「オワコン」「マスゴミ」「情弱」などのネガティブな言葉を日常的に使う人々の危険な心理状態について。
道を歩いていたら、リアルにこんな言葉を未だに使っている四十路付近がいたもので。
「テレビはオワコン。オールドメディアw」
「これだからマスゴミは」
わざと質を落とした「一部のおふざけ」としてのネットスラング。のはずだったものが、いつのまにか市民権を得て、一般層までもが使う時代となって久しい昨今。
こういった言葉を嬉しそうに使うひとたちに対し、筆者がいつも感じてしまうもの。それは自らが暗示してしまっている「発信者自身のみじめな精神状態」と、そのことに「発信者自身が全く気づいていない」という二重の不具合だ。
他者に対する過度な攻撃性は「自己防衛本能」から来るもので、まず間違いはない。だとするば、彼らはいったい何から自身を守りたいと考え、否定的な言葉をまき散らしているのだろうか?
テレビはオワコン。だから何?
何を意図しての言葉なの、それ?
ただの指摘だとすれば、誰に向けてそれを指摘しているのか?
(そもそもコンテンツではなく、媒体だよな、テレビって?)
矛先は「テレビで食っている人々」と「テレビを見ている人々」に絞られるわけだが、そこにどういった恨みがあるというのか?
テレビマンに対してのものなら、それでも高給を貰っているテレビマンたちへの嫉妬?
テレビを見ている人々に対してなら、それこそ「余計なおせっかい」以外の何ものでもない。
テレビが面白くないことには同意しても、それをわざわざ指摘する人間たちのつまらなさには、どう反応するのが正しいのか。
おそらくは敵意だけでなく、対象を貶めることによって「すでに何かの残骸である自分自身」の位置にまで対象を引きずり下ろしたいという無自覚な意図もあるのかもしれない(芸能人の致命的なスキャンダルに大喜びするのもこの心理か)。
「マスゴミ」という言葉にしても、自分の感覚と相反する意見や態度を示すメディアに対し、出てくる「歪んだ言葉」でしかない。ゆえにそういった表現を平気で使う「歪んだ連中」に敵意を向けられているメディアがあれば、逆にそのメディアの言葉にこそ耳を傾けたくなる、というのが、筆者自身の感覚か。
何にイライラしていれば、そこまで「無意味で無価値な敵意」を自分とは無関係のものに対し、向けることが出来るのだろうか?
君たちを一番イライラとさせている根本は、自分自身のどうしようもない不甲斐なさにあるということに、いったい、いつになったら気付くのだろうか?
とりあえず、自身のみじめな精神状態を他者に知られたくなかったら、言葉は選ぶべきだと筆者は考える。マウントを取っているつもりで、対象の靴の裏を舐めながら「ああ、羨ましい、羨ましい」と妬んでいる「地獄の亡者」のそれにしか、部外者には映らないのだから、ご用心。
それともこれは「俺を助けてくれ!」という悲鳴であったりもするのか?
他にも「情弱」なんて言葉を嬉しそうに使っている人間たちの精神の歪み具合にも、その先に見える哀れさから、溜息しか出て来ない。
テレビやマスコミが昔よりも貧弱に見えるのは、自分自身がこどもの頃よりも成熟したとでも捉えておけばいい。
そして成熟した人間なら、そんなことはわざわざ指摘もしない。
もし現在でも「昔のテレビの方が面白かったのに」なんてことを言っているだとしたら、それこそ貴方たちのいうところのオールドメディアのオールドスタイルを未だに欲している「オールドヒューマン」の戯言に他ならないのだから、とりあえずその口は閉じた方がいい。