<第07話>
既に二十歳になっておられた姫様は、ご自分が皇太子になられたことをあまり深く考えずに楽しそうにしておられました。
まだ春浅き梅の香の中、軽やかな足取りで庭の小道を私の先に歩きました。池の端まで歩き床几台に腰掛けると、私は悲しげな顔を作って姫様に言いました。
「これでわかりました。皇后は姫様よりご自分の身のほうが大事なのです。なんと姫様、おいたわしや」
姫様はキョトンとしておられました。誰からも立太子を祝福されていたのです。
「皇后は姫様に上皇のようになれとおっしゃられるのです。結婚し子を成すことも愛する男性と交わることも諦める人生を、若い姫様に強いる。ご自身が皇太后の地位を得たいがために、姫様を犠牲になさる。もし母親の心がおありなら、そのような酷い宿命を我が娘に与えることはなかろうに。ああ、なんということでしょう」
姫様の眉の端が、見る見る下がっていきました。
「どういうこと?私は……結婚できないの?」
「ええ、結婚どころか、この先一生、男性と触れ合うことすら許されないでしょう。ああ、そのような過酷な宿命を姫様に背負わせるとは」
私は右の衣の袖で顔を覆いました。
「……でもお父様に頼まれたの。私が返事をする前に、お母様が決めてしまったけれど、断ることなんてできないもの」
姫様が涙声になっていくのがわかりました。
「ああ、でも」
私は急に思いついたように顔を上げました。
「姫様が早くに即位なされば」
姫様の手を取り、言いました。
「聞けば帝はお体が丈夫でない、ならば姫様が、帝のお体を慮って早い時期に位を譲っていただくというのはいかがでしょう。ええ、そうすれば、姫様が即位なされた後は、お好きなようにできますよ、きっと。内親王を皇太子に任命するなんて前例のないこと。御母君は人臣の娘でありながら皇后の地位となられた、それだって本来あり得ないこと。でしたら、帝となられた姫様が好きな男性を婿に迎えても、そうです、認めさせて仕舞えばいいのです」
姫様は戸惑いの色を浮かべました。
「……できるかしら」
私は、姫様の手を握る手に力を込めました。
「できますとも。姫様は帝となられるんですから。帝のやることに誰が反対できましょう」
「そうね。そうだわ。私は帝となるのだから」
姫様の頬に赤みが差しました。
皇太子となられた姫様は、以前にも況して、若い内舎人をからかって遊んでおられました。
「今度入った内舎人の醜いこと。美形だけを採用すれば宜しいものを」
「姫様はどのような男性がお好みですか」
「そうね、一番麗しいのは藤原式家の広嗣様ね。南家の仲麻呂様もいいわ。彼らを私の内舎人にしてくれればいいのに」
「まあ」
私たちは陽気に笑いました。
藤原式家の広嗣様、南家の仲麻呂様、お二人とも姫様とは母方の従兄弟にあたられるお方です。
広嗣様といえば、藤原式家を継ぎ、藤原家の男子の中でも特に才気溢れ見目麗しく、二十五歳という若さで大養徳守(やまとのかみ・現在の東京都知事のような役職)に任命され、将来を嘱望された方でした。皇后も甥っ子の中でも特に見目麗しい広嗣様を贔屓になさっていました。
一方、仲麻呂様は藤原南家の次男坊でありながら嫡男の豊成様より覇気溢れ、いずれは兄を追い越して右大臣間違いなしと思われていた方です。そのお二人を自分に仕えさせたいとおっしゃるなど、姫様以外に誰が許されましょうか。
「姫様が帝になれば世のこと全て思いのまま。内舎人に美形を揃えるも、毎日干し柿を頬張っても誰にも文句を言われませぬ」
「帝になったらどんなことでもできる?」
「ええ、もちろん」
「皇太子に内舎人を立てても?」
私は一瞬ギョッとしました。それでもにこやかな顔を見せました。
「ええ、姫様は帝になられるんですもの。誰が拒めましょうや」
「だったら、早く帝になりたいわ。ねえ」
姫様は無邪気におっしゃいました。