第37話 ふたりの子供
私の中に、私じゃない私が入ってくる感じ。
それも、大量の私。
身体に異変を感じた。
私の身体が私でなくなり、私が私でなくなる感覚。
急速に、何かが加速する。
目の前に、私じゃない私。
私が私に背中を見せ、佇んでいる。
その距離が離れたと認識したとき、既に私は私に置き去りにされた。
気づいた時、何もない空間で私はひとりぼっち。
そして――意識が遠のいた。
◆ ◆ ◆
なるほど、なるほど。
私は周囲を確認し、直ぐに今の状況を理解した。
「レナ、大丈夫かしら?」
と、メリエーヌ様が私を気遣ってくれる。
「はい、大丈夫です。ただ、この5年間の記憶がいまひとつ引っ張り出せてはいませんね」
「そういうものよ」
「なるほど、そういうものなんですね」
お母様が、私を見て驚いた顔をしている。
私は視線を下げ、自分の身体に目を向けた。
両手を"にぎにぎ"と握ってみる。
どうやら、頭の中だけでなく――身体も5年後の私らしい。だけど、記憶のほとんどは抜け落ちている。
だから、5年後の私でありながら、今の記憶にかなり引っ張られた状態であり、なんだか不思議な感覚。これからどうなるのか、未来の私でありながらよく分かっていない。
そして私は、身に纏う服へと視線を向けた。
今から5年後の私が良く着る格好。
赤のジャケットに黒の短パン。そして、黒のタイツに黒のブーツ姿。
凄く、動きやすいスタイル。
身長は――今の私より高い。だけど、期待したほどではない。
これに関しては、正直な話――泣きたくなってくる。
「……レオナ」
ラウラお母様は私の顔を見て、レオナお母様の名前を呼ぶ。
放心したような、顔。
私は苦笑してしまう。
今の私は、レオナお母様がラウラお母様に出会ったときと同じ年齢。
今の私は知らなかったけど、5年後の私は知っている。レオナお母様の顔と、声――そして、彼女の想いを。
「ラウラお母様は、レオナお母様の見た目に恋をしたの?」
少ない容量の中、私はレオナお母様の記憶を――無意識にだが、引っ張り出している。
つまりそれは、必要な記憶だということ。
ラウラお母様は、困惑した顔を私に向けている。
「違うよね? ラウラお母様は、レオナお母様の魂に――恋を、愛を知ったんじゃないの?」
「それは――」
「レオナお母様は、常に前を見続けた。今の私のあり方とは、あまりにもかけ離れている」
「どう――いう、こと? 何故、知ってるの? もしかして、会ったの? レオナに」
私に、縋るような目を向ける。
「あなたの力なら、会えるの? レオナに――レオナに会えるの?」
私は、何故だか言葉に詰まった。
ラウラお母様を見ていると――何とも言えない気持ちになる。だけど、そのような感情となる理由が私には分からない。
知るべきではないと――何かが、警告する。
だから私は、その気持ちに蓋をした。
そうしなければ、戦えない気がしたから。
「レナ?」
私の名前を呼ぶ。
息を吐いた。
長く、小さい息を。
「もう、会うことはできない」
私は、はっきりと言った。
それは――真実でもあり、嘘でもある。
私の言葉で、お母様は絶望した顔。
「メリエーヌ様、アリア様――すみませんが、結界の外への移動をお願いしてもいいですかね?」
「分かったわ」
そう言って、メリエーヌ様はひとりだけ、台の上へと移動する。
アリア様は一歩も動かず、無言で私を眺めた。
「きっと――私は今、ラウラと同じ気持ちなのだろうな」
独り言のように、アリア様は呟かれる。
「愛する人に再び会えるというのなら、この命すら惜しくない。例えそれが、ほんの一瞬だったとしてもだ」
「でも、そんなこと――相手は望んでいないと思いますよ?」
「なぜ、それが分かる? あいつのことも、お前は知っていると言うのか?」
「いえ、知りません。だけど、何となく分かります。だって――あなたほどのお方が、愛した人なんですから」
私のその言葉に、アリア様は笑みを浮かべる。
「なるほど、それは確かに――その通りだ」
アリア様の記憶は殆ど抜け落ちている。
だけど私は、何となく――分かるような気がした。
彼女という存在を。
「言うようになるんだな、未来のお前は」
アリア様は、背を向けられる。
「だが――そうだとしても、私は求めてしまうのだがな」
そう言って、アリア様も階段を上りこの場を後にした。
今――結界の中に残る人物は、私とお母様だけ。
「元々――似ているとは思っていたけど、まさかそこまで瓜二つになるとはね」
お母様はうつむいた顔を上げる。
「そんなの、見た目だけだから」
「そうね――本当に、その通りだと思うわ。だけどね、その顔は私を惑わせる」
私を見るその目は、私を嫌な気分にさせた。
「……お母様、今までありがとう。本当に、感謝している」
その言葉で、訝しげな顔となる。
「だけど明日は、私たち姉妹を笑顔で送り出してよ」
お母様は、何も言わない。
「そして、自分のために生きて欲しい。それで、少し大人になったラナを迎えてよ。ブロード家の屋敷で」
「あなたは――帰ってこないの?」
「会いにいくよ。何度だって会いに行く。だけど私はもう――ブロード家の人間じゃないから」
お母様の顔が歪む。
「近い将来、私は新たな家族を作って――守るべき家と、守るべき人々ができる」
私にとって、それは凄く大切なもの。
だけど、その家族の顔、大切な人々の顔が思い出せない。
それでも、彼女たちが何よりも、私の生きる糧となっていること――それだけは、はっきりと分かっている。
「そう――あなたには、新たな家族ができるのね」
「それは、お母様のおかげだよ」
「私の?」
「そうだよ。それは、お母様のおかげ。私たち姉妹の手をずっと――握り続けてくれた、あなたのおかげ」
「でも、私から離れていくのね」
「うん、離れるよ。離れないといけないんだと思う」
「……」
「与えられたものは、他の誰かに返さないといけない。世界は、そうやって循環しているんだから」
「私は――他の誰かなど、どうでもいい」
なかなかに、際どい台詞。
それは領主の言葉ではない――と、騒ぎたす人が現れてもおかしくない。
だけど――。
「――お母様は一度たりとも、領主としての責任からは逃げ出さなかった」
「それは――」
「レオナお母様との約束だから」
その言葉に、お母様は目を見開いた。
「生きてるんだよ。ラウラお母様の中で、レオナお母様はちゃんと生き続けてる。だから私たちは――ふたりに育てられたんだよ。お母様ふたりに」
急に笑い出す。
しばらく笑った後、静かに息を吐いた。
「少し――思い出したわ」
ぽつりと、呟く。
「忘れたことなんて、何ひとつないと思っていたのだけどね」
そして、しばらく無言で私を眺める。
「あなたは――私を、どう納得させるつもりなの?」
「メリエーヌ様が言ったように、力で納得させる」
「力?」
「そう、力。自分ではなく、誰かを守れる強さを、私は見せる」
「じゃあ――見せてみなさい。あなたが言うその力を」
お母様は右手を目の高さまで上げると、精霊印が光だす。
だから私は咄嗟に距離を取る。
お母様の周りを、炎が迸った。




