第四十二話 思念体カーリン
――黒き荒野ラムエルダス。
岩と砂ばかりの不毛の大地。
一種独特のまがまがしい雰囲気につつまれ、見上げる太陽が
なぜか黒く輝いて見えるような錯覚すら引き起こす。
ただ一人生きて戻ったカーリンによれば、夜になっても
見えるはずの星空はなく、ただただ漆黒の空が重くのしかかってくるようだったという。
俺たちはその魔の地を、魔族の首都へ向けて一歩一歩、足を進めていた。
「しかし、助かったね。いきなり首都の位置と方角が判明するなんてさ。
それがなきゃ、あてどのない旅になるところだった。いくらスライム君、
スアットって名前だったっけ、彼が方向を見定めていたとはいえ……」
水袋の水をぐいっと飲み、ウルリーカが汗をぬぐいながら言った。
そう、俺たちは一切の迷いなく首都を目指している。
地図すらないラムエルダスでそんな事が出来るのには、理由があった。
「おっかけて来てくれたね! ありがたいっしょ!
これで、彼らの居城へと案内が出来るよ!」
トンネルをぬけ、ラムエルダスの地に踏み入れた俺たちを最初に出迎えたのは、
サイクロプスたちではなく魔女カーリンだった。
正確には、魔女カーリンの『残留思念』。
体を乗っ取られ、精神を抑え込まれていても、後を追うものたちが居ると信じ……
ラムエルダスの入り口に、自分の精神のかけらを残していってくれたのだ。
「いやはや大変なことだよ!
魔族の王に気づかれず、”これ”を残していくってのはさ!」
ぼんやりとした透明な体で、魔女カーリンはそんなことを言った。
「これからも定期的に、”あたし”が出迎えるっしょ!
正しく道を進んでる限りね! 地面にも、光る玉を可能な限り一定間隔で残してるから、
それをたどって行ってね。次のあたしがいるとこの目印は、地面にささってる骨と剣!
方角は、あっちだよ! そして、首都自体の方角はあっち!
距離的には、ここから君たちの王都シエルベリまでの三倍、といったとこかな?」
と荒野の特定の方角を続けて指さす。
なんとカーリンは、荒野に目印を置いて行ってくれたのだ。
俺たちは当初、スアットが示した方角へと一直線に進むつもりでいた。
しかし可能性として、魔女――魔族が乗っ取っている――がラムエルダスに入ってから
方角を急に変えることもあったのだ。
だが、『カーリンの残留思念』によってその問題は解決した。
これでもう、この魔の地で無駄足をふむことはないはずだ。
「これが罠でない限りね」
などと言うウルリーカに、
「疑いぶかいねえ……
まあ罠だった場合、君たちはラムエルダスで迷うことになるし、
罠でなかった場合でも、迷うことになるのは確実っしょ」
と答える残留思念。
それは確かにそうなのだ。
見渡すかぎりの荒野、目印になるものもほとんどない。
方角を指し示す魔道具の針も、ぐるぐる回るばかりで役に立たなかった。
スアットの言った方角を進んでいるつもりでも、いつの間にかズレている可能性がある……
いきなりラムエルダスに来たのは早計だったか、と思った矢先、
カーリンの残留思念が現れたのはまさに僥倖だった。
「あたし的にも、出会えたのがここで通用しそうな君たちで助かったっしょ!
特に君! 不思議な力を持ってるよね」
とカーリンの残留思念が、俺を指さした。
「実に興味深いねえ。
無事この件が解決してあたしが元に戻れたら、色々と調べさせておくれよ!」
あんたもか……
と、ここでぼそりと「先約」とつぶやきながら、ベリトが俺の腕にしがみついてきた。
「ありゃ、ご同業がいたのね。残念っしょ。
それはまーともかく、ここからも注意して進みなよ。
この先、どんどんモンスターもえげつない事になるからね。
通用しそうと言ったけど、あくまで『しそう』だ。
結局、あたし以外で魔の地から生きて戻れた人間、未だにいないんだからね……」
終始ゆるい感じだったカーリンが放った厳しい言葉に、緊張感が蘇る。
特に俺だ……マルグレットやベリトは通用するだろうが、前衛で戦う俺が
一番のお荷物になる可能性がある。気を引き締めてかからないと。
「上手いこと、首都まで来れることを祈ってるよ。
その後のことも、一応まあ考えがあるし……なんとか、魔族の企みを止めないとね。
んじゃ、今回はここまで。次の”あたし”まで頑張ってね。
そして最終目的地――首都、ヴィカンデルで待ってる」
そう言い残し、カーリンの残留思念は消えたのだった。
「ヴィカンデル……それが魔族が最後を遂げた地、首都の名前……」
かみしめるように、マルグレットがつぶやいた。
「……そして、敵の本拠地。
何事かをたくらんでるカーリンが潜んでいる場所だね」
ウルリーカが引き継ぐ。
魔の地ラムエルダスの最奥にあるというヴィカンデル。
一応は偵察、という名目のこの旅だが……
場合によっては、そこがいきなり決戦の場になるかもしれないな。
しかし、カーリンと言うと魔女カーリンと乗っ取られたカーリンの
二種類いるのが少しややこしいな。言い分けるのが面倒だ。
魔族の王とやらの名前、教えてくれればよかったのに。
その旨を伝えると、
「つぎの思念体カーリンに聞けばいいさね」
とウルリーカが明快な答えをくれた。
確かに、とうなずいて最初の思念体カーリンが指さした方角にむかって
俺は強く足を踏み出した。
「……でかい骨にでかい剣……!
はるか昔に、巨人と巨大生物が死闘を繰り広げて、巨人が勝利を収めた……
っていう状況みたいだ!」
饒舌モードのベリトがまくしたてた。
目の前の砂地に、正体の全く分からない巨大生物の頭部の骨と肋骨が
高々とそびえ立っていた。
頭部にはこれまた超巨大な剣が突き立っている。
骨は化石のようだが、剣はさび付きもせず、柄頭に結ばれた布地が
ラムエルダスの風にはためいていた。
「しかし、この剣は巨大すぎます! あのサイクロプスでも持ち上げる事すら
出来そうにありません……! どれほどの威力があったのでしょう……
剣の使い手はさぞかし、名のある戦士だったに違いありません」
はしゃぐベリトと対照的に、感嘆しきりのマルグレット。
「いつの時代のものなんだろう?」
俺の疑問に、さすがのウルリーカも首をかしげる。
「さてねえ。魔族とこいつら、どっちが先の時代なんだか後の時代なんだか。
ここが自由に行き来できる場所なら、考古学者たちが喜んで研究目的に
群がって来るんだろうがね……」
「魔族が後の時代なら、ここは良い観光名所になってたのかもな」
という俺の感想に、
「はは、観光名所か! それは面白そうだが、魔族がわたしたちと同じ文化、
メンタリティを持ってるのなら、という話だね……」
とウルリーカは笑って答えた。彼女は続けて、
「さて、最初の思念体カーリンが言ってた”骨と剣”はこれに違いないな。
思ったよりデカかったけど。この辺に、次の彼女がいるはず」
きょろきょろと周囲を見回す。
そして次の瞬間、次の案内をしてくれる思念体カーリンが「やほー!」と言って
飛び出して……くることはなかった。
その代わりに飛び出してきたのは、体のあちこちが空中に溶け出すように消えかけた、
女と思われる半透明の幽霊みたいなシロモノだった。
顔も体と同様に消えかけており、判別がつかない。
その幽霊みたいなものは、「ザザ……ガ……ガガ……」と妙にかすれた音を
出しながら、両手をこちらに突き出しゆっくりと迫って来た。
「んぴゃっ!?」
今まで聞いた事のない奇声を上げて、マルグレットが地面から30センチばかり飛び上がった。
しかも気を付けの姿勢、直立不動の状態で。
そして、彼女はそのまま動かなくなってしまう。
正体不明の敵のしわざか? 麻痺攻撃!?
俺はその幽霊のようなものに向き合い、剣を構えた……!




