プロローグ
二〇二五年十二月――新宿
世界は歪んでしまった。この世の終わり。
僕は変わり果てた新宿の街を、地べたに座り、ただ呆然と眺めていた。
本当は夢なんじゃないかと何度も願ったけど、僕の横で倒れ目を覚さない女の子の存在が、これは逃げ場のない現実なんだと突きつける。
この現象が新宿あるいは東京都内だけで起こっているのか、それとも日本全土、あるいは世界規模で起こっているのかはわからない。この現象が起きてから、どのぐらいの時間が経ったのかも、もう覚えていない。
通信手段も全てショートしてしまっていて、現状整理はおろか、身内の生存確認すら叶わない。
この街はもうダメかもしれないが、渋谷に居る知り合いのもとまで行く事が出来れば、この状況を打破するための案を提示してくれるかもしれない。
それはあまりにも他人に依存した希望的観測だった。
そもそもどうやってこの状況で渋谷まで行けばいいのだろうか。交通機関は完全に麻痺している。電車はおろか、タクシーさえも姿を見せない。
ひび割れたビル、道路。衝突する車。倒れる人。
ひどい喧騒に包まれ続ける街も、今は静まり返っている。生まれて初めて人の声が恋しいと思った。世界にただ一人取り残されたかのような虚無感だけが僕に残された。
新宿駅前にポッカリと開いた穴の先には、まるでこの世のものとは思えない景色が広がっている。
コンクリートの地面を割った先に見えるのは、溢れんばかりの緑。
地上の殺伐とした風景とは真逆の平和な世界。
よく見ると、至る所にそんなこの世のものではない、異世界を観測できる空間の歪みが生まれていた。
あるものは崩れかけのビルの穴から。あるものは路地裏へと続く暗く狭い通路の先から。あるものは――
――まるで空間を裂くかのようにその場で別世界を生成している。
規則性なんてものはまるでない。気の向くままに世界を蝕む。
その全てが同じような世界を移しているわけではない。
ファンタジー顔負けの緑あふれる大地から、砂漠。近未来感あふれる高層ビル。中には僕らの知っている世界に近いものも観測できた。
ありとあらゆる可能性世界が、僕たちの世界に浸食を始める。
空はまるで絵具を垂らしたようにどろっとした紅色で染められていて、今や光すらも僕たちの元へは届かない。
「僕のせい……なのか」
奥歯が砕けそうな程に噛み締める。
不思議と涙は流れなかった。涙を流す資格すらもないのだと悟った。
僕がもしあの時、別の選択肢を取っていれば、世界は変わっただろうか。
確認などできるはずもない。時間は一定方向に流れ続ける川のようなものだ。その流れを逸らすことはできても、逆流させることはできない。
タイムマシンなんてものは存在しない。一度決まった未来は、決して変わらない。
「あーあ。実験は失敗しちゃったんだね」
不意に僕以外の人の声がした。
周囲を見渡してその声の主を探すと、女の子が一人、僕の方を見て立っていた。
その女の子は、僕のよく知っている女の子とそっくりで、だけど明らかな別人で。
その上で、とても懐かしかった。
「君は……」
気がついたときには口が動いていた。
彼女と目が合う。まるで僕の全てが彼女に筒抜けになるような不思議な感覚を覚えて視線を逸らす。
そんな様子を鼻で笑うと、僕の目の前までゆっくりと歩いて近づいてくる。
「私は、あなただよ。天野鏡夜」
不意に名前を呼ばれ、鼓動が早くなるのを感じた。彼女の言ってる意味がわからない。
それは、僕がずっと前に捨てた名前だった。
彼女は自分のことを僕だと言った。だけど、僕は男で彼女は女。それ以前に、もし彼女が僕だとするならば今いる僕は一体なんなんだ。
混乱する僕をじっと見つめる。
彼女の長い髪が風で靡く。とても綺麗で、あらゆる光を反射しているような、虹色に輝く髪の毛。それらに合わせて動いた髪の毛とは違う二本の長いパーツをみて、僕は無意識に呟いた。
鏡界兎と。