく頼む。では、失礼する」
早口で挨拶を済ませ、タクトは休憩室を後にした。
2階の執務室。ここだ。一息ついて、タクトは扉をノックする。
「どうぞ」
相変わらず冷たい響きの声だ。親の顔が見てみたいものだ。
「失礼する」
扉を開ける。
こじんまりとした、書類仕事のための部屋。事務机が真ん中に置かれ、出入り口と向き合うように椅子が配置されている。羽ペンを片手にクローゼが座っていた。傍らには紙の束が重なっている。
中へ進む。滞留した煙のようなざらついた空気が、部屋に充満している。直感が、ここにもあまり居たくはないと告げていた。
「今日の任務報告だ」
紙を差し出す。
「ん」
こちらを見もせずに、紙を受け取る。ねぎらいの言葉もない。
用事は済んだ、とっとと出よう。そう思い背を向けた時だった。
「魔力があるというのは、どんな気分なんだ?」
平坦な、何の飾りもない言葉。振り返る。クローゼは書類を見つめている。
世間話でもしたいのだろうか。それとも本当に気になるのだろうか。しかし、質問の意図がよくわからない。
「どんな気分?」
質問が下手だな、と言いたいところを我慢する。
彼の座っている椅子が、ギッと音を鳴らす。
「魔道士の部下がいたのだが、かなりの自信家でな。魔力を持っていることに誇りを持っていたんだ。死んだがな」
少し間が空く。どうやら話し終えたらしい。
「わからないな」
正直に応えた。質問の意図も、魔道士であることの気持ちもよく分からない。備わっているものだからだ。
「そうか」
短く、それだけ。興味ないなら聞くなよ。
そこへ、ドタバタと重たい足音が聞こえてきた。
ノックする間もなく、扉が音を立てて開く。
「隊長!大変です!」
入ってきたのは、シルバだった。ヒゲを揺らしながら、大声が鳴り響く。
何事かも聞かずに、クローゼは席を立ち上がった。部屋を出ながら、シルバの伝令を聞いているようだ。
任務かもしれない。タクトもそれに続いた。
夜の町を行軍する。眼前に広がる森は、不気味に静まりかえっていた。
クローゼ隊の4人は、なるべく音を立てないように進む。レティシアは宿舎で捕虜についており、ジクードは変わらず机と一体化していたから置いてきた。これは全て隊長判断だった。
「そこで間違いないな」
クローゼが小声で、シルバに尋ねる。
シルバは、小さく首肯する。
「そのあたりのはずです。狼たちが彷徨いていると」
手短に聞いた話だが、森とリリアックの境目で、異様な様子の狼たちが出現したという、住民の目撃情報があったようだ。この森の狼たちは、普段はこんな町近くには現れないのだそう。肥えた森だから、わざわざ人里に下りる利点もないようだ。
その状況を、クローゼは緊急事態と踏み、こうして出現したわけだ。
獣退治など、普通は狩人の領分だ。それに軍まで関与したなら、商売上がったりのはずだ。やはり辞めてよかったのかもしれないなと、タクトは安心感を得ていた。
「いますね」
ネクタールの小声。彼が指さす方に、たしかに狼の群れが見えた。異様な様子の狼たち。その姿を見て、意味がわかった。
「……本当だったんだな」
珍しくクローゼが焦って見える。
視線の先の狼たちは、二足歩行でうろついていたのだ。しかもその前足には、剣が握られている。タクトも、そんな狼は見たことがなかった。
「目標は4匹。各個撃破だ。油断するなよ」
クローゼの指示を受け、隊員3名が突撃する。
1匹の狼はこちらへと気がついたようで、遠吠えをした。
残りの狼たちも、こちらを見る。
囲まれる前に討たねば。タクトは走る速度を上げ、切り込む。
「お、やる気だねえ」
粘り気のある声が背後から飛んでくる。
こちらから見て左端の1匹。他の狼と少し距離が空いている。叩くならそちらからだと判断する。
一気に距離を詰め、その勢いのまま剣を横薙ぎ。これで打倒できるとなれば、気持ちとしては楽になる。
だが、その期待は裏切られた。
タクトの振りかざした剣が、狼の持つ剣に受け止められていた。牙を剥き、心なしか勝ち誇ったような表情をしている。
舌打ちをしながら、握る手に力を込める。鍔に迫り合っていた剣ごと、狼の体を弾いた。
狼は、すぐに体勢を立て直す。剣を振り切ったタクトに対し、攻め時だと言わんばかりに、剣先を向け、突いてくる。意外と知能はあるようだ。だが、甘い。
突きに対し、柄頭を横から当てる。軸をずらされる狼。
タクトはそのまま肘を伸ばし、防御の空いた脇腹へと、剣を滑り込ませる。
確かな手応えと共に、狼から血が噴き出す。剣を落とし、血溜まりに伏せる狼。
残りの敵は、と見ると、3人が連携し、狼たちを圧倒していた。既に2匹が倒れている。
最後の狼の背後からシルバが斬撃を繰り出したことで、決着がついた。
◆
戦いながらも、クローゼはタクトの戦い方を横目で観察していた。
間違いなく、最初に出会った時よりも冷静な立ち回りをしている。ロン特別補佐の修行の賜物だろうか。いや、それよりも、何か根本的な意識の違いがあると思われる。
彼の成長曲線は著しい。どうやら書類仕事にかまけているわけにもいかないかもしれない。
そんなことを考えている背後で、茂みが揺れた。
鋭く振り返り、視線を送る。何もいない。別の獣か?
警戒しながらも、倒れている狼たちのもとへと歩を進める。どうやら握っていた剣は、一般的に流通している、何の変哲もない剣。参考にならないな。このあと、異常行動の原因も探らねばならない。
目撃情報を寄せた住民についても、確認しなければ。その人物がなぜ、こんな夜更けに、森の方を見ていたのか。
やるべきことが積もっていく。誰にも気づかれないように、鼻から息を抜いた。




