十九話
フィオフォーリ本国から離れた場所、背の高い木や隠れる茂みが多く、バリケードでの移動制限がしやすい少しだけ開けた場所で、エルフ達の布陣が済み開戦を待つ。レオン達は最前線にて魔族と魔物を迎え撃つが、数が足りないのでどうしても魔物を後ろに通してしまう、そこをエルフ達が狙い撃つ作戦であった。
レオン達はなるべく派手に暴れまわり、敵を一体でも多く始末する事が重要であった。その数が多いほど後ろで控える防衛部隊は楽が出来る、負傷者を一人でも多く減らす為にレオンは出し惜しみをするつもりはなかった。
「来たぞ」
気配を感じ取ったレオンは森羅の冠を起動してエクスソードを抜く、ソフィアも杖を握りしめ構える、クライヴは敵が来た事を伝えるようにと伝令に言付け走らせた。
よたよたと歩くメルトドールの大群が押し寄せてくる、その軍団の頭上を浮遊している魔族ランスはレオン達を見つけると目の前に下り立った。
「どうも皆さん、僕は魔王様の臣下の一人ランスと申します。以前の借りを返しに来ましたよ、腕の具合はどうですかクライヴ?」
薄ら笑いを浮かべるランスにレオンは剣を向ける。
「下らない問答は必要ないんだよ。フィオフォーリを諦めてその薄汚い人形を連れて帰れ」
「薄汚いとは酷いですね、ほら元気に鳴き声を上げて可愛いでしょう?」
メルトドールは痛みと苦しみの怨嗟の声をうわ言のように繰り返している、邪悪を極めた醜悪さでレオンは怒りを抑えるのに必死だった。
「どうであれ僕に引く気はありません。決裂ですね、僕のお人形相手に遊んでいなさい」
ランスはそう言うと後方に飛んでいき姿を消した。それと同時にメルトドールが一斉に前進を始めた。
「ソフィア、一応聞くがあれが何なのか分かるか?」
「駄目あれはあいつが作った魔物だから何も分からない」
情報はなくともやれる事は戦う事しかない、レオンはエクスソードを胸の前で構える。
『木神の加護よ、剣に宿りてその力を示せ』
ソフィアが神授の杖を掲げて呪文を唱える、エクスソードの刀身は緑色に光り輝きバチバチと雷を纏った。
「うおぉぉぉ!!」
レオンの雄たけびと共に振り下ろされた斬撃は雷鳴の如き轟音を上げてメルトドールの多くを消し飛ばした。それを見ていたランスはニヤリと不敵に笑った。
全員異変にはすぐに気が付いた。斬撃が直撃して消し飛んだメルトドール以外の、衝撃で致命傷を負ったメルトドールは肉体を破裂させて弾けた。飛び散った腐肉と血しぶきは草木や大地につくと、一瞬のうちに草木を腐らせ枯らし大地は変色した沼地に変わる。木々が腐った事で倒れ始める、代表達が急いで避難の指示を出すが、何人かは逃げ遅れ倒木に押しつぶされてしまった。
「ハハハハハ!!殺せ殺せ!そのメルトドールは殺せば殺すほどお前達の土地を汚染していくぞ!」
ランスの高らかな笑い声が響いて届いて来る、あえて聞こえるように拡声の魔法を使っているのだ。レオンは兵達に吠える。
「ここで何としてでも食い止めるぞ!俺達が抜かれればフィオフォーリのすべてが死の大地に変わる!」
士気を下げない為の苦肉の策だった。それでも動揺を抑えきる事は出来なかった。
「あ、あれは、あれは母さんだ、母さん!俺だよトムだ」
兵の一人が一体のメルトドールに気が付く、混乱の中で母の顔を見つけてしまった事で不用意に近づいてしまった、
「ト…トム…」
「ああ、そうだ俺だよ!」
トムは母の顔をした魔物に体を引きちぎられた。無理矢理ねじ切られて上半身と下半身が分かたれる。悲鳴を上げる間もない瞬間の出来事、ゴミでも捨てるかのように投げられた上半身を見て、兵から悲鳴が上がった。
「ハハハ!感動の再会ですね!さあ次は誰ですか?どうです見知った顔がいるでしょう!さあさあさあ!」
ランスの愉悦に満ちた笑い声が響き渡る。兵は動揺し列は乱れた。
瞬間、森と兵達を緑色の温かな光が包み込んだ。新緑の芽吹きを伝える香りを運ぶ風が頬を撫で、きらきらと輝く木漏れ日が森の実りを照らし出す。揺れる木葉が鳴らす音、動物たちの営みの鳴き声、豊かで平和なフィオフォーリの森の景色が兵達の目の前に輝いていた。
その光景を見せていたのはソフィアだった。神授の杖を地に突き立て、木神から授かった加護を持ちて在りし日の光景を魔法で再現した。
「皆聞きなさい!森と共に生きるエルフ達!貴方達なら知っている筈、自然は巡り再生する、その強さと豊かさを共に生きてきた貴方達は知っている!戦いましょう、尊い自然を平然と踏みにじる敵は目の前にいます!」
ソフィアの一喝と魔法は見事に兵の動揺を抑えた。これを機と見たクライヴが敵中に突撃して瞬時に五体程切り捨てる、飛び散る腐肉も巧みに避け叫ぶ。
「敵は脆い、休まず射抜け!飛び散る血肉に気を付けろ!さあ戦いの時だ弓を取れ矢を放て、木神様の加護ぞある!」
敵中において勇ましく戦い吠える姿を見て、兵の士気はにわかに湧きたつ、そして飛んできた一本の矢が一体のメルトドールの頭を射抜いた。矢を放ったのはサラだった。
「皆レオン達に負けるな!フィオフォーリの敵は我らの敵!我らが怯んでいては木神様に顔向け出来んぞ!撃て撃て!」
サラの言葉に勢いを盛り返した兵達は矢を放ちはじめた。雨の如く降り注ぐ矢は次々にメルトドールを倒し始めた。クライヴが見抜いた通りに脆い事が仇となり、一撃で簡単に倒されてしまう、腐肉をばら撒き大地を汚染してもソフィアが見せた魔法が兵達の迷いを消し去った。
目論見を潰されたランスは怒り心頭であった。レオン達とエルフの兵達によってメルトドールが見る見るうちに殲滅されていく、前に出ているレオンとソフィアを殺す事は禁じられている上、クライヴは片腕を失ったというのに剣技は衰える事なく大立ち回りで嵐のように魔物を切り飛ばしている。メルトドールが使い物にならなくなった今、動物型の魔物を想定より早く戦線に投入させるしかなかった。
「仕方ない、僕も出ますか」
魔物の軍勢に混ざってランス鉤爪手甲を手に飛び込んだ。こうなったら一人でも多く兵を殺し死体を確保して、次の魔物の材料を手に入れようと考えていた。フィオフォーリを落とす事はいつでも出来る、戦力を削いで被害を大きくすれば取りあえずの目的は達せられる。
走るランスに斬りかかる者が現れた。手甲で受け止めて防御する、斬りかかってきたのはレオンだった。
「おや王子様、よく僕の位置が分かりましたね」
「以前より目が良くなってね、お前を前にはいかせない」
「おやおや、魔物の大群が押し寄せていると言うのに薄情なお人だ」
「俺の後ろを守るのは信頼できる仲間達だ。皆はあんな魔物に負けない、俺はお前をここで食い止める」
ランスは舌打ちをした。魔物の群れから孤立させられた上に、相手をするのは不殺を厳命されたレオン、面倒な事この上ない相手だった。
「まあ構いませんよ、貴方のお相手は僕がしましょう。殺すなとは言われていますが傷つけるなとは言われいていません。足の一本でも頂いて行きましょうか」
レオンとランスは武器を構える、一瞬の静寂の後、互いの攻撃をぶつけ合う形で戦いは始まった。
互いの武器と武器がぶつかり合う音が戦場に響く、レオンの連撃をランスが躱し流し受け止める、ランスはレオンの剣を弾き上げると鉤爪の縦横無尽な攻撃で攻め立てる。レオンはそれを時に避け時に受け、何とか凌ぎきる。
「何か妙だな」
ランスは頭の中で考えていた。レオンが凌いだ攻撃はどれも当たれば致命的な一撃になる攻撃、他の攻撃は紙一重で必死に凌ぐ様子であるのに対し、ランスが違和感を覚えた防御にはどれも余裕があった。
「あの頭の装備か?」
ランスの読みは当たっていた。レオンは森羅の冠が見せるランスの攻撃予測から、自分にとって致命的になるものだけを的確に凌いだ。情報の取捨選択は刹那の攻防の中では困難であったが、レオンの集中力は研ぎ澄まされていた。
レオンは攻めに転じる、猛攻をランスは避けるが剣先が掠めるようになってきた。
「こいつ、どんどん速く鋭くなってきている!」
先程まで余裕をもって避けられた攻撃が、受けざるをえない攻撃に変わってきていた。受けてカウンターを差し込めた隙がなくなってきた。ランスも負けじと攻撃に転じても、レオンはそれを避けて剣を振り下ろす。ランスはそれをぎりぎり手甲で受け止めてレオンの体を蹴り飛ばして距離を空ける。感触の軽さから蹴りもまともに入っていない事が分かりランスをイラつかせた。
「いやあお強いことで、流石はオールツェルの末裔と言った所ですねえ」
ランスが話しかけてもレオンは無視する。
「つれないですねえ王子様、会話を楽しむ余裕もないのですか?」
「お前と語る口を持ち合わせていないだけだ」
「寂しいですねえ、まあいいですけど。貴方は殺すなと言われているのですが、存外強くて手加減が難しいですよ。精々死なないように頑張ってください」
何をとレオンが思った時には、自分の体が吹き飛ばされて木に叩きつけられていた。痛みと混乱ですぐには状況がつかめなかったが、攻撃をくらった事だけは分かった。
「ふはは、ふふふあははは、思いのほか頑丈で安心しましたよ!これは楽しめそうだ!」
高笑いを上げるランスの風貌は大きく変化していた。体は漆黒の甲殻に全身に覆われて見た目は巨大な虫の様になり、全身のとげとげしい見た目に手足の鋭い爪と頭から伸びる長い触覚が尚更存在の異様さを表している。
「何だ?魔族は虫に変身するのか?それともそっちが本体か?」
痛みを堪えて立ち上がりレオンが言う。
「いえ、これは僕が研究して作り出した形態です。魔物の性能や特徴を弄る能力が僕にはありますから、魔族の体でも出来ると思って自分の体で実験したんですよ。ここに至るまで魔物を何千と使い潰してしまいましたが、些細な事です」
またしてもランスの邪悪な笑い声が響く、悪辣で最低の下衆でも強さは本物だった。レオンはふらつく体を必死に支えて剣を構える。
「まだやりますか?まあいいですよ、死なないでくださいね」
レオンの視界からランスの姿が消える。バイザーに映し出された攻撃予測で、何とか攻撃を防御するが、攻撃の衝撃で肉が裂け血が飛び散る。
攻撃は一度では終わらない、二の手三の手と次々に繰り出されていく、バイザーの予測と勘を頼りにそれらを凌いでいくが、ランスの攻撃は速さが重さが鋭さが何もかも桁違いに上がっていた。攻撃の度にぼろぼろになっていく体、レオンは立っているのも剣を握っているのもやっとの事だった。
「惨め惨め惨め!!ボロボロのゴミくずのように嬲られて!!なんと惨めな事か!エクスソードのお力とやらはどうしました?始まりの王家の血筋は?これで終わりですかあ?」
ランスはけたけたと笑い声を上げてレオンの事を煽る、しかしぼろぼろの体になってもレオンの目から光は消えていなかった。まっすぐにランスを捉えて剣を構える。
「気にくわねえなあ、テメーまだ戦えるとでも思ってんのかよ。もういい、魔王なんざ知るかよ。ここで死ね」
ランスは殺す気で足を踏み込んだ、真っ直ぐに突進して終いだと考えていた。しかし、大地を強く蹴る筈の足は逆に地に沈んで絡めとられた。
「何だ!?」
ランスが足を踏み込んだ場所は、メルトドールの血肉で汚染された沼だった。レオンはこの時を待っていた。
レオンにはランスの猛攻を凌ぐ技術がなかった。よろけながらも躱して、何とか受け止めるだけで精一杯だった。だから戦う場所を選んだ、攻撃に押されながらもレオンがメルトドールを最初の攻撃で吹き飛ばして、沼地が多くできた場所まで何とか誘導した。それでも足を沼に取られるかは賭けだったが、ランスの慢心が天秤を少しだけレオンの方に傾けた。
「オオオオオオオォォ!!」
レオンは雄たけびを上げながらランスに連撃を加える、硬い甲殻に剣が弾かれようとも手を止めない、斬って斬って斬り続ける。勝機があるとすればここしかないとレオンは分かっていた。
「ぐううぅぅ!」
ランスは沼に足を取られたままレオンの攻撃を防御するしかなかった。抜け出そうと思えばすぐに抜け出せる、しかしレオンの猛攻の最中呑気に足を引き抜くには深く沈み過ぎていた。ランスはその場に縫い付けられた。
「パキッ」
レオンの斬撃を受け続けたランスの体から微かにだが音がした。森羅の冠はその綻びを見逃さない、バイザーに映し出された甲殻のひびにレオンは攻撃を集中させた。
「やめろおおおおお!!」
バキバキと甲殻が崩れ去る音が止まない、ランスは慌てて叫ぶが、レオンが手を止める事はありえない。
「バキィン!」
音が響いてランスを覆っていた甲殻が割れる。むき出しになった上半身をレオンは袈裟に斬り下ろした。
血しぶきを上げながら絶叫するランスを戦場にいた皆が見ていた。クライヴは魔物の最後の一体を切り捨て、ソフィアと共にレオンの元へ向かう、剣を地に突き立て何とか立っていたレオンも体力の限界に後ろに倒れる。ソフィアがレオンを受け止めてクライヴがその身を支える。
「レオン!レオン!勝ったよ、勝ったんだよ!」
ソフィアが目に涙をためてレオンに話しかける。
「レオン様、お見事でございます!」
クライヴもレオンを称えた。レオンは朦朧としながらも二人の顔を見ると微笑んだ。
「二人共無事か?皆は無事か?」
ぼろぼろになりながらもレオンからでた言葉は皆を気遣う言葉だった。ソフィアはレオンを優しく抱きしめて回復魔法をかける。
「レオン、頑張ったね」
「ああ想像以上の成長ぶりだよ」
頭上から突然聞こえてきた声にソフィアは驚く、クライヴが大剣を構えた先には、ランスを抱えた魔族が宙に浮いていた。レオンは霞む視線の先にいるその魔族を見て言う。
「魔王アラヤ、お前が魔王アラヤだな」
「そうだ、我が魔族の王アラヤだ。オールツェル王国を滅ぼし、貴様の父を殺した。見えるのは初めてだなレオン」
レオンはエクスソードに手を伸ばそうとするが、体に力が入らない。
「やめておけ、我はもう引く。ランスを回収しに来ただけだ。こんな奴でも使い道が色々とあってな、しかし倒すとは少々驚いたぞ。その調子で各地を巡れ、王国にてお前を待っているぞ」
それだけ言うと魔王アラヤは突然姿を消した。それと同時にレオンも意識が遠のき、ソフィアの腕の中で気を失った。