1 泥団子 公爵様と出会う
◇◇
ジェレッドは途方にくれていた。
昨夜の雨で冬越し用の薪小屋の一つが流された、という連絡を受けて裏山へやって来てみれば、そこに下働きの男たちが集まっていた。
「早朝にお騒がせして、申し訳御座いません」
そう頭を下げる壮年の男は、永年この森を管理している樵束ねのロキ。
この森の木は近年技術が飛躍的に進んだ製紙工場へ卸しているもので、森への負荷が掛からないように伐採と植樹のバランスを考えているのだが、未だ木の成長と伐採のルーティンが上手くいかず、大雨になると時々こういった小さな被害がある。
「問題ない。それより、他に被害がないかを早急に調べて欲しい。人手が必要であれば言って欲しい」
腕組みをしてぐるんと辺りを一目する。
異国の血を色濃く現す赤毛は、高位貴族にしては珍しく短く刈られ、ただ、前髪だけは瞳の色を隠すように顔を覆うほど無造作に垂らされていた。
ジェレッドは誰とも視線を合わせない。それは永年の癖というか、最初に知り得た身を守るすべであったため、今ではこの不自然を主の自然として回りに認知させているほどだった。
ジェレッドは他者の視線を外すためぼんやりと眺めていた傾きかけた薪小屋に違和感を覚え・・・・一歩、二歩と足を進めた。モゾモゾと動くその違和感はやがて確信に変わった、が・・・ドウスルコレ・・なのである。
泥まみれの小さな生き物……らしいもの?
泥団子の前にしゃがみこんで、側にあった枝でつっいてみる。
その泥団子はぬくっと先ほどよりは大きな動きをして、多分それが頭の位置なのだろうものをジェレッドへ向けた。
「ぶぅーっ!……っぺっぺ」
「んッ! なっ、」
泥団子のペッぺ!から噴射された泥粒が勢いよくジェレッドの顔へ吹きかかる。
「だれ? そこに誰かいますか? スミマセン、目が、泥が目について、開けられません。タオルかなんか貸していたたけますか?」
泥団子が喋った。どうやら人らしい!
ジェレッドは周囲を見る。
誰か手の空いているものは・・・が、居るわけがない。皆、与えられた仕事以上の仕事量に懸命だ。ならば……と、自分がどうにかしなければならない。
森に迷い込んでしまった領民かもしれないし、森に潜んでいた移民かもしれない。どちらにしても、このままということには出来ないだろう。一度大きく息を吸い込んで泥団子の襟もとらしい位置の布をむにゅっと掴み泥から引き上げた。
ぐぇッ!
泥の中に埋まって永遠と思える暗闇にいたハルは漸く助け出された悦びに・・・
「すみません。助かりました。ありがとうございまふ」
…… 噛んだ。
噛んだ拍子に「ふ」の発音でまた泥粒とんだよね。泥んこで見えないけど自分の口からぺってなんか飛んじゃった感覚は分かるもの。「すみません、すみません」とにかく謝る。命の恩人だもん、謝ってから、出来ればシャワーを貸してもらって家に連絡しなければ。
「お前は何処から来た」
漸く渡されたタオルとは違う、薄い布っぽいもので目の回りの泥を拭き取り・・・アレ? その違和感に疑問符です。
目の前の大きな男は自分の周りにはいない赤い髪の、イメージでだけ存在しているような、均整のとれた凄まじく2.5次元な物体だった。物体なんて言ったら失礼なのかもだけど、これを せいぶつ のカテゴリーに入れてしまうには尊過ぎるような気がして、躊躇してしまう。
空気感中世半端ないです。
「…… あのぉ、若しかして撮影か何かの邪魔をしてしまいましたか?」
「すまないが、言っていることがよく分からない。一度屋敷にもどって警備のものに言いたい事を詳しく話して欲しい」
「あ、はい。お手数お掛けして申し訳ありません」
警備? 多分駐在さんとかそういうのかな?
母の実家は小さな過疎地で、所謂限界集落とカテゴライズされている地域なので、駐在さん夫婦と消防団の人たちが村を巡回しているような状態のようです。多分連絡して此方に来る頃には昼過ぎになるのかな? 捜索隊の人たちじゃなさそうだしご迷惑の範囲が大きくなくて良かったなー、という小市民のドキドキと安堵をない交ぜにして、ハルはジェレッドの後ろをひょっこらひょっこらついて、山を下りることになりました。
ん? 裏山にこんなとこあったかな・・・