第7話 鈍感
部屋の扉を叩く音。
私はいい子なので、言われた通り大人しく横になっていた。
上体を起こすと、私は返事をした。
扉が開き、にんまりとした顔が現れる。その正体は、ラナのお付きの一人であるマーガレット。
「お義姉様、今、大丈夫かしら?」
「別にいいけど」
マーガレットはにまにました顔でやってくる。両手を私のベッドの上に置き、鼻息荒くした顔を近づけてきた。
「聞きましたわ! 聞きましたわよ!」
圧がすごい。奴は私のベットの上にまで上がり込み、顔を近づけてくる。私は彼女の顔を手で押すのだが、力が強く中々離れてくれない。
因みにマーガレットは他のメイドと違い、上級貴族の出身。親戚関係にあたる訳だが、自らラナのメイドになることを選んだ変わり者。
親類の中では珍しく、私の黒髪に対しても、特に気にしていない。身長は確か161cmと言っていた気がする。マーガレットのほうが1歳も年上だし、私より背が高いのは当然の話。彼女とは親戚関係にあたる訳だが、決して義姉と呼ばれるような間柄ではない。
私の百合レーダーが反応し、ラナにガチ恋していることに気づいた私(前世? の記憶がなくても私は百合の匂いに敏感である)は、何の配慮もなくそれを指摘した。それ以来、マーガレットは私と二人っきりの時だけ、お義姉様と呼ぶようになった。止めてくれと言っても、聞く耳を持たない。これは何を言っても無駄だと判断したため、私は早々に諦めた。
マーガレットはふわふわの――赤に近いピンク色の髪を、ツインテールにしたお嬢様。見た目はいわゆるたぬき顔。テンションが上がると距離感がおかしくなり、私を散々困らせてきた。
私は、百合は見る専門だと決めている。だから、やたら顔を近づけてくるのはどうか止めていただきたい。だって、恥ずかしいじゃん?
「で、何をそんなに興奮してるわけ?」
「聞きましたわよ!」
「だから、何を?」
「私とお義姉様の仲なんですから、とぼけないでくださいまし。カトレアのことですわ」
ますます、訳が分からない。
「カトレアを専属メイドにするのでしょ?」
私の口に何かが含まれていた場合、思いっ切り吹き出していた。それはもう、盛大に。
「だ、誰がそんなこと」
「誰がって、カトレアですわ」
当然でしょう? というような顔。
「カトレア、まるで夢の中にいるようでしたわ。本当、羨ましい」
マーガレットはうっとりとした顔で天を見上げる。
「め、メイド長は?」
「メイド長? 特に何も言ってませんでしたわよ。カトレアに祝福の目を向けてはいましたけれど」
メイド長、カトレアには何故か甘いのだ。
カトレアとマーガレットも、お付きとして仕えてくれている。決して専属と言う訳ではない。
専属とは言わゆる奴隷みたいなものだと私は認識している。カトレアを一生縛りつけるような契約だ。専属は一般的に愛人の扱いであり、一度専属になった者は結婚等出来なくなる。例え主人に捨てられようとだ。
――いや、正式な契約をした訳ではないんだから、まだ大丈夫か?
「何を悩んでおりますの?」
マーガレットは不思議そうな顔をしている。
「いや、不思議だなって思っただけ。何で専属になることを喜べるのか」
「それはもう、愛しているからに決まっていますわ!」
「愛しているって、カトレアは私に恩を感じているだけだよ」
カトレアは私が気まぐれで助けたことを、今だに感謝している。
だからって、それは別に私の力でもなんでもなく、ブロード家の力によって救われただけの話。そのため、カトレアが私のことを純粋に慕っているのを見ると、何とも言えない感情になる。
カトレアの中にいる私は、きっと私じゃないのだろう。その私は、17だった私の記憶を経て、少しは近づけたのだろうか? それとも、かけ離れてしまったのだろうか?
もし、明日の儀式で、カトレアを守れる位の力が手に入ったなら、少しは自分を認めることができるのだろうか?
「お義姉様は本当、他人の恋路には敏感なくせに、自分のこととなると、本当に鈍くなりますわね」
マーガレットは呆れたようにため息を吐くと、身体を起こし、腰に手を置いた。
むむむ。
私――鈍感のつもりなんて、さらさらないんですけど? むしろ、超敏感なほうだ。超敏感過ぎて、触るな危険状態だから。そう――舐めるなよ、この私を!
「私はただ、カトレアが自分で自分を不幸にしようとしているようにしか思えないってこと」
カトレアには、是非とも幸せになって欲しい。私は本気でそう思っている。
「レナ」
昔の呼び名を口にする。
マーガレットはしゃがみ込むと、私の顔を手で強引に振り向かせた。
目線が合う。
「私とカトレアも、専属になることを夢見て生きてききましたの。例えあなたでも、それを不幸と言うことは、許しませんわよ」
マーガレットは、子供を諭す口調でそう言った。
私は彼女の手を軽く払うと、視線を反らし、膝を抱える。
「子供扱いしないでよ」
「子供ですわよ、レナは。そうやって膝を抱えて剥れる所、昔のままですもの」
私はその言葉を聞き、つい――笑ってしまった。
「いきなり笑って、どうしましたの?」
「いや、別に。ただ、私は何も変わっていなかったんだなって――そう、思っただけ」
「そうですわよ、レナは昔から、何も変わっていないですわ」
そう――私は、私のまま、きっと何も変わってなんかいない。それがいいことなのか、どうなのか――今の私には分からないけれど。
「ごめん」
「それは、何に対してなんですの?」
「私はやっぱり、専属に対していい感情は持てない。だから、マーガレットやカトレアの気持ちを――分かって上げられないことをかな」
急に頭を撫で回してくる。
「ちょ、ちょっと――」
私は抗議の声を上げ、マーガレットの顔を見て、手を振り払うのを止めた。
「分からなくて、当然ですわよ」
マーガレットは手の動きを止めた。
「だって、私自身、よく分かってないんですもの」
彼女は、自嘲気味に笑った。
「6歳のときに初めて、ラナに会って、一目惚れしましたの。そして勝手に、私は自分勝手に、彼女に相応しい女となる――そう決めましたの。今まで大事にしてきたお人形たちを捨てて、剣を取り、彼女のためと言いながら、自分のために」
私の頬に指を滑らせる。
「15の儀式を終えた後、私は彼女に告白すると決めていましたわ。でも――私の魔力はあまりにも小さくて、彼女には相応しくありませんでした。だから、私はメイドになりましたのよ。専属こそが私の唯一無二の希望だと信じて。そう信じなければ、私は願ってしまいますの。あなたの魔力が大きく、ラナの魔力が小さいことを。けれど、それは裏切り行為ですわ。だって私は、ラナが領主になるための努力を、誰よりも知っていますもの」
指が――私から離れる。
「勘違いしないで下さいましね。私は別に、専属になることを否定しているわけではありませんわよ。私やカトレアにとって、専属になることは幸せなことですの。ただ――人は欲深い生き物ですから」
そう言って、マーガレットは笑ったが、私は笑えなかった。
「そんな顔はしないでくださいまし」
マーガレットは優しげな口調で息を吐く。私は一体、どんな顔をしているのだろう?
「ラナに出会っていなかったなら、私はきっとあなたに――恋をしていましたわ、レナ」
もしもの話ほど、意味のないものはない。
私は――あなたの幸せを祈るよ、マーガレット。