十八話
魔王城では、魔王から治療してもらった体がようやく馴染み、支障なく動けるようになったランスがいよいよフィオフォーリ侵攻に動き始めていた。
静養の最中で自らが配置したキマイラを始末された事を感じ取っていたランスは、使えない駒を捨てて、新たな魔物を研究して能力等を弄っていた。魔物の母体としたのはオールツェル王国に住んでいたエルフの女で、その見た目はすでに人のそれではなく、体が破裂しかけの風船の様に膨らんで、魔法と薬品、それにランスの能力で改造された体からべしゃべしゃと魔物を産みだす為だけの存在となっていた。
生み出した魔物は、体中から悪臭を垂れ流し絶えず腐肉が剥がれ落ちる、フィオフォーリで殺したエルフの見た目をあえて醜悪に再現した人型の魔物、ランスからメルトドールと名付けられた。性質状頑丈な作りには出来なかったが、倒せば倒す程大地を汚染し、木々を腐らせる腐肉をまき散らす。さらに見た目は顔見知りや身内であったかもしれない同族の誰かと、精神攻撃と嫌がらせを込めた雑兵を大量に作り上げた。
メルトドールは痛みと苦しみを口にして、埋め込まれた生前の記憶から意味もなく名前を呟く、それに油断して近づいたり殺す事を躊躇すれば猛毒の爪を突き刺し絶命に至らせる他、体が頑丈に出来なかった代わりに備えられた強力な膂力で相手の体を手で引きちぎる。
この雑兵メルトドールを一斉に襲い掛からせて対処に苦慮しているタイミングで、動物を使って作った魔物を送り込む、メルトドール諸共エルフを攻撃するように命じてあるので、何らかの形でメルトドールが無力化され止められても、魔物の攻撃によって強制的に汚染をばら撒く事が出来る。ランスにしてみればフィオフォーリが死の土地になろうとも関係がない、エルフという魔物を作る材料さえ手に入ってしまえば目的は達せられる。
その上木々や土地が穢されていけば木神の力を大幅に削ぐ事が出来る。そして手に入れた材料を使ってしまえば木神に力を与えるフィオフォーリの民は居なくなる。上手くいけばランスにとってこれほど都合のいい事がない。
「目にもの見せてくれるぞゴミカス共、そして騎士クライヴ、貴様は僕直々に殺してやるぞ」
ランスの目はギラギラと燃えていた。怒りをフィオフォーリの民で鎮め、屈辱をクライヴで晴らすつもりであった。
レオンとクライヴは手合わせをしていた。レオンの勢いを乗せた重く鋭い一撃も、大剣を巧みに使っていなして捌き、流れるような動きで返しの一撃を振るう。レオンはそれを紙一重で避けるが、すぐさま追撃の一撃がクライヴから放たれ思わず剣で受けてしまう、大剣の重さと最小の動きで最大の力を伝えるクライヴの剣技が合わさり、受け止めた衝撃の大きさでレオンは吹っ飛ばされる。
受け身を取って剣を構えた時には、すでにクライヴはレオンの近くまで踏み込んでおり首筋に大剣を当てられていた。
「まいった。降参だ」
「どうですか?これでも戦力として不安だと?」
クライヴは剣を鞘に納めると不敵に笑った。
「まさか、大怪我を負ったというのにこれだけの動きをするのに認められない何て誰も言えないよ。すでに歩き方も立ち振る舞いも姿勢も依然のまま、むしろさらに洗練されている。まったくクライヴには驚かされるよ」
レオンも剣を納めて言う、剣技の冴えも攻撃の重さも腕を失う前よりはっきりと上がっていた。
「私もレオン様に追いつかれないように必死なんですよ。貴方の成長は目覚ましいですから、森羅の冠はどうですか?」
クライヴに言われて、レオンは右手で森羅の冠のこめかみ辺りにはめ込まれている宝石に触れる、触れた宝石と反対側の宝石が反応して、レオンの目を覆うように薄緑色のバイザーが展開される。レオンから見る視界に色の変化はないが、膨大な情報がそこには映し出されている。
「シルヴァン様から一通り説明してもらったが、まだ上手く使いこなせないな。この力に頼りすぎても駄目だし、使いこなせないのはもっと意味がない、慣れていくしかない」
森羅の冠は込められた魔力で頭部を強固に保護するのは勿論の事、その真髄は神樹を通して得られる膨大な情報と、その蓄積によって導き出される自分にとっての最適な動きをサポートしたり、敵の次にとる行動を予測する力にある。神樹は世界中にその根を伸ばし情報や魔力を吸い上げ、それを葉の一枚一枚に貯め込むと言われている。神樹と繋がる事の出来る冠は蓄積された英知のすべてを手に入れる事に等しい、バイザーは目と顔の保護だけでなく、情報を視覚化するための装備でもある。
「行動の最適化に未来予知、神器というのはやはり凄まじいですね」
「ああそれだけに危うい面もある、きちんと理解してその上で自分の物にしなくちゃな」
レオンはそう言うともう一本と気を吐いて剣を構えた。今度はバイザーを展開したままだった。クライヴもそれに応えて剣を構える、二人の力がぶつかり合う音が響き渡り枝で休んでいた鳥が驚いて飛び去った。
瞑想を続けるソフィアは、やがてその意識を近くて遠い神の元へと送った。
「待っていたぞ星の神子」
現れたのは木神、失った力を取り戻しつつあるのか、以前ソフィアと相まみえた時より覇気が戻ったように見えた。
「お待たせしました木神様、お加減は如何ですか?」
「うむ、お前達が木の神子を目覚めさせ、神樹を解放してくれたお陰で大分儂の力も取り戻す事が出来た。改めて感謝するぞ」
「私は神子として出来る事をしたまでです。木神様を想って行動した民達の力が現状を変えたのです」
ソフィアの言葉に木神は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「大したものだソフィアもオールツェルの者も、行動を起こしたのはフィオフォーリの民達だが、皆を繋げたのは間違いなくお前達の覚悟と意志だ。レオンと言ったかな、あの青年眩しいくらいに真っ直ぐだ。良く支えてあげなさい」
木神の言葉にソフィアは迷いなく答える。
「はい、私とレオンは二人で一つですから」
「そうか、そうであったな星の神子よ。儂の力をそなたに授ける、木の加護は風や雷、木々を操る魔法を授け、生命力や身体能力を向上させる力がある。エクスソードはそなたを通して木の加護を受け、その所有者レオンにも木の加護が宿る、存分に活用せよ」
木神かそう言うと神授の杖の宝玉が緑色に輝き始めた。それが収まるとソフィアの右手が熱くなりだした。
「ぐっくぅぅ」
ソフィアが熱さに耐えていると、右手の甲に木神を表す紋様が刻まれていた。それが刻まれると体の魔力と加護の力が溶けてまじりあうような感覚があり、星の加護と完全に混ざって調和したのが分かった。
「木神様、今のはいったい?」
「本来加護を受けられるのはその神の神子のみ、星の神子は唯一他の神々の加護を身に受ける事を許された存在、その身に宿した星の加護と木の加護が強く引き付け合い混ざり合う事で絶大な力を生み出すのだ。星の神子として一つ試練を乗り越えたとも言える」
ソフィアは刻まれた紋様を眺める、確かに奥底から底知れぬ魔力が自分に宿っているのを感じられた。
「ありがとうございました木神様。私もう行かないと」
「ああ行け星の神子よ、神と人を結ぶ者。世界を頼んだぞ」
瞑想が解けてソフィアは元居た場所に戻る。外に出て眩しい日の光に目を細めていると、サラが大急ぎで駆け寄ってくる姿が見えた。
「大変だソフィア!とうとう魔族が姿を現した。今レオンとクライヴ殿が父上たちと軍議を行っている、ソフィアも急いでくれ」
状況が動き出した。雫の泉での時何も出来なかった自分とはもう違う、ソフィアはサラと一緒に走り出した。
軍議の場ではシルヴァンが忙しそうに指示を出しながら情報の振り分けをしている、代表達もそれぞれで意見を出し合い防衛の為の案を出し合っていた。
レオンとクライヴに合流したソフィアは、今の状況を聞いた。
「物見によると魔物の大群とそれを率いるように件の魔族が森を進んできているそうだ、しかしちょっと気になる事があってな」
「気になる事って?」
レオンが言った事にソフィアが質問する。それにクライヴが答えた。
「魔物の被害に遭って死んだ母親の姿を見たとか、世話になった叔父がいた等と言っている者がいるようです。本人ではなく魔物だと思いますが、兵が動揺していて締め付けが必要なようです」
「その魔物ってもしかしてあいつが作ったのかな?」
「恐らくそうでしょう、魔物をいじくる能力があると奴自身が言っていましたから、心理的な揺さぶりでしょう。しかしこれはシンプルですが効果的です」
クライヴがそう言うと、代表達に混ざって軍議に参加していたサラがレオン達の元に駆け寄ってきた。
「聞いてくれ、報告にあった魔物を何人か生前の姿を知っている者に裏を取らせたら、顔は確かに本人その物だった様だ。だが同時に魔物である事も確認できた」
「何?それはどうして分かった?」
サラの言葉にレオンが驚いて聞く。
「魔物は大群だが歩みが遅い、ぎりぎりまで近づいて確認してみたら、体の肉が腐っていた。そいつらは強烈な悪臭を漂わせながらぼとぼと腐肉を落として進む、これが生き物か?」
サラの言葉には怒りと憎しみが込められていた。唾棄すべき悪趣味な嫌がらせにレオンも腸が煮えくり返る思いだった。
「皆集まってくれ、方針を決めた。今から説明する」
シルヴァンが集合するように声をかける。その場にいた者達は皆集まって話を聞いた。
「まずあの醜悪な魔物をフィオフォーリに近づけてはならない、打って出て迎え撃つぞ。木の上や木陰に弓兵を配置して、地上ではバリケードを設置して歩みを止める、抜かれてもいいように幾重にも重ねて設置しろ。動きが鈍化してしまえばただの的だ、一斉に射抜いてやれ」
シルヴァンは部隊に役割と配置を言い渡す。代表達は責任者であり各部隊の隊長としての役を与えられて、兵からの報告をつぶさに報告して共有する事が決まった。
「魔族が連れてきた魔物は、推察するにこの森で魔物に殺された者達の姿を模している。知り合いがいれば動揺するだろうし、身内がいれば躊躇いも出るだろう、しかし忘れないでくれ。死んだ者は生き返る事はない。これは魔族の卑劣な策であり、相手は魔物だ。死したものの尊厳を踏みにじる魔族と魔物を許してはならない、迷いが生じた時は思い出してくれ、今を生きる仲間達の顔を、愛するこの森に生きる民達を、さすれば迷いは消え勇気へと変わるだろう」
シルヴァンが以上だと言うと、皆一斉に準備に取り掛かった。サラも自分の隊を引き連れて出かけて行く、すべての人がはけて場に残ったのはレオン達とシルヴァンだけになった。
「レオン様、ソフィア様、クライヴ殿、貴方達には一番危険な任に就いてもらいます」
「勿論です。申し付け下さい」
レオンが間髪入れずに答えるものだからシルヴァンは少し面食らう。
「内容も聞かずに答えていいのですか?」
「いいのです。言われずとも最前線に立つつもりでした。こちらからお願いするべきでもあります」
「確かに私は最前線にて戦うよう指示するつもりでしたが、何故それが分かったのですか?」
「それが私に求められている事で、私が成すべき事だからです。誰よりも危険な戦いに臨んで、一人でも多くの人を助けたい。これはオールツェル王家としてだとかエクスソードを持つ者だとか、そんな理由で言っているのではなく私の本心です」
レオンの迷い無き答えに、シルヴァンは感嘆する。その真っ直ぐな瞳を見ていると、何故か勇気が湧いて来るようだった。
「改めてお願いします。最前線にて戦い一人でも多くの兵を守ってください、そして裏で糸引く魔族を叩いてください」
「はいっ!」
レオンは大きく返事をする、ソフィアもそれに頷いて、クライヴも命令に敬礼で返した。
フィオフォーリの命運を握る戦いの火ぶたが切られた。