第八話
とりあえずおすすめされた一番端のテーブル席に腰掛ける。
お洒落なカフェらしいガラス張りのローテーブル。手前と奥でデザインの違うソファーが特徴的だった。
大体お店の中の椅子なんかは統一されていることが多いが、小さい個人経営の喫茶店なんかだとよくある光景だ。見渡せば店の中のほぼ全ての椅子と机に統一性というものは見られない。
まぁそもそも席数も多くはないけど。
満席でも地下は六組といったところだろうか。
「ふぅ。やっと落ち着けたぁ。もうクタクタだ」
和人がソファーに埋もれるようにもたれかかりながら情けない声を漏らす。
「わざわざ新宿から渋谷まで出るってキョーヤが言った時はびっくりしちゃったよね」
優希もそれに同調するように大きく頷く。
「いやまぁ……なんだ。落ち着いた場所の方が話もまとまるかなと思って。部室に五人もいると何かと手狭になることもあるだろうし、一回行ってみたかったんだよねこういうお店」
ーー嘘だ。
いや、おしゃれなカフェに行ってみたかったのは嘘ではないが、とにかく出来るだけ普段とは違う空間で会話をしたかった。
仮に最悪の結果が導き出された時に、これは非日常だと逃げ道を作っておきたかったのだ。
部室は、数少ない僕の落ち着ける場所だから。その場所を侵されたくない。
僕が死んでいるなんて事、絶対にありえないんだ。
「おまたせー、お冷とおしぼりと――メニュー。後ブランケットね。決まったら机の上にあるベルを鳴らしてね」
「あ、ども」
優希は渡されたブランケットを広げて包まった。
厚紙数枚を束ねたような手作り感満載の薄いメニューを二つ渡される。カフェバーというだけあり、ドリンクメニューに関しては半数以上がお酒。残念ながら僕たちは皆未成年なので関係ない。
指差された先にあったのは、機械の呼び鈴ではない。その名の通りベルだ。振ると音が鳴るタイプのベル。お店で見ることなんてめったに無いでしょこんなの。
「へーこんな呼び鈴初めて見たよー! なんか面白いね! ね! キョーヤ!」
遥は少し興奮気味に早速ベルを手に取って鳴らす。カランカランという高い音は上の階までしっかり響きそうだった。
「ま、まぁあんまり見ないよね。というか他のお店じゃ見たことないかな。よくて卓上に置くタイプ。それさえも最近じゃほとんどみなくなってきデジタル化してるけど」
「だよねー私もここ以外で見たことないし、マスターの趣味的な? あんまり電子機器使わないんだよね。あ、ちなみにうちのお店、Mirageはなぜか繋がらないから、もし何かあれば外に出るか、スマホを使って」
腕につけたMirageを人差し指で差しながら申し訳無さそうに説明する。
「今どき店の中でMirageが使えないなんてことあんのかよ。地下にあるから……とかは流石に関係ないよな」
不思議そうに聞き返す和人に、奈々は苦笑する。
「うーん。地下鉄でもノイズ一つなく動くし地下だからってことはないと思うんだけど……それにスマホの電波は通るしね。とにかくMirageがつながらないって理由で、格安で借りてるんだって。ちなみにみなさんスマホはお持ちです?」
制服のポケットから自分の薄型のスマートフォンを取り出してみせてくる。
この場で持っているのは、優希ぐらいだろう。僕はタブレットは持っているけど、スマホは去年ついに契約を切ってしまっている。タブレットだって、ゲームをリモートするためのもので、基本は家のリモート用専用端末に接続されている。
優希はスマホを足に括り付けてあるポーチから取り出してみせる。
「おぉー、お仲間だー! 最近どんどん少なくなってるよねー。体質的にMirageが使えないからガラケーのときみたいに完全移行になっちゃったらどうしようってヒヤヒヤしてるんだよ――っと、そろそろ戻らないと。それじゃ、ごゆっくりー」
そう言いながら奈々は上の階へと上がっていく。
「慌ただしいな……」
とりあえずなにか注文をと思いローテーブルに置かれたメニューに伸ばした手を、隣りに座っている和人にはたき落とされる。
何をするんだよと睨んでやると、しかめっ面で口を開く。
「んで、結局のところどうなんだよ? 部室で言ってた話は本当なのか? 下手な前置きとかはいいから単刀直入に言えよな。こちとらわざわざ大雨の中こんな辺鄙なところまで来たんだぞあ、もちろんここの料金はお前持ちだからな」
「うっ……」
僕の心情などお構いなしに早速捲し立ててきたな。
覚悟はしてたけど、ちょっとは空気を読んでほしいよ。まずはご飯を食べ、その後話すと見せかけてフェードアウトしようと考えていたんだけど。
死人に口なしというが、僕は生きている。生きる死体。それって死体っていうのかな。
とにかくそんなオカルティックな体験に興味深々なのが見て取れる。僕だって第三者としてネットニュースや掲示板で見たら気になって追いかけるに違いない。
でも、いざ自分のこととなると、あまり思い出したくないことなわけで。
それにネットならともかく直接友人にコトが起きたら興味より心配が先に出ない? あ、友達じゃないとかそういうので?
「で、どうなんだよ死んだのか?」
そんなニヤニヤした顔で僕を見るな。人が死んだって言ってるんだからもっと心配するとかあるでしょ。というかストレートすぎるでしょ聞き方。
初衣も「ドン引きです」みたいな顔してるし。
みんなの視線を感じる。とりあえずなにか喋らないと沈黙に押しつぶされそうだ。
沈黙は嫌いだ。空気が重く感じるし、世界から隔離されたような気分になる。静寂は人を恐怖に陥れる。だから僕は咳払いを一つしてから口を開いた。
「い、いや僕が今死んでたらみんなと話してる僕はいったいなんなのさ。幽霊とでも? ないないみんなそんな霊感強くないでしょ。仮に幽霊同士で意思疎通ができたとして、だったらみんな死んでるってことになるし」
顔が引きつりそうになるのを必死に押さえつつも、早口になり、声は震えていた。
もう一度咳払いをして一呼吸置くことで冷静さを取り戻す。
大きく深呼吸だ。
落ち着け。どう取り繕ってもボロが出る。同じ記憶を共有している初衣もいる。もう僕だけの妄想の線は完全に消えたんだ。現実を受け入れろ。
遥の隣に座っている初衣に目をやると、困ったような顔をしていた。そりゃそうだ。自分が死んだ死んでないなんて話、常人じゃついて来れない。
僕は初衣の分まで説明しなければと、改めて口を開く。今度はなるべく冷静に。
「……正直なところ、死んだことがないから死んだかどうかなんてわからないわけで……三途の河を渡ったわけでもなければ幽霊になってさまよってるわけでも、無能な神様が現れてチートスキルを与えられ異世界に転生してるわけでもない。ただ――死に近い体験はしたのかもと思ってる」
ずっと頭の中で考えていたことを、僕は整理するように口に出す。
皆が息をのむのがわかった。僕の一言で空気が変わった気がする。
「あの日の夕方頃、凄い霧が新宿一帯に出てたっていうのは、その、全員の、というか世間的に共通の認識でいいんだっけ?」
「いや、正確にはわからないけど、霧なんて見た覚えはない……と思う」
優希の一言に、遥と和人がうなずくと、初衣は逆に首をかしげた。
「えっと、同調してるとこすごい言いにくいんですけどぉ、あたしは見ましたよ? というかあのレベルの霧を見てないなんてことあるんですかー?」
その回答により一つ目の矛盾点があらわになる。
僕も小さく頷き、一旦それを心に置き止めて言葉を続けた。
「僕が観測した時には、濃い霧で新宿駅付近が埋め尽くされてたんだ。自分がどこにいるのかもわからなくなるような。それで、気づいた時には見覚えのない場所にいた。正直なかなかに薄気味悪かったよ」
「まてまて、見覚えのない場所って、新宿なんて俺らのホームみたいなもんだろ? 流石に駅から家までの道をわからなくなるなんてことあるか? いくら霧が濃いとはいえ、一寸先は白景色ってわけではないだろ。それこそ異世界に迷い込んだとでも? オカ板のスレかよ」
和人が呆れたようにため息を漏らす。そりゃそうだ。きっと僕だって第三者ならそうした。だけどこれは紛れもなく自分で体験した現実。
「まぁ、いや、道が分からなくなったというか、世界が歪んでるイメージというか……なんていえばいいのか分からないけど、新宿駅で迷子になるのと同じような感覚だよ。知ってるはずなのに気づいたらループしている的な、出口のない迷路みたいな。意識的には家へと帰る道を歩いているつもりだった。実際に行動に起こし歩いていた。だけど、結果は家への道を歩いてはいなかった」
和人はよくわかっていないようだったが、遥はうんうんと大きく頷いている。方向音痴にはわかりみが深いらしい。だけど絶対方向音痴が原因じゃ無いと思う。
「何というか、思考が歪んでたみたいな?」
自分の思考、行動と結果が直結していない気持ち悪さ。いっそ洗脳で完全に自分の意思がなければいいのに、なんて思った。
あの気持ち悪さ、不気味さは味合わないとわからないだろう。
右に行こうと思い、右を向き歩き出したはずなのに、実際には左に向かって歩いていた。みたいな感覚。そしてそれを認識することはできない。
「それで迷っているうちに人影が見えて、その少年に――殺された。正確には死んでいるわけじゃないから、僕は“死んだ”という幻覚を見せられた、あるいは妄想をさせられたんじゃないかと思ってる。どこからが幻覚なのかは分からないし、それになんの意味があるのかも謎だけどね、死の直前の出来事があまりに非現実的すぎるし、こう考えるのが自然だ。実際、幻惑の霧とか言うし創作だと鉄板じゃん? まぁ、ただ……」
仮説にいくらか無理はあるものの、死んだ人間が今現在徘徊していると考えるより、第三者による洗脳の方がよっぽど合理的だろう。
問題は、観測者が僕一人じゃないという点な訳だけど。




