<第05話>
姫様が十六歳になった春、髪上げの儀式を行いました。姫様の御母君は、同じ年齢の頃に、当時皇太子であられた今上帝と結婚なされました。
私は、月に数回姫様とお会いしていましたが、その一方で皇后とも会っていました。
ある時、私は皇后に呼ばれました。姫様の婿取りの相談です。
「内親王を手に入れた者はこの世をも手に入れると言っていたわね」
「ええ、そのような運を姫様は持っておられます」
「ならば我が藤原一族の男子ならばどうじゃ」
「と言われますと」
「藤原一族の男子を婿に取り、生まれた男子を皇太子にはできぬものかしら。たとえばじゃ、たとえば式家の広嗣。一族で最も見栄えも良い、いずれは大臣になるのは必至と言われておる」
「それは難しゅうございます。藤原氏の男子を婿にし、内親王が男子を産んだとしても、その子を皇太子にとは難しいでしょう。安積親王や他に皇子が、舎人親王や新田部親王の御子たちが何人もいらっしゃるのに、王と名乗れない男子を皇太子にとは、皇族方に承知させるのは並大抵のことではありません。帝の血統というのはそれほど犯し難いものでございます。かつて貴女様を皇后にするために、大臣たちがどれほどご苦労されたことか……。またあのようになされたいのですか」
ご承知の通り、彼女を皇后にすることに反対した皇族の中心人物、長屋親王は、藤原四兄弟によって無実の罪を着せられ滅ぼされました。しかしその後、あちこちでおかしなことが起き、長屋親王の祟りだと皆は震え上がり、今も尚、恐れられているのです。
皇后は渋い顔になりました。
「それとも広嗣様でなければ、そう、北家ならば皇族の血を受け継がれている男子もおられるはず、それなればまだ。その男子の母親は葛城王(橘諸兄)の妹君にあられる。ああ、貴女様の異父姉でもありましたね」
「ふん。……葛城王には気をつけるよう、兄たちから言われておるわ」
葛城王とは、皇后の御母君橘三千代様の先夫の子です。葛城王とその妹君牟漏女王の御父君、美努王と死別した三千代様が、藤原不比等様と再婚して生まれた子が安宿媛です。ですから、葛城王は皇后の父親違いの兄になられるのですが、皇后は、そのことを全く意識していないようでした。
異父兄と初めて面会したのは、安宿媛が妃になってからのこと。皇族とはいえ下位の、誰も気を止めないような凡庸な人物だった葛城王。母親が今上帝の乳母となり藤原不比等様と再婚なさったからようやく出世できたと言われているような、公式の場でも藤原家の男子よりさらに下に座る葛城王のことなど、皇后は目に入っていなかったのです。
「同じ甥っ子と言っても、広嗣と奈良麻呂は天と地ほどの差じゃ。我は奈良麻呂を可愛いと思ったことが一度もない」
奈良麻呂というのは葛城王の嫡男にございます。広嗣様より数歳年下でしたが、なにしろ美男揃いの藤原一族と違い、葛城王もその子らもなんとも冴えない面々だったのです。
姫様とは時折、男性の話もいたしました。相変わらず結婚相手も決まらないままでしたが、やはりお年頃、男性のことが気になっていたようです。
姫様は言いました。
「そなた、玄昉法師という僧を知っている?」
玄昉法師とは、長い間唐の国で留学生として勉強し、昨年の春、帰国した学問僧です。人好きのする人物で、唐の皇帝にもずいぶん目をかけられていたと評判でした。帰国後は、帝や皇后、皇太夫人に気に入られ、内道場(宮殿内にある寺院)に出入りするのを許されていたのです。
「直接お会いしたことはございませんが、噂は存じております」
「どのような噂を」
「何でも、僧にしておくには惜しいほどの容姿に、うっとりする良い声をしているのだとか」
「やはりそうね。侍女たちもいつも噂しているの。そんなに美形なら、一度会ってみたいと思うのだけど、お母様が会わせてくれないのよ。侍女に言っても、お母様の許可を得ないと駄目だと。どうして会わせてくれないのかしら」
「さあ、なぜでしょうね」
私はシラを切りました。皇后が玄昉法師を寵愛していることは公然の秘密です。知らないのは、帝と姫様だけでした。
私が聞く玄昉法師の噂は、妙に俗っぽく、自分が人を惹きつける力を持っていることを自覚しているような人物だということです。皇后も皇太夫人も玄昉法師の色気に籠絡されたのです。姫様のような男性を知らない少女など、ひとたまりもないでしょう。皇后はそのことがわかっているから、決して姫様に会わせようとしないのだと思いました。
「玄昉法師だけではないわ。お母様は、私の周りに美形の男子を置いてくれないの。舎人も皆」
姫様は口を尖らせました。
「世の中の男子には、姫様の地位を利用しようと近づいてくる者が多くいるからでしょう。そういった下心を持つ男子にお気をつけなさいまし」
「下心を持つ男子とはどういう感じかしら」
「そう、まず、やたらとご自分の要望を姫様に話すような男子は遠ざけなさいませ。困っていることを話す男子もです」
「困ったことを話しても」
「ええ、そうです。ずる賢い男子は直接要求しません。例えば、ある男子が、母親が病弱だが満足に食べさせてあげられない、困った、と言ったとしましょう。姫様は優しいお心から何かしてあげるはずです。それがその男子の術です。姫様の優しさを利用して、自分の利益を得ているのです」
「難しいわ」
「簡単なことです。本当に良い男性は、ご自分より姫様のことを心配してくれるものです。姫様がお辛い気持ちの時、寄り添ってくれる、そんな男子こそが良い相手です」
「……でも、私はきっと、お父様やお母様の決めた方と結婚するんだわ」
「ええ、そうでしょう。お二人には経験があります。きっと姫様に相応しい男性を見つけるでしょう。私は、決められたお方でも、いえむしろ、決められたお方のほうが安心だと思います。結婚してから育む愛情もあります。御父君と御母君がそうでした。姫様にもきっとふさわしいお相手が現れましょう」
私は、この先姫様が結婚できないであろうことを知っていました。私が皇后に勧めたことでもあるのですが。こんなふうに言ったのは、姫様にせめて今のうちは夢を見させてあげたいと思ったのです。