第一話
ふと目を覚ますと、見慣れない複数台の機械に囲まれた、無機質な部屋に僕は横たわっていた。
人の気配はしない。それどころか人が出入り出来そうな扉や窓がない。
換気ダクトすら見当たらない。完全なる密室。
何も聞こえない。風の音も、車の音も、電車の音も、人の声も。
ここがどこかはわからないが、なにか厳重な施設なのだろうということは容易に想像出来る。
僕がここにいる理由は全くわからない。
すべてが見えていて、聞こえていて、察することが出来た――はずだった。
なのに今は何もわからない。何も感じない。
そのことに僕は少し安堵する。
体が動かない。両手足を拘束されているせいか、それとも僕に動く意思がないからか。今となってはわからない。
何度も何度も体験した。そう、これは夢だ。
この後に待っている結末も、僕は知っている。
空間が一瞬、ノイズが走ったように揺れ、次の瞬間その場所には白衣を着た背の低い男――少年が姿を見せた。
眼鏡の位置を微調整して、その奥に潜む冷たい瞳で僕を見る。
―やあ、被検体〇〇三。今日はやけにおとなしいじゃないか―
「やあ、被検体〇〇三。今日はやけにおとなしいじゃないか」
白衣を着た少年が僕に話しかける。やけに可愛らしい、中性的な声。
その声色はどこか寂しげで、苦しげな気がした。
ほらね。声色まで一言一句同じだ。
それを聞き届けた後、僕は決まって目を閉じる。男がなにかを話しているが、僕の耳には何も届かない。
何も聞こえない。
ただ無音の世界が広がる。感覚もない。夢だから。
そして今日も目が覚める。
意識が覚醒する直前、いつものように新たな気配を感じて瞼を持ち上げると、一人の少女が姿を見せる。
白衣の男の後ろからひょっこりと現れるその少女に、僕は心当たりがなかった。
男は彼女の存在には気づいていないのか、気にする様子はなく淡々と未だ何かを話している。
「■■、見つけて。思い出して。私と貴方の……このままだと、世界は――」
いつもただそれだけを言い残す。
◇
瞼をゆっくりと開き、掛け布団を蹴飛ばしてみる。
「見つけてとか思い出してとか、なんなんだよ。って、まぁ夢に対してマジレスしても仕方ないけど」
ベッドから起き上がると、やけに体が痛かった。
十一月だというのに寝汗でシーツが湿っており、額をなぞると指には大量の汗がべっとりと絡みつく。
心なしか鼓動が早くなっており、指先にはじんわりとした麻痺感が残る。
掌には爪の食い込んだような跡がうっすらと残っていたが、特に痛みは感じない。
この夢を見たときはいつもそうだ。
目覚まし時計を見ると、まだ起きるには早すぎる時間を指している。
普段は家を出るギリギリまで惰眠を貪っているはずなのに、今は不思議と眠気は無い。
「夢のあの子と、僕はどこかで合ってるんだろうか」
そもそもあの子は僕の名前を呼んでいたのだろうか。どうしてもうまく聞き取れない。
もしあれが僕以外の誰かの記憶、夢だとしたら、どういう意味があるんだろうか。
「夢に意味なんてないよな」
カーテンの隙間から覗く空は薄暗く、窓を開けると寒いぐらいの風が僕の体の火照りを拭い去る。
先ほどまでと違い、外の環境音が僕の聴覚を刺激する。
夢と現実のギャップに現実酔いしそうになり慌てて部屋を見渡すと、パソコンのモニターだけが薄暗く灯っていた。どうやら少し休憩するつもりでベッドに転がり込み、そのまま寝てしまったらしい。
「よくない癖だな。この寝方は疲労を十分に取れないってわかってるんだけど、ついやっちゃうんだよね……」
どうやら部屋の電気は気を利かせて家族が消してくれたらしい。
感謝を胸にベッドから立ち上がる。
体を一捻りすると、キパキと体が鳴り、意識が完全に覚醒する。
そのままパソコンの前のゲーミングチェアへと腰掛ける。
二つのモニタにはαチャネルという大型匿名掲示板のオカルト板と、Yafooニュースが開かれていた。
両方とも扱っている話題は同じ。つい先日東京で起こった事件。
――東京都未成年集団失踪事件――
僕の通っている学校でも大々的に注意を促す集会が開かれた。最近はニュース番組もその話題でもちきり。
ここ数ヶ月の珍事件とともに、興味本位で今回の事件の祭りにも参加している。
――八月、東京都千代田区 集団人体自然発火事件
――九月、東京都豊島区 連続怪奇事件
――十月、東京都渋谷区 フラッシュ騒動
「で、十一月八日が東京都未成年集団失踪事件、か」
八月から毎月何らかの珍事件が起こっている。
しかもそれらの事件は解決したわけでもないのに、気がつくとテレビ等のメディアで取り扱われることがなくなる始末。
確かに死者が出ていたり大きな損害が発生しているわけではないが、前二つは原因不明で今後も危ないし、フラッシュ騒動に関しては交通インフラに少なからず影響を与えている。
そんな状況で報道されなくなるのは不自然だ。
ネットじゃ陰謀論まで上がっており、僕はそれに引かれて情報を集めだした。
なので僕が祭りに参加したのは九月の怪奇事件から。出遅れた感はあれど、今の世の中すぐに最新まで追いつけるので問題はない。
超常現象研究部の部長として放っておけないネタだと思った。
軽くニュースを漁ってみたが、これといって新しい情報も出ていない。
くだらない、下世話ばかりの見出しにうんざりする。
トラックボールの球体を回して検索バーへとカーソルを持っていこうとする途中、ブルッと体が震えてカーソル位置がずれる。開けっ放しにしていた窓から入る冷たい風に体が冷えたらしい。
窓を閉めて一度ベッドに腰掛けるが、やはり寝汗が気になり、寝なおそうと言う気にはなれない。
「仕方ない。シャワーでも浴びよう」
スライド式のドアを開けて自室を出る。
廊下のフローリングが寝起きの体を足裏からじんわりと冷やす。
まだ心地よい冷たさだが、もう少し経てば床暖房が欲しくなるだろう。
ちなみにうちには床暖房なんてないのでスリッパを履くか靴下を履くしかない。
「ん……?」
まだ夜も開けきらぬ時間だというのに、リビングは既に暖色で控えめに明かりがついていた。
眩しさに目を細めながら周囲を確認すると、ソファーに埋もれるようにして座る見慣れた後ろ姿が目に入る。
「遥? こんな時間にどうした?」
声を掛けると、白髪の少女――兎月遥が椅子に座ったまま僕の方へ顔を向ける。普段はコンタクトをしているが、今はリラックス仕様で赤の太枠メガネだ。
揺れる長い髪からほのかに甘い香りがする。
「おぉ? あ、キョーヤか。ちょっと目が覚めちゃったから喉を潤しにね」
そういうと手に持っていたロックグラスを揺らしてみせる。ロックアイスがグラスに当たる高い音聞こえてきた。
これでバスローブ姿でいたのなら、セレブの早朝のような感じで絵にもなったかもしれないが、寝巻きとして使っているジャージ姿では雰囲気などない。
試しにバスローブ姿を妄想してみたが、胸の無い体型のせいか、あまり魅力的ではなかった。なんというか、普通。
「ちょっと、なんか失礼なこと考えてない?」
何か言いたげな瞳で僕を凝視する。
「そんなことより、お酒は二十歳になってからだぞ。大人しくこっちにわたしな」
「スルーですかそうですか……。わかってるよお酒じゃ無いよ! ちょっとやってみたかっただけ。中身は普通に水道水だよー。どう? ちょっと大人っぽかったかな?」
期待するような眼差しにどう答えようか迷ったが、ここは正直に答えることにする。
「いや、特に変わらないよ。仮に大人っぽく見えてたとしても今の発言で全部台無しでしょ」
ブーブと文句を垂れながらグラスに残った水道水を一気に流し込む。
「と言うか、キョーヤこそこんな時間にどうしたの?」
「僕はほら、変な時間に寝ちゃってたから目が覚めたんだよ」
「あぁ。そういえば昨日はお風呂も入らないでさっさと寝ちゃってたよね。いくら冬であんまり汗かかなくてもお風呂ぐらい毎日入ったほうがいいと思うよー虫が湧くぞーハゲるぞー」
戯けた調子で言いながら、ローテーブルのバスケットに置いてあったキャラもののソーセージに手を伸ばす。おまけでシールやカードがついてくるタイプのものだ。
表情の豊かさについ吹き出しそうになる。
「わかってるって、ちょうど寝汗でべっとりだからシャワー浴びようと思ってたところ」
「ほえー。なんだったら背中流してあげよっか? なーんて」
「は!?」
思わず声が裏返ってしまった。
「えーなに顔赤くしてるわけ? 冗談だって」
「ったく。なんなんだよ」
控えめに手を叩いてニヤついている遥から目を反らして風呂場に向かうことにした。後ろで遥がなにか行っている気がしたけど、僕はそのまま脱衣所のスライドドアを閉めた。