訝しがる二人
「ええ……あの方も、確かに私でしたのよ」
その声は、紅茶の薄い琥珀色よりも淡く、どこか遠い記憶に溶けていくような儚い声であった。
かつて戦場に咆哮を響かせた“戦車熊”の影はもうどこにもなく、ただこの世界で、優雅に茶を淹れる少女だけが残っていた。
イ兎は言葉を失い、胸の奥に、説明のできない寂しさが広がっていくのを感じていた。イ兎――エリーアス=フォン=ヒルベルトは一度だけ手合わせしたことがある。
陸軍での行軍練習。その時装甲師団と一緒の訓練であった。余興からそれぞれの部隊から白兵戦の手練れが選抜され、簡単な格闘試合が始まったのである。
エリーアスは殺さぬように手を抜いて歩兵部隊の代表を勝ち抜いていく。戦闘機乗りにここまでやられては、本来白兵戦がメインの陸軍兵のメンツが立たない。そこで出てきたのが当時大佐であったブラウトガルム=シュヴァルツアイゼンだった。
佐官でありながら前線勤務を好み、機甲兵出身でありながら特殊部隊相手に格闘技で勝利する。上官からの覚えもよく、部下からの信頼も厚い。
普段は全く無口だが、戦場ではバーサーカーの如き鬼神と化すともっぱらの噂であった。
こういうモンスター系のでかぶつにありがちな、パワープレイだけが売りのゴリラではない。
動きは素早く、そして正確であった。
何度も関節技をかわされ、最終的にエリーアスは降参する。
そうしなければ間違いなく殺されていたはずだった。
いや、模擬戦でそこまでするはずはないのだが、これ以上本気で戦えば命の取り合いになることは目に見えていた。
そのことに気づいてか、ブラウトガルム=シュヴァルツアイゼン准将はホッとした目でエリーアスを見つめていた。
霞桜がじっとイ兎を見つめる。紫の瞳。一片のやましさもない透明な目である。
「これが帝国の『戦車熊』――」
ただただ、エリーアスは驚くばかりである。
ちがうだろ、それ。とイ兎は思い出に突っ込みを入れる。
目の前の少女はか弱く、そしてはかなそうだ。霞桜の指先。まるでガラス細工のように細い。ため息一つで折れてしまいそうだった。
(霞桜さん一人でシュヴァルツアイゼン准将の親指くらいのスケールなんだけど......)
イ兎自身も異世界とこの世界の少女の姿のギャップに結構迷った方である。なぜか憂衣那に関してはあまり違和感を感じなかったのだが――
しかし、これは極めつけだ――人を食らうヒグマが、手のひらサイズのウサギになったようなものである。じぶんならとてもではないが耐えられることではない。
「人間は外見で判断するものではないですよ。ブラウトガルム=シュヴァルツアイゼン准将はとても繊細な心の持ち主でした。立場上、まるで屈強な将軍を演じておられましたが、本質はこちらの方が近いと思います」
ゆさかのことばに霞桜はすこし恥ずかしがる。
それが、イ兎にはまたむず痒く感じられた。
「それを言ったらあなた方も、なかなか本質が現われていると思いますよ――なればこそ、この世界で本当に自分らしく生きたいとは思いませんか――平和にそしてゆったりと――」
ゆさかは危惧していたのだ。この世界で異世界の『マシーネンフュルスト』の能力に目覚めた転生者が、波風を立てることに。
「われわれは同志です。あの力が無制限に解放されれば、『大陸戦争』よりもひどい惨禍がこの世界を襲うでしょう。つまるところは破局です。せっかくこんな平和な日本に生まれたのですから――ゆったりと茶を楽しんで余生を過ごしたいと思いませんか」
ゆさかの本心が明かされる。
どこまでが事実かはわからないが、納得できる内容ではあった。
「もう、いっぱいいかが?」
霞桜がそういいながら、ポットを傾ける。
その茶のにおいは、異世界とまったく変わりないものであった。
「一つ質問がある」
憂衣那は左手でポットを遮り、低く言った。
「そう、『マシーネンフュルスト』のことだ。あの能力は異世界の『神』の加護あってこそだろう。だが――」
一拍置いて、鋭く目を細める。
「俺の戦艦『ラングトール』も、イ兎の『ルフトドラッヘ―T5』も、この世界には存在しない。どうして『マシーネンフュルスト』が具現化できるんだ? 答えろ。それが条件だ」




