1.両雄の再会編 10話
木刀を握る手が濡れている。それを振るだけの握力も、もう残されていない。王国軍リリアック宿舎。涼やかな風が吹いているというのに、タクトは大粒の汗を流していた。
向かい合うジクードも同じく、息を荒く木刀を構えている。
「まだまだ終わんねえぞ。追い込んでからが本番だからなあ」
鬼教官ロンの声が聞こえる。同じことをもう3回言われているのだが、とっくに追い込まれているのではないだろうか。
イルカイザの拠点での戦闘から4日が経つ。まだ傷は完全には癒えていない。だが、倍鍛えるというロンの言葉通り、彼の剣術指導は加速していた。
だが、戦いを食い扶持とするタクトには、内心ありがたい話ではあった。それに、ロンは魔力を扱えないので、それにまつわる指導はない。剣術をとことん叩き込まれることもあるが、魔力を使わない点が、タクトにとってこれ以上ないメリットであった。
2人が、木刀で打ち合う。正面から鍔迫り合い。汗だくの顔が、近くに接近する。ジクードの目は、汗なのかなんなのか、輝いているように見える。
あの戦いで変わったのは、タクトだけではなかった。以前までは嫌々ながら特訓に参加していたジクードだったが、まるで人が変わったようだ。何があったのかは聞いていないが、きっと敗戦から思うところがあったのだろう。
とはいえ、剣は性に合っていないように見えた。彼はこれまで魔力を中心に立ち回ってきたようだし、まさしく腰の剣はお飾りだった。この特訓で否応なしに剣を握っているが、なんだかやりにくそうには感じる。
隙をつき、彼の木刀をいなす。体勢を崩す。そこだ。
ジクードの胸元に、木刀を突きつける。彼は大の字に倒れこんだ。
「また負けたあ」
威勢は十二分のようだ。だが、剣術勝負ではタクトに分があることに変わりはなかった。そのことはロンもわかっているとは思うが、「剣で基礎を磨け」としか言わなかった。
その鬼教官が近づいてきた。
「勝負にならんな、これじゃあ。クローゼに相手するよう頼んだが、あいつ断りよるし」
ロンは困ったように言う。あの男ならそうだろうな。
しょうがないな。とタクトを見てくる。なんだろうか。
「私に打ち込んでこい。いまの実力を見てやる」
今から?散々やって疲れてるのに?そう言いたかったが、抵抗はできなかった。
訓練所の倉庫へ向かうロン。その背中をじっと見る。
「あの時以来だよな、ロンさんと模擬戦やるの」
地面に仰向けで倒れたまま、ジクードが言う。
最初にこの宿舎に来た時以来だ。あの時の彼は手ぶらだった。それでも手も足も出なかったが。倉庫に向かったということは、だ。
「ああ、今度は本格的に指導いただけるらしいな」
木刀を持ったロンが戻ってくる。彼本来の剣ではないとはいえ、剣を振るう姿を見るのは初めてになる。流石に剣を持つと、普段の姿とは打って変わったように見えた。
準備運動にと軽く剣を振るロン。それですら、全く自分と太刀筋が違う。一切のブレなく、力みなく振り下ろされる木刀。それが残像で扇のように見える。まるで芸術品であった。
これと模擬戦やるのか?生きて帰れるか?タクトの脳裏によぎる声。
「じゃあやんぞ、どんどん打ち込んでこい」
やるしかないか。木刀を握りしめる。
打ち込んでこいと言うが、全く隙を見せない。それでも破ってみろということなのだろうか。タクトは木刀を振り上げ、果敢に挑む。
一発、打ち込む。だが、手応えがない。まるで干した布団を叩いたような感覚だ。衝撃が吸収されている?使っているのは同じ木刀のはずだ、どういうことだ。
再度、斬り込む。同じだ。跳ね返りがないせいで、次の攻撃へと繋げづらい。彼は力押しで防御しているのではなく、かち合う一瞬の間に相手の勢いを殺しているのだ。参ったな、レベルの差が浮き彫りだ。
「どうした?そんなもんか?」
挑発するような笑みを浮かべるロン。そこまで言うならやってやるよ。
突きを繰り出す。これならあの防御はできないはずだ。
それを読んでいたかのように、ロンは剣先を振る。一瞬の衝撃。突き出された木刀が、その行き先を変えた。勢いのあまり、ロンの真横へと突き進んでしまう。
「まだまだ甘いなあ」
脇腹への衝撃。ロンの木刀の柄頭が、食い込んでいた。
全身を稲妻のような痛みが走り回り、タクトは膝をついた。
「おおう、大丈夫かよ」
心配そうなジクードが立ち上がり、歩み寄ってくる。大丈夫じゃない、とても痛い。
「まだまだだが、だいぶマシにはなってきたな。相手の実力を測る感覚は養われてる」
痛みを堪え、ロンを見上げる。彼の顔は憎たらしく笑っていた。
「ま、本気出しちゃいないがな」
全く底が見えない。目指すべき山の頂上が、霞がかったように見通せなかった。
特訓が続いた、その3日後のことだった。
「ちょっと2、3日留守にするから。修行さぼんなよ」
ロンが2人に伝える。総司令からの任務で、単独で北へ向かうという。彼は荷物と剣を持って、宿舎を出ていった。
2人は顔を見合わせる。この1週間の修行続きで、体力は底を尽きていた。嬉しさと迷いが混じったような表情で、同時に頷く。
翌日、訓練所にて、剣を振る2人の姿があった。
さぼるなと言われたこともある。だが、それ以上に、タクトは自身の無力さを思い知ったからだ。ジクードも彼なりに汗を流している。2人の間には真剣な空気感が流れていた。
そこへ、柔らかな風が吹いた。
「今日も頑張ってるんだね」
女性の声だ。振り返ると、クローゼ隊のレティシアがこちらへ歩いてきていた。
「おはようございます、レティシアさん」
ハキハキと挨拶をするジクード。小さく会釈をするタクト。
その温度差を感じたレティシアは苦笑いを浮かべた。
「ロンさん、いないんだってね。六席が出たみたいで」
そうだったのか、知らなかった。何も言わずに向かったのは、矜持か単なるカッコつけなのか。
「え、知らなかったです。なんも言わねえんだからあの人」
ジクードは頭を掻きながら笑う。なんだろうかこの違和感は。
その時、クローゼ隊の隊員が走ってきた。
「副隊長!町に敵襲です!」
タクトとジクードは驚く。それをよそ目に、レティシアは動き出す。
「了解です、クローゼ隊長は?」
「既に向かっておられます」
テキパキと準備をし、隊員と共に外へと走るレティシア。その背中を、2人は呆然と見送った。
「どうするよ?」
ジクードがこちらを見る。
どうする、とは。行くということか?
タクトたちは、下請けの身だ。正式に軍所属になったわけではない。これに出撃して報酬が出るとも限らない。指示が出されていないからだ。
痺れを切らしたのか、ジクードは走り出す。
「俺はこの町に恩があるんだ!行ってくる!」
1人になった。静けさを感じる。
そう思った瞬間、町の方から騒ぎ声と、何かが弾けるような音が聞こえてくる。
向かうと言っても武器がない。武器がないのに向かっても意味がないだろう。勝手に借りていくと、あの白髪隊長にまた白い目で見られかねないし。
タクトは思いついた。これは好機だと。
早速、宿舎を発った。
リリアックの町には、火の手が上がっていた。徐々に大きくなる喧騒。普段はそれほど人通りも多くはないのに、この人混みは一体どこから来たのだろうか。
逃げ惑う人々の流れに逆らい、タクトは戦場へと走る。
近道をしようと路地裏を抜ける。その角に差し掛かる。タクトは壁に背を向け、表の様子を見る。
剣を持った女が、まさに町民に剣を振りかざそうとしていた。恐らくイルカイザだ。周りに敵がいないことを瞬時に確認する。
トドメを刺す瞬間が一番油断するらしい。タクトは走り出し、イルカイザ構成員へと向かった。
接近するタクトに気づいた構成員は、こちらへ身構える。一歩遅かったか。だがそれでもいい。
構えを見た限り、大したことはない。恐らく下位悪魔だ。試すにはちょうどいい。
振りかざされる剣を、半身に構えて躱す。敵の縦振りは空を切る。続けてその勢いで横振りしてくる。
タクトは上半身を反らし、それを避ける。その目は、敵の剣の持ち手を捉えていた。
身体をそらした勢いで、蹴り上げる。敵は剣を取り落とした。
重たい音を立てながら着地する剣。武器を失った敵は焦る。
その隙に間合いを詰め、腹部へと掌底を叩き込む。敵が崩れ落ちるのを確認し、タクトは剣を拾う。
タクトがここに来た理由は2つ。1つは修行の中で掴みかけていた、ロンの動きを再現すること。もう1つが、武器の回収。
さて、こいつをどうしようかと考えていると、見慣れた白髪が走ってきた。
「協力ご苦労。もう充分だ」
そう言いながら、クローゼはその構成員を拘束し始める。捕虜ということなのだろう。
一応知っている中とは言え、その二言で片付けられるのはタクトとしては少し不服だった。
「そいつの鞘を寄越せ」
そう言うと、捕虜となった構成員の背中から、貰った剣の片割れである鞘をひったくる。
クローゼはその様子を無言で見ていた。
そして、タクトがその仕事を終えると、何も言わずに捕虜を連れてその場を去った。
もう少しくらい愛想良くてもいいのでは?
クローゼは捕虜を連行、部下へと引き渡した。
急いで戦場に戻らねば。被害は少しでも抑えたい。その気持ちと他に、内心揺らいでいるものがあった。
先ほどのタクトの動きだ。あの時、何かあれば加勢が必要だと判断し向かっていた。あのタクトという男、恐らく下位悪魔レベルとは言え、武器も魔力も無しで制圧した。以前の彼とは考えられないほどの成長だ。ロン元団長の賜物か?それにしても。
否が応でも、タクトを意識し始めていた。




