第十一話
「本日はお忙しい中我が社のVRデバイス『G.A.T.E.』試遊イベントに足をはこんでいただき、誠にありがとうございます。私は開発責任者の安藤吾妻と申します。本日は短い時間ではございますが、司会進行を努めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
暗くなった部屋の最前部に映像が投影され、その映像が喋り出した。
「急な予定が入ってしまい、本日この場に足を運べなくなってしまったことを非常に残念に思います」
立体投影された安藤吾妻は深々と頭を下げる。
「皆様によりよい仮想世界を体験してもらう為に、ギリギリまで調整を重ねており、つい先ほどまで最終調整にあたっていたもので……」
パンフレットに目を通しながら司会の挨拶を聞き流す。細かなことはわからないが、非常に繊細な機械なのだろう。人の脳に干渉するのだから、念入りな調整が必要になるのはわかる。
安藤が指を弾くと、新たに映像が立体投影される。
「私の堅苦しい挨拶を聞くよりも、まずは実物を体験してみたほうがいいでしょう。こちらに出ている案内に従って準備をしてください。起動はこちらで同時にさせていただきますので、準備ができましたら、各席右側についている赤いボタンを押してください」
僕らは安藤の横に表示された案内を見ながら準備をする。
身につけているカバンなどをカゴに入れ、後ろから伸びているドーム状の機械を引きつけ、その下に頭をくぐらせる。
内側にメカメカしい装飾などを期待したが、びっくりするぐらい装飾はない。色も黒で統一されており、僕の視界は覆われてしまった。
手探りでボタンを探して押し、準備完了を知らせる。それからしばらくして安藤の声が聞こえてきた。
「みなさん、準備はできましたでしょうか。それでは、快適な拡張された世界の旅を、お楽しみください――」
その言葉を合図にマシンが唸る。椅子の内側で機会が激しく動いているのか、妙に揺れを感じた。
脳への干渉の影響か、体の内側から不快な感覚に襲われる。どこかで同じような不快感を感じたことがある気がするのだが、今は思い出す余裕がない。
本当は機械の振動ではなく、実際に地震が起きているのではないかと肘置きから腕を上げようとした直後、ピタリと揺れは収まった。
相変わらず僕の視界は黒く覆われたまま変化はない。
「優希? 何か見える? 視界が真っ暗なんだけど」
声を潜めて隣に座る優希に尋ねるが、反応がない。
「優希?」
聞こえていないのかと思ってもう一度呼びかけるが、同じく反応なし。
何かがおかしい。妙に静かだ。興奮の声や先ほどまで唸っていた機械音もしない。
まるで僕以外の誰も、なにもいないかのように。
そもそもフルダイブ型のVRって、入ってしまった後に外音の取り込みやそもそも口を動かしてリアルで喋ることができるのだろうか。
流石に安全性への配慮等でできる気はするんだが……。
「僕の機械だけ壊れてる、とか?」
それにしたって主催側は何してるんだ。
僕は不安になり、思い切ってドーム状の機械から頭を引き出してみる。
「――――っ」
言葉が出なかった。
自分の置かれた現状を理解するのにたっぷり十秒はかかっただろうか。
さっきまで沢山の人が居た空間に、今は僕一人だけが存在している。椅子に座っていたはずの老若男女が――消えた?
そもそも僕の座っていたVRデバイスを除き、すべての椅子が綺麗さっぱりなくなっている。だだっ広い空間に、ポツリと機械が一つあるだけ。
「も、もしかして、ここがもう既にVR空間だったりするのか?」
だとしたらいくらなんでもリアルすぎる。声もはっきり聞こえるし、体の重みもしっかり感じる。着ていた服まで再現されている。
腕をつねってもちゃんと痛みを感じるし、赤く跡が残った。
それよりなにより、なんの前動作もなしに、シームレスに現実世界から仮想世界に渡った。あったことといえば、機械の振動と不快感だけで、視覚的には一切の変化がなかった。
録画された映像なんかではなさそうだ。自由に体を動かせる。とにかくその場に質量を持ったオブジェクトがある。なんの違和感もなく。地面を触るとひんやりとするし、椅子だって触れることができる。
仮にこれがバーチャル空間だというのであれば、Mirageを超えた今世紀最大の発明品になるのではないだろうか。
「と、とりあえず外に出てみる……か? そもそも外に出れるんだろうかこの作り込みだと行動範囲は限られそうだけど」
人間の脳を完全にジャックしているのだとすれば、痛みも感じるし、何よりラグなしに世界の行き来ができるのかもしれない。でもそれって、すごく危ないんじゃないだろうか。今現実の僕の体は一体どうなっている? ここで僕が死んだらその感覚は生身の体に信号として送られて死んでしまうんじゃないだろうか。それとも自我が壊滅して植物状態? そもそも――。
今僕は、生きていると言えるのだろうか。
頭を大きく横に振り、妙な胸騒ぎを抑え僕は扉を開けて外へと足を運ぶ。もしここが仮想空間なら体験しておかないと損だと。自分に言い聞かせて重い足を動かす。
「こんな貴重な経験はないよ。これをブログにあげればアクセス数も爆発敵に伸びるんじゃない? んー……でも超常現象ってわけじゃないしな。ネタとしては場違いになるかも」
外に出るまで一切人とすれ違うことはなかったし、物音一つしなかった。精密に再現されたUDX。
聞こえてくるのはすべて僕が発する音。いくらぼっちでもここまでの孤独感だと辛くなるかも。
何の気なしに左手に着けていたMirageを起動させようと触るが、無反応。何度触れても反応する気配はない。
「あ、そうか。ここ仮想空間なんだ。Mirageがつながるはずないか」
せっかくここまでリアルに作られているのであれば、Mirageをタップしてのメニュー表示などがあっても良さそうなものだが。
「もったいないな。そういえばゲームみたいなUIが一切見当たらないな。ログアウト不能のデスゲーム的なのに巻き込まれたらどうしよ。まぁ、仮想空間ってだけで誰もゲームとは口にしていないわけだけど」
まぁ『G.A.T.E.』が掲げているのは世界の拡張。第二の世界だ。一度たりともゲームハードとは明言していなかったりする。
独り言を量産していると、建物の外へと踏み出していた。
冷たい風が頬を撫でる。さっきまでとは打って変わって冷えた空気が漂っていて、少し肌寒い。太陽も陰り、今にも雨がふりそうな天気だ。
「気温設定が冬に適したものになってるのかな。だとしたら僕たちが住む現実の方がよっぽどバグじゃないか」
集まっていた野次馬の姿もない。何より駅からすぐの場所にもかかわらず電車の音もしない。
「現実じゃないのは確かそう」
最近のハリウッド映画なんかを見ていると、CGのクオリティの進化はとてつもないが、そのレベルをリアルタイムレンダリングして歩き回れるかはまた別の話じゃないだろうか。
あの椅子にそこまでの性能を詰め込めるのだろうか。
「はは、かがくのちからってすげー」
お決まりのセリフを呟き、僕は歩き慣れた秋葉原の街を探索する。と言っても、駅周辺、いわゆる秋葉原と世間に認知されているような場所は完全に把握している。今更探索するほどのものもない。
「何も代わり映えしないし、もう少しファンタジーな世界をどうせなら見せて欲しかったな。まぁ昼間の秋葉原に無人なんて、ある意味ファンタジーなんだけどさ。そうじゃないじゃん?」
――ジジッ――――
そう口にした途端、世界がガラッと姿を変えた。
無数のデジタルノイズが空間に走り、それらが収まる頃には秋葉原の街並みはそのままに、世界が荒廃した。




