第九話
僕が初衣へと視線を向けると、初衣は「なんですかー?」 と声を漏らした。
「あぁ、要するに不特定多数の人間――と言ってもここでは二人だけだが。が同じ幻覚を見ているのが問題なわけか」
「え、複数人で同じ幻を見ることってあり得ないことなんですかー? でもテレビとかだとよく……」
和人の一言で、初衣は自分に視線が向けられて意味を察する。
「いや、まぁあり得ない話じゃないんだけど、あまり現実的ではないよねって話だよ」
事実、集団幻覚の事例は確認されているし、感応精神病と言われ、一人の妄想が第三者に影響を与え妄想を共有する現象があることを、病院から帰った後調べて知った。
また、特殊なガスを用いて感応精神病に近い症状を人為的に起こしたとも記載がある。
あの場にいたのは僕と初衣。それと妄想の存在だと思われる少年の三人。他人の妄想に汚染されたと考えるよりは、ガスなんかで集団妄想を引き起こしたと考えるのが妥当なところか。
「例えばなんですけど、あの霧に紛れてその特殊なガス? みたいなのが漂っていたなんて可能性はありませんかー?」
「僕も最初はその線を疑ったけど、そもそもその霧事態が幻覚の一部の可能性の方が強くなってるんだよ」
「あ、そっか。キョーヤと初衣ちゃん以外にその霧を見た人はいないんだもんね」
遥かが手をポンと叩き納得したように頷く。
「そう。だからそれより前になんらかのアクションがあるはずなんだ」
その日のことを思い返しても、何かトリガーになりそうな事象に心当たりはない。
「僕はその日、優希と一緒に秋葉原に出かけて新作VRガジェットの試遊をして帰ってるけど」
僕の言葉に優希が小さく首を横に振る。
「私は霧なんて見てないからね。無関係と考えられる」
「だよなぁ。幻覚の発症はその後の帰宅路で起きていて、その間僕は寄り道とかはしてない」
八方塞がりな現状。初衣にも話はすでに聞いてある。
その日は姉のことで警察署に両親と向かっていて、その帰り道で僕を見つけたと。
小さくため息をついた僕に、優希から疑問が投げられる。
「というか、なんでそんな真相というか過程に拘ってるわけ? 別に実際あんたらは生きてる。それで問題はおしまいの話じゃない? まぁ病院にまで行ってる大ごとだし気になるのもわかるけど、そんな深刻になることなのかね。これより先は私たちじゃなく警察とか公的機関が対処する案件になってこない? といっても今の話をして取り合ってもらえるかは疑問だけど」
優希の言うことはもっともなのだが、ずっとなにかが引っかかっているのだ。
「僕、以前にも同じような経験をしてる気がしててさ。全然詳しくは覚えてないんだけど」
どう言葉にしていいか迷い、それだけ告げる。
ずっと昔、無くしてしまった記憶のどこかで、同じような経験をしていた気がする。
もちろん確証なんて存在しない。
「ま、いいんじゃねーの? 俺ら超常現象研究部な分けだし、もしほんとにそんな超常現象じみた集団幻覚を体験して、何か掴めたらすごいだろ。なんかワクワクするよな。な? 部活以上のことをしてる感じがしてさ。下手したら世紀の大発見! みたいな?」
バンッと僕の背中を和人が力強く叩いた。
「実際俺らのやってるのって奇妙な事件をまとめて記事にしてるだけだろ? オカルト専門の新聞部みたいじゃん。ここは挽回のチャンスだろ。な? そうだよな鏡夜」
その言葉を合図に、皆の表情が少しほぐれた気がした。
和人なりに気を利かせてくれたのかもしれない。そう考えると、叩かれた背中から、痛みとともに重みも抜けたようにさえ思う。
「ま、キョーヤも初衣ちゃんも無事だし、深く考えないで、次の研究題材にでもしよーよ」
そう言って遥はペーパーナプキンを一枚広げて、可愛らしい丸文字と、なんとも言えない兎のキャラクターのイラストを描く。遥の絵のセンスは絶望的だった。
【実体験! 集団幻覚の謎を追え!】
そんな風に書かれているのを見て不意に笑ってしまう。
「変かなぁ?」
「いや、いいんでねーの。俺ららしいし」
僕らの雰囲気について行けていない様子で初衣がおどおどしていた。
「ご、ごめん。わざわざこんなところまで呼び出してこんなぐだぐだになっちゃって」
「いえいえそんな。あたしは夢か現実か、先輩が生きていることを確認したかっただけなのでー。というかなんかもうしわけないです。あたしが居たせいで変に話を複雑にさせちゃって」
逆に申し訳無さそうに手を大げさに振る。
「そんなことはないよ。鏡夜絶対追い詰められないと自分が体験したこととか全部話さなかっただろうし。話を聞き出すきっかけになってくれてむしろ感謝してるよ」
優希が僕を横目にいたいところを突いてくる。
「ま、まぁそれはそれとして、今日は僕がおごるから、遠慮なく食べてよ。それでまた今度、君の家の方が落ち着いたらお姉さんの話を聞かせてくれると嬉しい。ブログにメッセくれた件ね。まあ、僕たちに何ができるかわからないけど、僕らなりに色々と情報を追ってみるからさ」
「は、はい。よろしくお願いします!」
そう言うと、初衣はぎこちなく笑う。どことなく緊張しているようだ。
僕たちは話を聞いて、実際一体何が出来るのだろうか。正直なにかの力になれるとは思えていない。なんの変哲もない高校生の僕たちになにか出来るだなんてうぬぼれにも程がある。
ただ、話してスッキリすることもあるし、とにかく話だけでも聞いてみようと、そう思ってる。
IronRabbit氏なら、なにかわかるのだろうか。彼はコメント欄に書かれたUIの話に耳を傾けたのだろうか。
前回の記事以降、数日セカイノオワリはブログを更新していない。もともと頻繁に更新されるサイトではないが、VRイベントの件とか記事にするのかなってちょっと期待してたんだけど。
はぁ……行方不明者を探すなんて、どうすればいいんだろうか。それも六百六十六人の集団失踪の一人を。警察だってなんの手掛かりも掴めていないのに。
何かフォローを入れようとしたところで、階段を降りてくる人の足音が聞こえてきた。
「そろそろ注文決まったー?」
タイミングを図ったように奈々が顔を出す。
「あ、ごめん。まだ全然見れてないや。えーっと……とりあえずオススメで適当にもらっていいかな」
「適当に私が見繕っていいの? ほんとに? お代は高くなるよ?」
「あ、えっとあんま高過ぎない程度でお願いします。高校生のお財布事情を考えてくれるとなおよしで」
奈々の口元がにやりと歪んだ気がして、とっさに切り返した。
「なはは。了解。とりあえずサラダとドリンクだけ持ってくるからちょっと待っててねー。クルトンマシマシで持ってきてあげるから」
「別にそれはいいんだけど……」
僕の声が届いたのかはわからないまま、くるりと今きた道を戻っていく。
「あ、そだ。盗み聞くつもりはなかったんだけど、いろいろ聞こえてきちゃってて、それで気になったんだけど」
申し訳無さそうに短い髪の先をいじる。
「ご、ごめん。なんかちょっと物騒なこと言ってたって言うかなんと言うか」
「いやそれは別に。他にお客さんもいないしね。後言ってくれれば追加費用なしで会議室も開けれるから、次からは言ってね」
「それよりも」と奈々は続ける。
「さっき話してた霧の話がね、少し気になって」
「霧?」
「そそ、霧。私も見たんだよねー、霧。大学の友達とか、親とか、誰に言ってもそんなのはなかったよーって言うんだけど。それで、それを見たのが君と同じ日、VR試遊イベントの帰りなの」
奈々のその一言は、楽観視していた僕の気持ちを強く絞めた。
偶然なのかなー? と言う奈々の疑問の声に言葉を返す余裕はなかった。
VRイベントが原因の可能性もあるのか? でも優希は観測していないし、初衣に関してはイベントに参加していない。だからと言って無関係だと切り捨てられる?
せめて後一人、二人イベント参加者で観測している人がいれば……。
残念ながら知り合いで優希以外に参加したと言う話は聞いていない。そもそも知り合いが少ないが。
ならばネットの海を漁ろうとして、ここではMirageがつながらないことを思い出し、そっと手を下ろす。
一つ大きなため息をつき、一人天井を見上げる。
雨音は地下まで届かない。だが、僕にはその音が聞こえた気がした。
妄想の雨音。それは本当に、妄想だったのだろうか。




