第八話
ジジッ……ザー――ピー、ガッ……ジッジジ――サーー
耳障りなホワイトノイズが頭に響く。脳内に直接送られてくる音声信号は耳を塞いだところで何の意味もなく、ただただ不快な感覚が僕を襲い続ける。
「Vの者……?」
僕の目の前には今なおMirageにより投影された仮想モニターの中に表示されている、自らをフォルテと名乗る女の子がいる。いると言う表現が正しいのかはわからないが。
顔半分が埋もれるほどのダボっとした黒と青のアウターに身を包み、ハーフアップにしたモノクロの髪の毛は、重力に反してふわふわと揺らめく。
年齢は中学……いや、小学校高学年ぐらいだろうか。
とにかく数年前から大ブレイクを果たしたバーチャルタレント、その新規個体と言われても信じてしまいそうなほどに、彼女は非現実的な見た目をしていた。
正直、この格好で出歩いていたら通報間違いなしなレベル。
先ほどまであった地下への階段。その場所にある大きな樹木に背を預け、芝生の上に座り込み、改めてフォルテと対面する。
「ここなら公園にいる人達からは多分死角になってるでしょ。流石に仮想の女の子と喋ってるなんて痛すぎる」
Mirageには電話の機能も勿論あり、昨今手ぶらでイヤホンすらつけず一人で喋っていると言うのもさほど不思議な話ではないのだが、まあ、僕の心情的なものを考慮した結果だ。
あのIronRabbit氏の作ったアプリだ。とんでもないことを言い出しても不思議ではない。そんな話をしているところを見られたら僕まで変人扱いされるかもしれない。
「――っと――ちょっと! ちょっと聞いてるの⁉︎」
「うわ⁉︎ な、なにさうるさいな!」
周辺を気にしながら呆けていた僕の意識は、フォルテの大きな声により引き戻される。
「なにさーじゃないわよ。せっかくの第三者とのコミュニケーションを取る機会だから気合入れてたのに、速攻無視を決め込むなんて、ひどい仕打ちを受けたわ。なにさーわこっちのセリフだっての」
どうやら僕が彼女を無視していたことが不服らしく、随分とご立腹のようだった。
「い、いや、別に無視してたわけじゃなくて、君? というかそのソフト? は、まぁある意味機密データみたいなものだし、あまり人目につかないほうがいいのかなと思って」
それっぽい言葉を並べてお茶を濁そうと思ったが、その考えすらも彼女には筒抜けのようで。
「何言ってるんだか。Mirageのデータは意図的に共有しない限り使用者、つまりあんた意外からは観測も干渉もされない。それぐらい知ってるわよ。はい論破。もう少しまともな言い訳考えなさいよね。バカにしてるの?」
「ぬぐぐぅ……」
フォルテから発される正論に、僕は小さく唸ることしかできない。
「それにMirorRabbitはこちらからの承認なしに共有機能をオンにできないようプロテクトがかけられてるわ。あんたみたいな素人の心配なんて無用よ」
勝ち誇ったような表情で両腕を組み、僕を見下し鼻を鳴らす。
仮想モニター越しのせいで、少女に見下される構図が取れてしまう。けしからん。
「まあいいわ。気持ちだけは受け取っておいてあげる。その真理は問わないで置いてあげるわ。寛大なあたしの心遣いに感謝しなさい」
「は、はぁ。それはそれはどーも」
どうしてこのAIはこうも高圧的なんだ。AIなんてもっと無機質でいいじゃないか。機械的に仕事さえしてくれればそれでいいのに。感情なんて高度なものは求めてないんだよ。IronRabbit氏は映画とか見ない人なの?感情を持った人工知能とかロボットの末路なんてみんな同じなんだぞ。開発初期段階で危ないとは思わなかったんだろうか。
というかこういうのって最初は従順で、徐々に高圧的になっていくものじゃないの? 最初からこれじゃ反乱起こす気しかないじゃん。未来が不安だ。
「あによ」
「い、いやなんでもないよ。AIなんて始めてみたから」
ぱっと見る限りアプリウィンドウには彼女しか写っていない。ユーザーインターフェイスが一切見当たらないのだ。
これじゃ強制終了以外でこのアプリを落とすことすらできないけど、流石にバグでは?
「もし設定でこのSっぽい性格を初期の性格にしてあるなら、IronRabbit氏はドMだな。僕にはわかる。あの見た目でドMとか犯罪では」
そもそも二〇二五年においても高度なAI――人工知能と言えるような代物は確立されていないはずだ。人間の脳が解明されていない以上、どこまで行っても劣化でしかない。
人の記憶を抽出してAIを作るみたいな話もあったが、これも失敗。
なのにこのフォルテと言う少女は、まるで本物の人間と会話しているかのような感覚に陥る。
生身の人間と電話していると言ってもおかしくないレベルだ。3Dモデルも非常にクオリティが高く、若干のラグが発生することもあるように見えるが、モーショントラッキング特有の不自然でぎこちない挙動や服や髪などの貫通などは見られない。
服の装飾もテクスチャではなくしっかり全て造形されている。ここまで釣り込んであると、服の中身がどこまで作り込まれているのかが気になる。エロゲならここでシーンが挟まるレベル。
「ねえ、そんなにじっと見つめられると恥ずかしい――じゃない。気まずいんだけど?」
出来の良い彼女の体をまじまじと観察していると、ほんのりと桜色に頬を染めたフォルテがしかめっ面で言う。
このAI、恥ずかしいって感情や、頬を赤く染めるなんて表情差分まであるのか。時代はいつからこんなに進んでいたんだろう。
IronRabbit氏が言っていたように、表向きには滞っている研究や、未発表の研究なんかが世界には多く存在していて、AI技術も実はもうこのレベルまできているのかもしれない。
下手に公開して軍事利用なんてされたらたまったものではないし、細心の注意を払い、然るべきタイミングで公開するために秘密裏に準備しているとか、あり得る。いやあり得ないか。厨二乙。
そもそもネットが小学生にまで普及している時代だ。いくら秘密保持を徹底していても、リーク情報は出回ってしまう。
そういうこと専門に活動するハッカー集団も居るぐらいだ。
「いや、うん。まぁ実に興味深い。あんなオカルト話より、IronRabbit氏にはモデル制作の話やAIについての話を聞きたかったな。いや教えてくれるかは別だけどさ」
「ねえ、さっきから何なのあんた? 何か用があってあたしを起動したんじゃないの? 用がない上にあたしの話し相手にもなってくれないなら、あたしは落ちるわよ。体を舐め回すように見られるのも不快だし」
「え、あ。ちょっと!」
言うが早いで、僕が止めるよりも早くアプリが強制終了されてしまった。




